2015年5月31日日曜日

夏は来ぬ Ⅱ

 〽楝ちる 川辺の宿の
 今年は5月に雨が少なかったから目立ったのだろうか、楝(おうち=栴檀)の花がほんとうに粉雪のように舞い散る日が続いて、その下を通るたびに一人感激した。
 花鳥風月などというタイトルをつけて偉そうにブログを書いたりしているが、楝の花がこのように舞い散るのは知らなかった。
 そのせいで歩道は一時雪景色のように白く染まった。雨がなかったのでそれが暫く続いた。
 明治29年佐佐木信綱氏もこういう風景を見て「夏は来ぬ」を作詞したのだろうと一人納得した。

ネット
  孫を連れてけいはんな記念公園・水景園に蛍を見に行った。
 孫と一緒に「ほう ほう ほたるこい あっちのみずはにがいぞ こっちのみずはあまいぞ」と何回も唄った。おかげで寄ってきた蛍は夏ちゃんの目と鼻の先で長い間止まっていてくれた。
 それを夏ちゃんは5分近く覗き込んで観察していた。何を観て何を考えていたのだろう。
 実際、大人たちは「小さい甲虫」「ほんにお尻が光っている」で通り過ぎて行った。

 〽蛍とびかいのフレーズは「夏は来ぬ」の3番にも5番にも登場する。
 やはりこれは初夏を代表する風物詩なのだろう。異議はない。
 妻が「蛍を見に行ったときには下の方で光っているのを捕りに行ったらあかんで」と孫に話していた。
 これは義母が蛍の話になるとこれまで何回も語ったパターンで、「それは蛇の目やからな」というものだった。こういうのを伝承というのだろうか。

 春はあけぼの。・・・・・・。夏はよる。月の頃はさらなり、やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。また、ただひとつふたつなど、ほのかにうちひかりて行くもをかし。雨など降るもをかし。(枕草子〔一〕)

2015年5月30日土曜日

大事にしたい

  国会で「戦争一括法案」とでも呼べそうな法案が審議されている。いや、審議というよりも「最後は多数決だもんね」というような首相答弁で議会制民主主義も瀕死の状態だ。
 大阪ではつい先日住民投票が行われたが、安倍首相は橋下市長に多くを学んだような気がしてならない。
 つまり、まともな議論が深まれば法案の危険性が明らかになるから、抽象的で非論理的な主張を、言葉としては断定的に自信を持って繰り返しさえしておれば世論は騙せるという教訓(橋下市長はその作戦で49%強を獲得した。)と、短期決戦(いわゆる大阪都構想は堺市長選挙前には70%近い支持があったが議論が深まる中で住民投票は反対多数となったことを反面教師に)を学んだのではないか。
 安倍氏も橋下氏も硬軟取り混ぜた怖ろしいほどのマスコミ対策を図ってきたことも共通している。
 こういう状況を見ていると私は、戦争というものはじっくりと議論をして「我が国の行く道は戦争しかない」という風に始まるものではないということをしみじみと再確認する。そして、イラク戦争当時のことを思い出す。
 全てのマスコミが「フセインは大量破壊兵器を持っている」と大合唱する中で、私も小型の核兵器か何か非人道的兵器を使おうとしているかもしれないと信じた。
  そして日本は自衛隊を派遣し、帰国後その自衛官たちは異常な高率で心を病んで自殺している。(別掲)
 しかもイラクと中東は、米国等の投入した大量の兵器を相互が使用して地獄の様を呈している。
 こういうイラク戦争の直接の契機となった「大量破壊兵器」の情報は誤りであったと、当時のブッシュ米大統領やブレア英首相が認めているのに、日本政府は未だにその誤りを認めておらず、米国に対して説明すら求めていないことが共産党志位委員長の国会論戦で明らかにされている。
 日中戦争~太平洋戦争の歴史で有名な教訓は、多くの本に書かれていることだが、政治家も軍人も誰もが無責任だったということだ。(藤井聡氏に言わせるとそれが全体主義の特徴と言われている)
 自分にとって嫌な想定は考えたくないという思考方法は人の性とも言われているが、藤井氏のもう一つの指摘は、思考停止した庶民が結局そういう軍国主義・全体主義を完成させるのだ。
 近代史を学べば今が「戦前」であることは明らかだが、ただし、70年前は非合法とされていた共産党や民主主義を守る多くの運動が現にある。そしてSNSも持っている。だから、これらを大事にしたいと私は思っている。

2015年5月28日木曜日

メタボ指導

 年1回続けている人間ドックを受けてきた。
 胃カメラの先生が「悪性ではないが胃が相当荒れている」と教えてくれた。聞くと、それはかつてのピロリ菌のせいで、決して悪食のせいではなさそうだった。当たり前か。
 眼底検査のときに、入室してすぐに検査が始まったから「暗い場所で瞳孔の開くのを待たないで良いの?」と聞いたら、「昔はそうだったんですか」「そんなことは私は知りません」との答えだった。
 「心電図なんか30分ぐらい(以上?)かかったから眠ったほどだ」と言うと、担当者は時代小説を聞いているような顔をした。
 直ぐに結果の出たメタボリックシンドロームの判定は、太り過ぎ、高血圧、肝機能、血糖にアスタリスク(*)が付いていたが、前回までの『基準該当』が『予備軍該当』に1ランク下がっていた。これを「改善」と喜んでよいのか、*も付かないほどの「老化」と受け止めるべきか微妙な感情になった。
 運動や食事などの取り組みは何もしていないから、「改善」したような自覚はない。
 そうして、医師と栄養士から丁寧な指導があったが、アルコールと脂肪を控えて野菜中心の食事を・・というような解りきった話ばかりだった。
  私のかかりつけ医は「γ―GTPなんか調べるほうがおかしい。気にするな」というので、その話の部分は頭の中でスルーした。 
 医師は「ビール(アルコール)は空腹時に飲まずに、肉を食べてから(食べながら)飲むように」言うので、「それでは肝臓に善くてもメンタルに善くない」と少しだけ反発した。
 腹ペコで喉カラカラでグイーっとやるからビールなのである。 
 奈良公園ですれ違う欧米人の肥満体に比べたら日本人のメタボなんか赤子のようなものである。・・が、もともと穀物と魚で暮らしてきた民族のメタボは深刻なのだろうか。
 そういう有難いメタボの指導を受けて帰り道、飲食抜きでもあったのでビールと「ローストンカツ膳」を食べながら医師の解説を拳々服膺した。
 
 

2015年5月26日火曜日

薬玉を世界遺産に

 OB会の年次総会と「元職場の退職者をおくる夕べ」があった。
 その「夕べ」だが、私が例によって薬玉(くすだま)を用意した。
 近況報告以外にも、『朗読』があったり、『合唱』があったり、何人かが少しずつ「工夫」を持ち寄った。
 閉会はブログ仲間のひげ親父さんが某劇団から本物の拍子木を借りてきて、めでたく『大阪締め』で締められた。楽しい「夕べ」であった。

  さて、「夕べ」の冒頭を飾った「薬玉割り」の薬玉についてはこのブログで何度も書いてきたが、古代中国の「薬草を束にして飾って邪気を払う」祭事が古代日本に伝わり、それがだんだん装飾が豊かになり、仙台七夕の薬玉にまで変化したものらしい。
 ただし、仙台七夕飾りのうちの薬玉は戦後すぐに考案されたもので、ルーツとしては新しすぎ、枝分かれをした別の枝の「進化形」のひとつと考えられる。
 それにしても、それがパカッと割れる薬玉に劇的に変化した起源は相変わらず判らず、私は何かモヤモヤとしたままだった。
 そこで近くの図書館で調べているうち、大部の「小学館日本国語大辞典」の中に『百鬼園随筆1933〈内田百閒〉進水式「軍艦の胴体を繋ぎ止めた最後の綱の端が〈略〉黄金の槌を以って打ち断たれたのである。大きな薬玉(クスダマ)が割れて、鳩の群れが出鱈目の方向に乱れ飛んだ』という記述を見つけた。
 そこで、ネットで追うと、それは横浜造船所のことで「薬玉を割って鳩を飛ばしたのはこれが世界で初めて」とあったが、文脈からすると、「割玉型薬玉の世界初」というよりも「鳩を入れたのが世界初」のように思えるのだった。
 そこから、「軍艦」「進水式」をキーワードに調べを進めると、国立国会図書館レファレンス事例詳細〈質問〉「進水式やお祝いにおいて薬玉を割るようになった時期」というのが出てきて、その〈回答〉に「明治15年に進水した軍艦「海門」の進水式で薬玉が飾られたとの記述が複数あり、・・・・それ以前は調べたが判明しなかった」とあった。
 だとしたら、「明治」の「軍艦」「進水式」なら、造船技術とともにセレモニーまでを欧米に学んだことは大いに考えられることで、欧米にルーツを探ってみると、スペイン起源、故にメキシコなど中南米で盛んな『ピニャータ』というものに辿り着いた。それは、古くは宗教性もあったもので、いろんな形をしているが薬玉の原理と同じ篭にあめ玉などを入れ、それをスイカ割りの要領で叩き割って楽しむものらしい。
 これで辿り着いたと思ったが、さらに『ピニャータ』を追いかけると、マルコポーロかどうかは怪しいが、起源は中国にあると書いてあるものが多く、「結局古代中国かい」というようになった。
 私としては、明治初期の日本の技術者が、欧米の進水式にヒントを得て、日本古来の薬玉を劇的に進化させて、船の完成を祝うとともに、邪気を払ってその船の安全な行く末を祈ったものと考えたい。だからこそ、『ピニャータ』系の名前でなく、『薬玉』なんだと思う。
 さらに、薬玉から垂れ幕が下がるというのは「縦書き文字」の文化としか考えられないから、吊るされた篭を割る、そこから飾り物と一緒に垂れ幕が下がる、・・という薬玉は、東アジアでいち早く工業化を進めた近代の日本人の発明・技術革新に相違ないと確信するに至った。
 故に、〝薬玉を世界遺産に”などと自分で言って笑っているのである。

2015年5月25日月曜日

二重行政の無駄?

  橋下・維新が「大阪府があって大阪市があって二重行政で無駄である」と言って住民投票を仕掛けたとき、私は、「りんくうゲートタワービルとWTCビルの失敗は行政組織の問題ではなくバブルに踊った政策の誤りだ」「大学も病院も必要なもので二重行政には当たらない」「いわゆる都構想では数多くの一部事務組合ができるから言うならば三重行政じゃないか」と反論してきた。
 真正面から二重行政論にぶつかりたい。大阪的に正味の算盤勘定でも橋下・維新の主張は当たらないと反撃したいと思ったからである。
 しかし正直なところ、この住民投票が持っていた大きな意味が、最終盤ないし開票後にじわじわと判ってきたというか勉強になっている。「何を今頃」と笑って欲しい。
 結局これは、橋下氏の目新しい問題提起ではなく、橋本行革、小泉構造改革から継続する「市場原理主義」(一般には新自由主義と言われる)の主張(戦略)であるという捉え方が私自身弱かった。
 だから、あの荒ましい言論戦の中でプラスになったかマイナスになったかは解らないが、突き詰めれば、「二重行政は当たらない」というレベルではなく、「二重行政が何が悪い」よりもさらに突っ込んで、「民主主義には無駄が必要なんだ」「効率的な政治システムは民主主義の敵なんだ」「非効率は先人の知恵なんだ」と(ああ、相当誤解を生みそうだが)、そういう風に腹を据えて考え、語ることも必要ではなかったかと反省している。
 21日付け朝日新聞5面の内田樹氏の寄稿は「三権分立も両院制も政令都市制度も、どれも権限と責任を分散し、一元的にことが決まらないようにわざわざ制度設計されている」「その複雑な仕組みを運用できるだけの知恵と技能をこれらの制度は前提にしており、それを市民に要求している」と重要な指摘をしている。(文脈から推定すると、橋下氏にはそういう知恵と技能がなかったと告発しているように思われる)
 「官から民へ」「小さな政府」「効率第一の構造改革」・・いろんな言い方で「奴らは既得権益者だ」とパッシングすることが正義のような一連の風潮(実は周到に準備された世論操作・戦略)に、もっと根源的に異議申請することが大切だと、今さらながら反省している。
 市場原理主義(新自由主義)がどれだけこの国を劣化させたかという分析と告発(主張)が非常に重要ではないだろうか。目前の課題が多いからといって、そういう議論をおろそかにしない方がよい。

2015年5月24日日曜日

七十五日寿命が延びる

  あらゆる野菜や魚に季節感がなくなった現代だが、写真のこれは正真正銘今年の夏野菜の初収穫。
 種類は四葉(すうよう)胡瓜の改良種の四川(しせん)胡瓜。特徴としては昔の胡瓜に近い。
 イボとシワの多いのが特徴だが、妻の好みの胡瓜。
 私の好みの半白胡瓜はまだ花の段階。
 一昨年だかに「めちゃなり胡瓜」というのを植えたが、名前のとおり数はできたが味はもうひとつだった。だから今年は、味に問題のないこの2種類を植えて成功したと思っている。
 どちらの種類も痛みやすい等の理由でスーパー等にはあまり出回らないのも「希少価値」「お得感」を感じさせる。
 先ずはオーソドックスに蛸と茗荷と合せて「たこ酢」にした。予想に違わず美味しい胡瓜だった。
 もう1本苗を増やそうとホームセンターに行ったが、「めちゃなり」系の苗しかなかったので買わずに帰った。

 『初物を食べると七十五日長生きする』というのは、八百屋か魚屋の古典的宣伝文句だろうが、私の祖母も母も食卓にそういうものを見つけると必ずこう言って喜んだものだ。
 そうして母は結局百歳を超えたのだから、こういう縁起の良い呪文のようなものは信じておけばよい。

 先日の記事の「桑の実」を、短時間孫を誘って収穫して食べさせた。
 この児の人生の初物になっただろう。
 その近くに「紅李」がなっていて「これは食べられるけどあまり美味しくない」と言って摘んでみたが、孫はこの渋くて酸っぱいのを「美味しい」と言って喜んだ。これも初物だ。
 孫の長寿は間違いない。
 近大マグロや大阪府大の野菜工場などの質はよいのだろうが、残念ながらそれでは七十五日寿命は伸びない。

2015年5月23日土曜日

自然は待ってくれない

  この頃は身辺に「待ったなし」の世事が増えてきたが、「待ったなし」は自然界の方がシビアである。
 世事がひと段落したので奈良の吉城園に行って見たが、予想どおり(私は予想外を期待して行ったのだが)モリアオガエルの卵があったものの親蛙の方は見つけられなかった。
 庭師の方に尋ねると、「1、2日前から求愛の声がいっぺんにせんようになったな」ということで、「森へ帰ったようや」と。
 そして、「卵がオタマジャクシから蛙になって森へ帰って行くまでにもう一度来てみてください」と、・・なるほど、その手があったか。
 しかし、池にいる蛙なら、考えようによってはただのアオガエル。やはりモリアオガエルは木の上あたりにいないとモリアオガエルらしくない。・・というのも人間の我儘な感情か。
 そもそもモリアオガエルの卵といえば池の上に伸びた木の枝にあっての風情。
 「何であんな下の方に卵があるのんですか」と尋ねたら、1~2年前に樹木を伐採して、池の上に伸びる樹木がなくなったそうだから、何もかも人間の我儘ばかり。
 庭師曰く、「親蛙になりたてのその頃は蛇と蜥蜴の格好の餌になる」とのことで、自然界はシビアで残酷なものらしい。
 だから、雨の夜などに一斉に森に帰って、ある朝池は空っぽになるとのこと。
 そんな光景を見ることは絶対に訪れないだろうが、想像するだけで心が楽しい。

2015年5月21日木曜日

下品を称賛する土壌

 自分のことは棚に上げて住民投票後に思った上記タイトルのことを書く。
 読売テレビで辛坊治郎キャスターが、「生活保護の受給者や目先のサービスの切り下げに反対した高齢者が反対した結果だ」という主旨の発言を、結構下品な言葉づかいで発言し、幾つかのマスコミが「シルバーデモクラシーの弊害」と銘打ってそれを拡幅している。
 先に事実をあげておくと、70歳以上が反対多数でそれ以外の年代は全て賛成多数という「当日の出口調査の統計」なるものを今回の投票傾向とするのは誤っており、人口構成等からしても統計的に矛盾がある。
 全体の4分の1を占める期日前投票ではその他の若い層でも反対票が相当に上っていたと考えなければツジツマが合わない。
 だから、そもそも事実に基づかない分析であるし、それを根拠に「既得権に執着したエゴイスティックな高齢者の我儘」と描き出したものである。
 読売グループの(株)讀宣が大阪府市大都市局の随意契約で118,848,600円受注していることも特筆しておこう。
 一般に、子育て中の女性を除く若い層よりも高齢者の方が住民サービスに敏感であることはあるだろうが、それは全く悪いことではない。
 それに、子や孫の将来を案じて考え抜いた高齢者を「我儘なエゴイスト」と断定するのも悪意だろう。
 さて、橋下氏の「叩き潰してやる」的な発言もそうだし、そういう発言が49%強の賛成票を生んだし、そして否決後もこのような悪質なデマに近い中傷がテレビから発せられている。(投票結果がさかさまであったならどんな酷いパッシングが行われていたかと想像すると背筋が寒くなる)
 いつから、こんな下品な発言が称賛されるようになったのだろうか。
 私は二つの源流があるように思う。
 一つは、大阪でかつて無視しえないほど問題の大きかった「解放教育」ではないかと思う。
 下品で暴力的な発言を「権威に対する批判」というように事実上称賛した「解放教育」は、この地の精神的土壌にマイナスの影響を与えたし、当時の暴力的「糾弾闘争」をマスコミが肯定した歴史的事実も、今次「都構想」のマスコミの偏向ぶりと相似している。
 当時、解放同盟大阪府連の「行動隊長」であった谷畑隆氏は社会党から国会議員に出て、その後自民党に移り、今は維新の党の副代表という事実は象徴的で皮肉である。
 もう一つは、視聴率に迎合するマスコミの「露悪趣味」というか、「俗悪で猥雑で下卑た大阪人」的なワンフレーズの繰り返しと、バーナム効果(例:A型の人はこうだと言われるとA型の人は自分はこういう性格だと思うということ)がある。
 「下品」にプラスして「アンチ東京」と「反権威」「本音」「庶民的」などの言葉を味付けすれば、このバーナム効果は否定し難い。
 「大阪学」的な書籍の多くもそれを後押ししている。
 だから私は自分のことは棚に上げておいて思うのである。この「俗悪な大阪人」的なワンパターンの決めつけについて、「そうではない」との意思表示を大きな声で繰り返さなければならないと。

 よかったら、このタイトルと噛み合っているわけではないが、次の想田和弘氏の指摘もご一読あれ。
 http://www.magazine9.jp/article/soda/19229/

2015年5月19日火曜日

蛍雪の功

楝(あふち)栴檀の古名
  我が家の放ったらかしの卯の花が咲き始めた。
 朝晩、特に未明にははっきりと時鳥(ほととぎす)の声が届いてくる。
 歩道の街路樹の楝(おうち)の花がいい香りを漂わせている。
 これで水鶏(くいな)が叩けば(鳴けば)いうことがないが、水鶏、正確には緋水鶏の戸を叩くような声はここにはない。
芳香がある。淡い紫は楝色
  以上の感想の前提は、明治29年、佐佐木信綱作詞の〽夏は来ぬで、孫の名前のひとつの典拠でもある。
  3 橘(たちばな)の香る軒端の 窓近く蛍飛びかい おこたり諌(いさ)むる 夏は来ぬ
 以前に実母の介護に老人ホームに通っていたとき、私が「夏にはダレルから怠り諌むるなのですかね?」と呟いたら、いつも半分眠ってばかりの入所者の方が「蛍雪の功ではありませんか」と教えてくれた。
 入所者は言わずと知れた人生の先輩だった。はは~~。
 晋書というから飛鳥時代の前半だろうが、蛍の光・窓の雪で勉学に励んだ故事である。
 リタイアすると何事につけどうしても易きに流れやすくなるが、初夏を迎えるたびにこの歌を通して反省させられる。

  一つおまけで、桑の実が熟し始めた。通るたびにポイッと口に放り込んでいる。
  孫が来たら一緒に食べるのだが、来るような予定は今のところない。
 これを知っていると知っていないとでは、〽赤とんぼ の理解に大きな差が出ると思うのだが。

  も一つおまけで、スイカズラ。
 数年前は見つけて嬉しかったものだが、今では雑草以上に繁茂している。
 美しくこれも芳香がある。
  これが古代エジプトに繋がるパルメット・忍冬唐草紋だと思うと情趣が深くなる。
 忍冬紋といい葡萄紋といい、古代の我が国は大いに国際的だった。
 ヘイトスピーチではないが、「日本人はこんなに素晴らしい」的なテレビ番組の氾濫は、選民感情をくすぐるようで、的外れで危険な匂いがする。

2015年5月18日月曜日

〈凡庸〉という悪魔―を読んで

 大阪市の住民投票は賢明な結論を出したが、約半数の「賛成」票という状況を私たちは冷静に考える必要があると思う。
 その場合、少し大阪固有の問題から引いて、現代社会に共通する問題として検討する必要があると思う。
 この本は、その際の参考になるに違いない。

   著者・藤井聡氏の(顔)写真はあまり私の好みではない。その上に第二次安倍内閣・内閣官房参与(防災減災ニューディール担当)というのも通常ならその本に手を伸ばす意欲の湧かない肩書きだし、別の著書では大阪の復興策としてリニアと西日本の新幹線網の提言のあるところも違和感がある。
 その私が、この本、〈凡庸〉という悪魔―21世紀の全体主義 を読んだのは、大阪都構想をめぐるネット上の動画で氏の発言を見たり読んだりして、人は見かけで判断してはならんと反省したからである。
 
 曰く、・・・今日、多くの組織や集団に「空気」というようなものを含む「全体主義」がはびこっている。
 従わぬ者ははじき出す、昇進させない、いじめる、そういう恐怖を含む暴力が行使されている。
 「全体主義」における7つの特徴は、① 思考停止 大衆人達の思考停止。全体主義が現れる大前提。 ② 俗情 大衆人達の俗情。全体主義現象を駆動するエネルギーの源泉。 ③ テロル 全体主義現象の必然的帰結として遂行される暴力行為。 ④ 似非科学 テロルを中心とした全体主義活動を正当化するための「後付け論理。 ⑤ プロパガンダ 後付け論理/似非科学を無理矢理正当化するために繰り返されるもの。 ⑥ 官僚主義 全体主義における諸活動の効率化のためにあらゆる領域で横行する。 ⑦ 破滅 全体主義活動を推進した場合に必ずたどり着く終着駅。・・である。
 それにアメリカからの圧力を加えた「新自由主義」全体主義がこの国を破滅にむかって牽引している。
 ・・等々ということを多くの事実をあげて著者は指摘している。
 ともすれば、「これは仕方のないことだ」と私自身がとらわれているかもしれない「グローバリズム」ということや「改革」と称されることも、周到に練り上げられた 21世紀の全体主義 の掌の上の話らしい。
 橋本行政改革や郵政改革、事業仕分け等々を相当な至近距離で見聞きしてきた私としては、こういう 「新自由主義」全体主義 という切り口で分析・総括される「論の構築」にある意味「目から鱗」の感を抱いた。
 
  刺激的な事実のひとつに郵政民営化時の「B層」問題がある。
 小泉内閣が郵政民営化の世論形成のための作戦を有限会社スリードという広告会社に発注し、「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案)」という企画書を受け取った。
 そこには「B層にフォーカスした、徹底したラーニングプロモーションが必要と考える」とあり、つまり、IQの低い「新しいモノ好きのバカ」が世論の趨勢を握っているとあった。
 つまり、B層は構造改革がどういう性質のものであるかを知らないし、知ろうともしない。ただ、「改革=新しい=なんかよさそう」という程度のイメージしか持っていない。このB層に決定的な影響を与えるのはA層の財界勝ち組企業、大学教授、マスメディアだからここを「学習」させ活用する・・だった。
 こうして小泉首相は、「改革なくして成長なし」「聖域なき構造改革」といったワンフレーズを繰り返し繰り返し、マスコミは「冷静に考えよう」という人々を「抵抗勢力」と名付けて、「刺客」問題を面白おかしく囃し立てた。
 著者も同感だろうが、大阪都構想はこの延長線上にあった。

 この本で強調されている問題のひとつは、タイトルにもある「凡庸な庶民」の「罪」である。
 いろんな共同体の中でつちかわれてきた社会的な規範が希薄化した無規範状態(アノミー)の下で、公務員や正規雇用者に対して抱く嫉妬、怨恨、憎悪というルサンチマン。
 「日本人は立派だ」という選民思想とヘイトスピーチ。
 出世と保身に明け暮れる「社畜」。
 ふわっとした大勢の尻馬に乗ることで抱く安心感。
 「上から言われて従ったまでだ」という言い訳で安心して行う弱い者いじめ・・・・・これらは私の解釈を含めたが・・・・・そういう「凡庸な思考停止をした庶民」こそが全体主義を推進し、かつてのナチズムを生んだのだと、いろんな論を引いて著者は指摘している。
 1970年代には「小市民」などと言って笑っていたが、この本を読むと笑ってばかりではいられない。
 ほんのさわりだけを書いてみたが、非常に読みごたえのある本だった。
 各種問題提起の判断は、とりあえず読んでみてから各自がおこなってもらいたい。
 「一人ひとりが考える」ことこそが大事なことなのだから。

2015年5月17日日曜日

屋根に鮑の意味

  近頃では鶏小屋も見なくなったが、私の小さい頃にはあちこちで鶏を飼っていたから鶏小屋が珍しくなかった。
 そして、その鶏小屋には必ずといってよいほど鮑(あわび)の貝殻が吊るされていて、「狐が来んように」「イタチが来んように」・・・と言われていたが、実際にはあちこちで被害があったからその効果がどれほどのものであったかは判らない。
 こういう話題も今は昔で、私自身長い間忘れていた。
 
 某月某日、奈良の名勝・依水園を覗いた折に、茅葺屋根に鮑がいっぱい光っていたので驚いた。
 「あれは何ですか?」と窓口の方に尋ねたら、「鳥除けです」とのこと。
 私は初見でもちろん初耳であったが、秋の田のキラキラテープやCDディスクが舞っているお馴染みの風景のルーツと思われる。
 ネットでは、海の貝で「水」同様火事除けのマジナイ説などもあったが、鳥除け説の方が王道のような気がする。
 それにしても、私は初見だった。世の中知らないことばかりだ。
 鳥も動物も非常に賢いから効果のほどは疑わしいが・・・、
 茅葺屋根に鮑・・・・いい景色である。
 寄り道の話だが、依水園の隣の吉城園では今頃モリアオガエルの産卵が見られる時期である。
 この界隈は現実政治の困難を忘れさせる空気に満たされている。
 こういうものを文化というのだろうと思う。

 実を言うと小さい頃は、鶏小屋の持ち主が「や~い、鮑を食べたんだぞ~」と自慢してぶら下げているのだと思っていた。(なんとも推論が卑しい~)

 さて、私の一連の「大阪市廃止反対キャンペーン」も、屋根の上の一枚の貝殻程度の役には立っただろうか。
 耳障りな鵺(ぬえ)の声に「シッシッ」という程度だったにせよ。
 一連の記事にお付き合いいただき感謝、感謝。

2015年5月16日土曜日

フレーミング効果

  人々に判断を求めるとき、表現の違いで多くの人々ははっきりと誘導されるというのが、心理学でいうところのフレーミング効果である。
 例えば、ある伝染病で放置したなら感染した1000人全員が死亡するが、そんなとき次のA案でいくべきかB案でいくべきか?
 A案の場合なら300人が助かる。
 B案の場合なら70%の確率で全員が死亡する。
 この場合、多くの人々はA案を選択する。
 反対に、A案の場合なら700人が死亡する。
 B案の場合なら30%の確率で全員が助かる。
 こう問われた場合、多くの人々はB案を選択する。
 お気づきのとおり、A案もB案も、先の言い方も後の言い方も、その内容は全く変わらない。
 ことほど左様に印象操作は効果的であるから、霊感商法も詐欺商法も種は尽きない。私たちは、広い意味でそういう(騙されやすい)弱さを持った人間であるとの自覚が大切で、「他人は騙されても私が騙されるはずがない」と疑わない人が騙される。
 
  テレビでコメンテーターなのかどうか怪しい芸人たちが座っていて、この期に及んで「都構想ってようわからへんわ」と言いながら、「それでもなんか改革は必要やろう」というようなことを言っているが、それは橋下・維新の印象操作に操られているのである。そして、当人たちにはフレーミング効果で誘導されているという自覚がない。
 なぜそれが橋下・維新の印象操作だと私が言うのかというと、彼らの唱える「都構想」がほんとうによいものなら、堂々とデータや内容を明らかにして、自信を持って市民に判断を仰げばよい。
 そうではなく、実は徹頭徹尾胡散臭い内容であるから、内容を語ることなく、「大阪はこのままで良いのか」とか「府と市があるから二重行政だ」とか「絶対に悪くはならない」とか「未来に向けて」とか「やっとここまで来た」とか、情緒、印象、イメージ、ノリで投票に持ち込みたいのである。
 だから一部の学者は「催眠商法と同じ」と批判しているのである。
 
  大阪の西天満には55年間「閉店セール」を続けている靴屋がある。
 「話が違うやないか」と聞くと「毎晩閉店している」と答えるらしい。
 粗悪品で暴利をむさぼっているようでもないから、多くの大阪人は笑い飛ばしているが、「都構想」と「閉店セール」は一緒ではない。
 横山ノック以降のノリの政治はもう止めにしないと危険極まりない。
 「ようわからへん」のは都構想の内容が嘘だらけだからである。
 だから、大阪都構想は霊感商法そのものである。
 「貴方の肩の上には二重行政という背後霊がついている」「貴方の不幸はこの背後霊のせいである」「都構想でお祓いをしないと先はない」「毎年1億円儲かる。だから最初に260億円いる」「壺を購入すれば運気は開く」・・・・。この話とどこが異なるというのだろう。

2015年5月15日金曜日

凡庸の怖さ

1 大阪市を廃止して5つの特別区に分解する住民投票の論争が深まるとともに、橋下・維新の主張の支離滅裂ぶりが明らかになってきている。
 当初は「二重行政の無駄を省き住民サービスを引き上げます」だったのが、その「4000億円の効果額」が全くのハッタリで、逆に赤字になることが広まると「住民サービスは引き下げません」にトーンダウンした。
 さらに「5つの特別区の税収は大阪市の4分の1になり4627億円が府に取り上げられる」ことが広がると、とあるスーパーの前で維新の市会議員は、「心配しないでください。何も変わりません。今までどおりです」と演説。
 通りかかったおっちゃんが「何も変わらへんのやったら余計なことすんなや」・・・・・・こういうのを正論というのだろう。

2 それで橋下のテレビCMは、文字に起こしたら何もないイメージに終始。
 といっても、CMといい、チラシといい、宣伝のプロが関与しているのだろう、中身がなくても人を引き付ける催眠商法のノリは十分にある。
 そのことに関連して下記の動画で藤井京大教授は、アイヒマン裁判を考察したハンナ・アーレントの「全体主義の起源」を援用しつつ、市民が空気とノリとイメージで動くとき、それは必ず破滅に向かうと警鐘を乱打。
 現代社会の様々な局面で顔をのぞかせる「思考停止」、その「凡庸という悪魔」の恐ろしさを語っている。
 私の中にいるアイヒマンにも怖ろしくなった。
  氏の著作「凡庸という悪魔」、近所の書店に注文を行った。



2015年5月14日木曜日

器でない

  私がリタイヤする前は中間管理職であった。というほどのモノではなく、よく言われる「名ばかり管理職」であった。
 それでも、組織を動かす、組織で仕事をする経験は、できたこともできなかったことも含めていろいろ勉強させていただいた。
 さて、大阪市長・橋下氏は「大阪市の行政なんて公務員がするんですよ。政治家が全部判るわけないですよ」というが、文字でいえば私はそのとおりだと思う。ただ彼は、外面のよい成果は「僕の手柄」、困難な課題は行政体制と公務員のせいにしているところが卑怯である。
 大阪市の担う膨大な守備範囲を市長が全て差配するのは不可能だし、同じ意味では、5つの特別区長であっても同様で、いわんや府知事(注:都知事でない)ではなおさらだ。
 であれば市長たる組織の管理者は何をすべきなのか。政治家のそれではなく、組織の管理者という側面からそれを考えるのも重要なことである。
 例えば、新聞ダネになるような明らかな失敗事案が発生したとしよう。
 「私の着任前からいた職員はなっていない」と先ず自分の責任でないと言う。
 そして、「状況を報告しろ」を連発の上にも連発する。
 早々に現場と直接の上司あたりを見せしめのように処分する。
 こんな管理者がいたらどうだろう。
 早い話が、現場の本音でいえば今後は失敗事案が見つからないよう隠ぺいしようとする。
 そして、「いらんことをして失敗しないよう」、組織の力は内向きになり弱体化する。
 なら何が正しいか。結局は現場感覚に寄り添い、失敗を明らかにして克服する努力を称賛する風通しのよい職場づくりに尽きると私は思う。
 これは暴論でも何でもなく、組織論、組織の危機管理論の鉄則である。
 それが解っていない人は管理職失格だろうと私は信じている。
 だから私は言うのである。「橋下氏は器でない」と。

2015年5月13日水曜日

いちびり

  胸に手を当てて反省するが、孫の「いちびり」は隔世遺伝かも知れない。
 だいぶ以前のことだが、我が家で遊んでいるときにお父さんの帽子をひったくってどこかに隠したが、帰る段になって「お父さんの帽子は何処?」と聞いても判らずじまいだった。
 百舌鳥(モズ)がバッタなどを木の枝に刺す「モズのハヤニエ」も、貯食(備蓄)はしたものの忘れてしまったものらしいから、孫は百舌鳥並なのかもしれない。
 それからだいぶ経って先日、玄関の靴べらを立ててある容器の底に雑巾のようなものがあるのを見つけて引き上げると、それが例の帽子だった。
 リスの場合は縄張りを持たないので、言わば入会地に貯食(備蓄)して、結局、集団として生きつないでいると本で読んだことがあるが、この帽子隠しからは何も生まれない。
 父母や祖父母の関心・注目を一手に集めたいだけにほたえたのだろう。
 我儘かもしれないが、小さいうちは思いっきり注目してやればよいと思っている。
 孫が意味もなくいちびりだということを再確認して、祖父ちゃんは少し喜んでいる。

  ・・・・・と、原稿を書いたのだが、我が家がいま看護で大変だろうからとおかずを作ってくれて、昨日、短時間孫も来てくれた。
 そして、私が「お父さんの帽子を見つけたから」と返したら、孫は靴べらの容器を覗き込んだ。
 実は覚えていたのか、瞬間に記憶がよみがえったのかは不明である。
 楽しそうに笑っている孫を問い詰める気もない。

橋下・維新は大阪人ではない

  親の出身地や本人の出生地、育った地等々の外形から「大阪人」であるかどうかを語る気はない。語りたいのは「大阪人」のバックグランドたる「こころ」の話であるが、参考文献は『五木寛之 こころの新書「宗教都市・大阪 前衛都市・京都」(講談社)』というなかなかに刺激的なタイトルの本である。
 奥深い著作を一言で言うことは困難だが、東京に対するカウンター・カルチャーのような感じで論じられ、合理的な経済功利主義者のようにステレオタイプで論じられることの多い「大阪人」という定義に著者は疑問を呈し、実はある種のマックス・ウェーバー的なプロテスタントの勤勉とか倹約とか労働を大事にする、石山本願寺以来の真宗の信仰心がその特徴だと論じている。
 実は非常に保守性が強いと言われている「お雑煮」を見ると、船場にルーツのある我が家の「お雑煮」は、実は近江の「お雑煮」と同じで、これは大阪の「お雑煮」が近江に広がったと考えるよりも、近江商人が核になって大阪の商家の文化を形作ったと考えられる。近江が真宗王国であることも有名なことである。
 蓮如さんの本願寺が諸芸(人)を積極的に取り入れたことが今日の大阪文化に繋がっていることも興味深い指摘だが、結局、テレビの中の吉本的なものがステレオタイプの「大阪人」を全国に撒き散らせていると私は思う。
 「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」も、そういうフレーズの中で成長したもので、本来は「もうかりまっか」「おかげさまで」という感謝の言葉で応えられていたという指摘もうなずける。
 私の言いたいこともおおよそ察しがついたと思われる。
 「嘘も方便」とばかりに「投票に勝ちさえすればよい」という橋下・維新の言動は、本来の「大阪人」の精神性の対極のものである。
 住民投票最終盤に彼らはいろんな嘘を連発するだろうが、それは決してほんとうの「大阪人」を納得させられないだろう。
 とはいえ、真宗的世界観を端的に表した言葉には「一寸先は闇」という仏教思想もある。
 勝手に油断することだけは注意したい。

2015年5月12日火曜日

エゴノキが満開

  エゴノキが満開。下向きの白い清楚な花、花、花。
 大伴家持が万葉集で「知左(ちさ)の花」と詠っているが、私は10数年前までエゴノキを知らなかった。
 庭に植えたが見事に枯らしてしまい、リベンジで植えた小さな木がいま予想以上に根付いてくれた。
 こんなに大きくなるのだったら、もっと建物から話すべきだったと、己が読みの甘さを反省している。
 学名が Styrax japonica で、storax は「安息香」が語源とある。
 別の本には「微香」ともあるが、この著者は誰かの文を孫引きしたに違いない。
 なにが微香か、ム、ム、ムとくるほど強烈なむせ返る蜜の匂いで、「芳香」をはるかに通り越している。
 秋には鈴なりの実をヤマガラが食べにくるが、エゴノキの語源と言われる「えぐ味」は感じないらしい。自然界は不思議だらけである。

  母の日と父の日のプレゼントを息子ファミリーから貰った。
 外出中に届けられていた。
 ドイツの燻製ビールは妻も喜んだが、一緒にブリキ製の「蚊遣り」があったのは、どういう洒落なんだろうかと妻と首を捻っている。

 私からは入院中の義母に造花の花かごをプレゼントした。
 喜んでいるのかどうかも判らなかったが、後で妻から「ちょっと別のところに置いたら探し始めて、喜んでいるんだ」と聞いた。
 「骨折・入院というのが高齢者には一番よくない」とは十分すぎるほど知っていた知識であったが、これほど劇的に老化が進むとは思わなかった。
 予測はつかないが、この老化が精神の安寧に繋がればいいと思う。
 近頃の夫婦の合い言葉は、「塞翁が馬」「塞翁が馬」である。 

防災以上の課題があるの?

 戦前の台風か終戦直後の台風のことか忘れたが、大阪の船場に住んでいた私の祖母が、御堂筋から西が全部水に浸かったことを怖ろしそうに語っていたことを思い出す。
 大阪の街は見かけは立派になったが、海抜の低いことは何も変わっていなし地下街は飛躍的に広がった。
 緊急地震速報のJコーポレーションのWebページを見ると、『東海地震は明日にでも発生しても不思議でない状態』『東海地震と同時に、又は2年以内に起こるとされている東南海地震・南海地震は日本最大級の地震となる』『死者は約2万4700人』とある。

 そういう中、防災学の権威、河田恵昭・京大名誉教授は、・・・
 「大阪都構想の区割りや大阪府との役割分担において防災・減災は全く考慮されていない。
 南海トラフ巨大地震は今にも起きかねないほど危険である。それだけでなく、谷町筋に沿って南北に走る上町断層帯地震が起きれば、現状では、大阪市だけでなく大阪府全域が壊滅する。
 市民の安全・安心を守るのは大阪市行政の最重要課題であるにもかかわらず、大阪都構想では全く触れられていない。
 民営化の前に、もっと地下鉄と水道をはじめ、社会インフラの防災対策を進めなければならない。
 地震に無防備だった首都カトマンズを襲った4月25日の地震は、その教訓であろう」・・・と警鐘を鳴らし熱く訴えられている。
 ほんとうに維新による「失われた7年」は大阪にダメージを与えている。
 早く「都構想」を止めさせ、2万4700人のいのちを救い、大阪を再興しなければとつくづく思う。



2015年5月11日月曜日

中原徹氏のご就職

  中原徹氏といえば橋下徹氏のご友人で、橋下氏が知事時代に府立高校の校長になったが、公教育の人事がこのように決められたことは「李下に冠を正さず」ではないが、もっとも教育と縁遠いものだったと私は思う。
 就任した中原氏は、府立高校の卒業式の君が代で教員の口元を監視し、それを橋下大阪市長に連絡(報告)し、結果として教員を処分したが、それが橋下氏らの覚えをめでたくし、大阪府教育長にご栄転になった方である。
 その後、教育委員や教育委員会職員への「職権などを背景に人格と尊厳を侵害する」ハラスメントが明るみに出、第三者委員会が「職責として不適切」と断じたため、この3月11日に教育長を辞任表明した。
 その中原氏が5月1日付けで再就職されたのだが、その就職先がパチスロ・ゲーム大手のセガサミーという会社の上席執行役員、グループの法務担当だという。
 誰がどういう企業に再就職しようが法的には問題はないが、橋下氏の絶叫する「都構想」の目玉が『カジノ』であることを思うと、彼が校長になったこと、府の教育長になったこと、そういうことを橋下氏と松井氏がしてきたことの本質がすっかり見えるように私は思う。
 橋下氏は「都構想で大阪を変える」と絶叫するが、彼がしてきたこと、しようとしていることがここに現れていないか。
 誰でも脛に一つや二つの傷を持っていて当然だし、第一次産業・第二次産業以外を虚業だというのではもちろんないが、しかし、公権力に携わる人々にはそれなりのモラルが求められておかしくないように私は思っている。
 「都構想」は、結局、言葉巧みに「悪いようにはせんから、ここに実印を押せ」というようなものだろう。
 蓋を開けてみれば、政令指定都市・大阪市の解体、弱体化だけが残って、被害者訴訟をしようにもそのときには相手がいなくなっているというのは、多くの悪徳商法事件で経験済みのことなのだ。
 

2015年5月10日日曜日

大切なのはホスピタリティ

  我が家では、先だってからちょっと深刻な『看護』が生活の多くを占めている。
 そこで(妻たちが)強く感じたことだが、看護師のホスピタリティの重要さということだ。
 いろんな語釈があるが、「思いやり」「心配り」というのが割りあいぴったりだと思う。
 特定の看護師の悪口を言いたいわけではない。我が家族は決してクレーマーではない。
 医療や介護や公務にはそういうホスピタリティが決定的に大切で、そこを忘れて、「見て見ぬふり」「上から目線」「責任逃れ」「問題のはぐらかし」が、形式的な「職務の範囲」として合理化されたなら庶民は堪らないということを言いたいのだ。
 しかし、世の中では「効率」だとか「金銭感覚だけ」でホスピタリティが後ろに追いやられていることも多い。橋下大阪市長の業務運営・職員管理はその最たるものだと私は思う。
 テレビを見ていると橋下氏が「都構想に反対なら対案を出しなさいよ」というようなことを言うが、私は橋下氏が退陣して大阪市の公務にホスピタリティが広がれば大いに市役所業務は変化すると思う。
 この国は「経済成長」という金銭だけで幸せが得られるように錯覚して今日に至った。
 挙句がグローバリゼーションとかいって、青年は非正規雇用で未来が見えず、正規雇用者は孤独に過労死、メンタル不調に向かっている。
 こういうオカシサは理性的に話せばだれでも納得することだ。
 「大阪都構想」の危険性もすでに勝負はあったと思う。
 しかし住民投票最終盤に彼らはなりふり構わず、さらに嘘をばら撒くことだろう。
 その場合、私たちがそれにつられて口喧嘩の様相を示してはならないのではないか。勝負どころは多くの市民である。理性的に大人の対応を維持すれば心ある市民は解ってくれることだろう。
 橋下氏たちは・・誠実でない、・・信用ならない、・・胡散臭いということは大いに広まっている。
 
 5月2日の記事で千田稔先生の言葉を紹介したが、今日は上野誠先生の本から引用する。
 『建物のことを日本語では「ヤ」といいますね。・・「小屋」「八百屋」「我が家」の「ヤ」です。その「ヤ」に尊敬の接頭語「ミ」を冠した言葉が「ミヤ」です。・・したがって、神や天皇・皇族の住まい(宮域)を「ミヤ」というのです。・・この「ミヤ」に、場所を表す「コ」という接尾語を付けたのが「ミヤコ」ですから、本来、天皇がいる場所(京域)を指す言葉だったのです。』(文責・筆者)

 「大阪都構想」は、現在の大阪府を都(ミヤコ)と称しようというのだから、やっぱり賛成する人々の教養が疑われると私は思う。大阪都構想問題の主要な争点ではないけれど、古代史愛好家としては一言言っておきたい。

2015年5月9日土曜日

維新のパネルを検証

 維新のタウンミーティングのパネルを検証する画像があった。
 下記のアドレスをスクロールして反転させ、「・・・・・・に移動」をクリックすると表示されるはず。
 画像のとおり、ほんとうに維新のパネルは「オレオレ詐欺」や「霊感商法」と変わらないと思う。
 そして、こういう大阪都構想の本質を浮き彫りにする問題提起が、ツイッターやフェースブック上では、感心するような『芸術的』作品としていっぱい登場していて、私は1970年代に黒田革新大阪府政が誕生した時代に似た自主性、創意工夫のように感じられて頼もしい。(あの頃はもちろんインターネットなどではなく、標語や工作のようなものだったが・・・)
 維新はこれまでも、莫大な国民の税金を財源とした政党助成金と思われる金をかけてテレビCMを流しているが、最終盤にはより悪質な内容のCMが大量に流されることだろう。
 巷間、その影響は若い層に浸透しているそうだから、理性的な反論をネットの世界等で繰り広げることが大切だと私は思う。
 ツイッターもフェースブックも小一時間もあれば開始できるものだから、未だのお方は是非とも挑戦してみては如何だろう。
 方法は「ツイッターを始める」とか「フェースブックを始める」と検索すれば解るが、不明なら私にメールをいただいたなら、私の経験なら説明できる。
 大阪市外のお方も、いわゆる「都構想」を、全国共通の民主主義の課題と理解してほしい。
 話は代わるが、民主主義を守る運動では「世代の継承」が課題だと言われたりしている。
 その「世代」は活字離れのネットの世代である。
 だから、「継承したい」と願う高齢者が「ネットは苦手や」と言っていたのでは、昔話に花を咲かせている過去の世代になってしまわないだろうか。
 若い世代に響かない言葉(過去の経験)を語りながら老いていくだけなら寂しいように思う。
 偉そうなことを言っているが、私は還暦を過ぎてからワードで文書を作れるようになった。ブログやツイッターを始めたのは64歳からである。

 https://docs.google.com/file/d/0B0_SgefFBp0bTHVxRWpKMHV3bTA/edit

 最後に、お口直しのために傑作動画を!!
 総統閣下がお怒りです。



2015年5月8日金曜日

新種発見

  いっぺんに季節の針が回った気がする。
 菜種梅雨が終わったと思ったら4月にはテレビニュースが夏日、真夏日を報じていた。(その後は打って変わって「高原の夏」になったりしてますが)
 瞬時に木々が花咲き、昆虫が飛び回っている。
 ・・・また昆虫採集の話かとうんざりされるかも知れないが、池田清彦先生の文に次のようなくだりがある。
 「人工物は基本的に捕ることができない。それに対し虫は無主物である。捕ったら捕った人のものである。私が虫捕りが好きなのは第一にこの故なのであり、権力が虫捕りを忌み嫌うのもまさにこの故なのである。好コントロール装置である権力は、この世界に無主物が存在するという考えが、そもそも気に入らないのであろう。
 虫捕りは、お金は不要なかわりに、頭と体だけはイヤというほど使う。権力が虫捕りを忌み嫌う、第二の理由がここにある。お金が全くかからない究極の楽しみがあるという話は、おそらく権力の琴線に抵触するのだろう。」
 他愛ない独りよがり、ほら話のようで、ある種の真実をチクリと刺した楽しい話である。
 
 さて孫は、近頃では蝶も優しく持つことができるようになった。今までは力が強すぎて見ていられなかったが。
 今では、何回も何回も、翅がちぎれたり、鱗粉がとれたりしないように優しく翅を持っている。
 私が、以前にこのブログに書いたカラフルな昆虫図鑑を出して「調べてごらん」と言ったら、虫籠を横において熱心に見比べた。
 私がナミアゲハのところとモンキチョウのところを広げて「これかな」と言ってみたが、孫は「違う」という。
 じっくりと見比べて、ナミアゲハは赤い斑点が図鑑より実物の方がオレンジ色だという。モンキチョウは裏の黒い紋の数が違うという。
 私は「だいたい一緒だからナミアゲハとモンキチョウだよ」というのだが、孫は「違うから違う」という。
 世間の常識とやらに汚れてしまった老人にはナミアゲハとモンキチョウにしか見えないが、もしかしたら曇りのない孫は新種を発見したのかもしれない。
 それを「だいたい一緒だから」などと言ったのを後悔した。
 池田先生は「世界に生息する虫の、少なくとも70~80%は未記載種だ」と言っている。
 ありのままの自然や事実に学ばなければならないのは大人の方かもしれない。
 原発再稼働や戦争立法、・・・虫捕りをしなかった大人には真実が見えにくくなっている。

2015年5月7日木曜日

『大阪都構想』の危険性に関する学者所見

 藤井聡教授のホームページに非常に貴重な100名の学者のコメントがあったので転載する。
 私のブログの表示のせいで「見辛い」と思われる方は、下のアドレスを「反転させて・移動」して、直接読んでいただきたい。
 ブログ等のツールをお持ちの方は是非コピーして拡散していただければ幸いです。
 フェースブック、ツイッター等をお持ちの方は、アドレスなり推薦の言葉を拡散願います。
 ここに書かれているような理性的な知恵を踏みにじる『大阪都構想』が如何に危険であるかが再認識できると思います。
 所見の全文は、冒頭部分(所見全文はこちら》をクリック)から読むことができます。
 抜粋コメントには若干の誤入力と思われる部分があるように感じますが、目で読むのでなく頭で読めば意味が解ります。

http://satoshi-fujii.com/scholarviews2/


『大阪都構想』の危険性に関する学者所見(抜粋コメント)

(5月5日時現在、計100人分)
地方自治論(行政サービス論)
「大阪市を分割し、権限・財源を大阪府に吸収すれば、大阪市民への生活サービスの低下は避けられない。高寄昇三 (甲南大学・名誉教授) 財政学・行政学
「都構想」は大阪市を解体し市民へのサービスを低下させるものでしかありません。財源の多くが大阪府に吸い上げられ、その使い道を市民が決めることはできません。碇山 洋 (金沢大学・教授) 財政学
「大阪都構想は、住民サービスを著しく低下させかねない地域切り捨てです。」 上園昌武 (島根大学・教授) 環境経済学
きめ細やかな施策で地域住民の暮らしに寄り添い、地域の環境を守るためには自治体の規模は小さい方がいいと私は考えています。大阪市を解体し五つの特別区を設置するという「都構想」なるものは私の考えとは相反します。青山政利 (近畿大学・名誉教授) 環境学・エネルギー学
「これは大阪府への集中・集権であり、隷属への道である。縮小された権限と財源の下で、特別区は団体自治も住民自治も発揮することができず、特別区間での財政調整をめぐる争いと、住民間での負担増または歳出減の押し付け合いに終始することとなろう。」梅原英治 (大阪経済大学・教授) 財政学
「「介護保険制度」ば、5区がつくる一部事務組合に移され、窓口も担当職員も見えにくくなる。…(中略)…高齢化社会で求められる介護、医療、福祉を統合した「地域包括ケア」からは遠ざかる一方となるに違いない。当然医療費を下げることはますます困難になる。それが若い世代の負担をより重くすることが強く危惧される。」澤井 勝 (奈良女子大学・名誉教授) 財政学
「都構想では、いかにお金を儲けるかのみがうたわれ、広域な区になる結果住民へのサービスが低下し、介護など福祉も低下します。田結庄良昭 (神戸大学・名誉教授) 地質学
「「都構想」は市民社会の基盤を弱体化させる。自治は制限され、安全、医療、福祉、生活環境の水準は低下し、公営住宅入居も一層困難になろう。政令指定都市である大阪市の廃止は、市民の暮らしを損なうことになる。」 早川和男 (神戸大学・名誉教授) 環境都市計画
「(国民健康保険事業は)一部事務組合によって運営されることになれば、これまでと比べて住民の要求は反映されにくくなり、地域医療が後退する可能性が懸念されます。」藤井えりの (岐阜経済大学・専任講師)地方財政学
「住民の声は行政に届きにくくなり、「住みづらさ」が蔓延する失望の都市に変わってしまうでしょう。保母武彦 (島根大学・名誉教授) 財政学・地方財政学
「行財政運営は混乱し、地域住民生活への深刻な影響、しわ寄せが懸念される。」山田 明 (名古屋市立大学・名誉教授) 地方財政学
「新たに設置される財政調整資金の配分をめぐり府と特別区および特別区相互の間で、絶えざる紛争が生まれる可能性があります。このため、大阪市民が現在享受している市民サービスが解体され、特別区の間で格差が発生し、低下してしまうことを危惧します。」横田 茂 (関西大学・名誉教授) 地方財政学
自治喪失論
「一見、民主的な印象を与える住民投票でカモフラージュしているが、今の大阪市の状況は、手続的にも内容的にも民主主義と地方自治の危機である。」真山達志 (同志社大学・教授) 行政学
「「大阪都構想」…(中略)…その本質は、市民の命と暮らしの砦である大阪市の解体にあります。」宮入興一 (愛知大学・名誉教授) 地方財政学
「大阪都構想は、大阪市の解体に他ならない。大阪市は自治権を失い、大阪府によって直接統治される。都市計画決定をはじめ、多くの権限を大阪府に吸い上げられる。こんなものが地方自治の伸長に役立つはずはない。」 山口二郎 (法政大学・教授) 政治学
「大阪市における住民自治を崩し、住民から行政を遠ざける大阪都構想には強く懸念を抱かざるをえません。」関 耕平 (島根大学・准教授) 財政学
「橋下・維新の会のもとでは、災害対策は重視されず、予算は削減されてきました。「都構想」でも、災害対策や教育・医療・福祉などの住民サービスを削り、大阪市民から吸い上げた財源をカジノや大型開発に投じようとしています。…(中略)…歴史と伝統をもつ大阪市を廃止する特別区の設置には重大な問題があるといわざるをえません。山崎文徳 (立命館大学・准教授) 技術論
地方自治論(衰退論)
「大阪市は126年の歩みのなかで形成された有機的総合行政体。市を解体し、5特別区と前例のないマンモス一部事務組合に分割することは生木を裂くに等しく、大都市の活力をそぎ、長期低迷を生む木村 收 (阪南大学・元教授) 地方財政学
「大阪市は戦前の名市長関一のもとで都市行政の先進的な事例を数多く生み出し、都市基盤の整備や環境政策、文化行政などの分野で全国の都市の手本となる成果を挙げました。…(中略)…大阪の再生は、こうした先例にこそ学ぶべきであり、都市の解体によって再生を果たすことは決してできないでしょう。鶴田廣巳 (関西大学・教授) 財政学
「「大阪都構想」が通れば、大阪市民は共同体としての大阪市を失うとともに、共同体がもつ大都市行財政権限を失うことになる。その損失は計り知れない。平岡和久 (立命館大学・教授) 地方財政学
大阪地域は京都市や神戸市に比べて都市力や都市格ははるかに低いものになるであろう。」 宮本憲一 (元滋賀大学学長・大阪市立大学名誉教授) 財政学・都市経済学
「大阪都構想は、財源の低減により都市機能を低下させ、大阪市の発展と市民の暮らしを困難にするものだ。」 山口英昌 (大阪市立大学・名誉教授) 食環境科学
地方自治論(都区制度論)
集権的な体制をつくるため、東京府・東京市が廃されて東京都・特別区がつくられた歴史的経緯を忘れるわけにはいかない。」荒井文昭  (首都大学東京・教授) 教育学
もともと東京都の特別区制は、憲法の「法の下の平等」原則に反する疑いがあり現実にも、多摩地域(30市町村)、島嶼各町村との間に無視できない格差が生じていて、特別区間の格差もまた深刻である。こうした現実の下で、…(中略)…なぜ「都」になりたいのか、全く理解できない。」 池上洋通 (千葉大学・元非常勤講師) 地方自治論
「新たに設置される「特別区」は憲法上の地方公共団体とは解されておらず、その制度的な根拠は立法政策に委ねられることになり、その存在は不安定なものであると言わざるを得ません。」今井良幸 (中京大学・准教授) 憲法・地方自治法
特別区になったその日から自治権拡充の闘いが始まることを覚悟しなければならない。」 今村都南雄 (中央大学・名誉教授) 行政学
「今回の都構想では都(知事)への集権的体制を作り上げることになり、分権の流れに逆行する。」入江容子 (愛知大学・教授) 行政学・地方自治論
大阪都になって、住民のための自治は拡大しません。東京都23区の多くは、数十万の人口を擁しているのに、市ではなく自治を大幅に制限されているのです。紙野健二 (名古屋大学・教授) 行政法
「大阪都」という行財政制度をつくれば、東京都に匹敵する経済力・行財政力になるというのは本末転倒した錯覚としか言いようがない。」 遠藤宏一 (大阪市立大学・名誉教授) 財政学・地方財政論、地域政策論
「東京都は大規模すぎて、自治の実体を持たない「非自治体」です。だから法律上の「都民」はいても、地方自治の担い手たる「自治体民」はいません。市民・住民のいないところに市民自治・住民自治は存在しません。東京都制はすでに失敗しているのです。白藤博行 (専修大学・教授) 行政法
特別区という制度は、東京の特別区自身が切に抜け出したいと思っている最悪の制度です。菅原敏夫 (法政大学・元非常勤講師) 地方財政学
(都区制度は)「本質的には中央集権化の手段として案出されたものであり、地方分権に資するという議論は、理論上は考えられても現実的なものではありません。」竹永三男 (島根大学・名誉教授) 歴史学
府の役割が重要なのは、市町村による活動を支援しまた調整することにあり、決して市町村に取って代わることではありません。槌田 洋 (前日本福祉大学・教授) 地域経済学・地方財政学
「今回大阪市を解体し、あらたに5つの特別区を設置しようとする動きは市民自治を拡充することを目指すことを目的とせず、むしろ後退の虞がある。それというのも「解体」は大阪市の持っていた権限や財源の府への集中を進める一方で、やせ細った特別区をつくることになるからである。」 西寺雅也 (名古屋学院大学・教授(元多治見市長)) 自治体経営学
「「大阪都構想」は「大阪市」をリストラして、中身のはっきりしない「特別区への格下げ」という"粗悪品"である。」堀 雅晴 (立命館大学・教授) 行政学
地方自治論(政治哲学論)
大阪市廃止構想の本質的な瑕疵は、『自治』の問題であるにもかかわらず、徹底的に『効率』の問題として語られていることです。市民の自治権と効率的な行政サービスの交換取り引きに応じようとする人たちは、一度放棄した自治権はもう回復できないことを忘れています。」内田 樹 (神戸女学院大学・名誉教授) 現代思想
「住民として市による「都構想」説明会に参加した。住民は「行政サービスの消費者」…(中略)…というのが市長の「住民自治」であった。自治体としての形はもちろんだが、住民も「消費者」に成り下がってしまってよいのかという問いが突きつけられている。 栗本裕見 (大阪市立大学・特別研究員) 政治学
「市の廃止は「大阪市」という一つの社会有機体の「死」を意味し、柳田国男が徹底批判した「家殺し」に他ならない。」 藤井 聡 (京都大学大学院・教授) 公共政策論、国土・都市計画
橋下政治の最大の罪は、同じ大阪人の間に内部対立を煽り立てたことにある。以前の大阪は、支持政党や思想信条の違いがどうであれ、もっと人情味に溢れた街であった。だが、今の大阪には刺々しい相互対立が蔓延している。…(中略)…真の「One Osaka」は、役所や行政の形式ではなく、人々の心の中で実現すべきものなのである。薬師院仁志 (帝塚山学院大学・教授) 社会学
政治学プロセス論
「市民の疑問を解消し,質の高い市民意思の表明のための条件となるべき住民説明会は,「催眠商法」と揶揄されるほど,賛成誘導に偏した,法の規定にある「わかりやすい説明」とはほど遠い内容のものとなっている。柏原 誠 (大阪経済大学・准教授) 政治学・地方自治
橋下徹氏が詐欺的なセリフやグラフを使い続けていることも大問題です。」北山俊哉 (関西学院大学・教授) 行政学・地方自治論
政治家の取り引きの結果、歴史ある大阪市が消滅し、財源も権限も奪われた特別区へと解体される。そしてその結果、大阪市民が築き上げてきた財産が次々と切り売りされ、行政サービスも著しく低下する。そんなことを許して良いのでしょうか。」冨田宏治 (関西学院大学・教授) 政治学
「最後に特定公政治権力がこうした危険性についての議論を隠蔽し、弾圧したままに、特定の政治的意図の下、直接住民投票でそれを強烈に推進しようとしている。つまり、それはその中身も推進手続きも論外中の論外の代物なのである。」藤井 聡 (京都大学大学院・教授) 公共政策論、国土・都市計画
「書店に並ぶ本は、大阪都反対が圧倒的に多い。不思議なことに、橋下氏以外の維新の党の政治家は、討論会に出席しない。つまり、橋下氏の弁舌だけが、大阪都構想を支えているのだ。…(中略)…一方的でウソが多く、疑ってみるべきだ。(民主党政権や安倍政権を批判してきたマスコミや東京の学者が、大阪都に対して弱腰なのは、大阪都の複雑さと、異論には橋下氏や維新が「個人攻撃」するという異例のメカニズムとによるのだろう。)」村上 弘 (立命館大学・教授) 行政学・地方自治論
「民主主義は理念であり手続きです。「都構想」についての民の声はどのように形成されてきたのかが見えていません。」 岩﨑裕保 (帝塚山学院大学・非常勤講師) 教育学
制度を変えれば、政策が良くなるわけではけっしてない。議論をして手間ひまをかける民主主義を大切にして「大阪」の生活と文化と街を発展させる点からも、大阪市を廃止・解体する「大阪都構想」には重大な問題があります。」水谷利亮 (下関市立大学・教授) 行政学・地方自治論
「自治体政策論の立場で考えれば、今回の大阪都構想はズサンな制度設計案といわざるをえず、その政策意思決定プロセスにおいても『いいことづくめの情報操作』『異論封じ込めの政治』が行われました。」大矢野修 (龍谷大学・教授) 自治体政策論
「政治学的に分析するなら、大阪都構想とは、思い付きに過ぎない政策を否定された維新の会が、これを実現するために、権力と財源を府に、そして一人の知事に集中すること目指したものである。これを進めてきた手続きは、行政学・政治学的に考えて適正なものではなかったし、行われた説明は願望とまやかしに基づくものであった。」  木谷晋市 (関西大学・教授) 行政学・政治学
「橋下徹氏の政策づくりの特徴は…(中略)…調査の軽視です。よい政策づくりに調査は欠かすことはできません。いわゆる「大阪都」構想にも調査不足の拙速さばかりが目立ちます。提供される情報は、客観的なデータではなく、根拠の乏しい期待や願望がほとんどです。これではうまくいってもラッキーヒット、普通はしくじると危惧されます。 窪田好男 (京都府立大学・准教授) 公共政策学
大阪の地方自治の歴史において、とりかえしのつかない愚挙とならないことを祈っている。重森 曉 (大阪経済大学・名誉教授) 地方財政学
「これら一連の橋下市長の行為は、彼の民主主義への無理解と傲慢さの表れであり、そのこと自体も「都構想」なる大阪市解体構想の危険性の証しである。この危険な政策に向けて、「不誠実な扇動」によって人々が動員されていく状況を深刻に憂慮しています。」下地真樹 (阪南大学・准教授) 経済学
成熟した民主主義においては「手順」が非常に重要です。…(中略)…しかし今回はあまりに自作自演の勝手な順序であり、さらには「無理やり法定協を手中におさめる」「予算と恫喝をちらつかせて各方面を誘導していこうとする」など、いずれも実に悪質な手口であると感じました。」釈 徹宗 (相愛大学・教授) 宗教学
「唯一の根拠であった「二重行政解消」の虚構性が明らかとなったにも関わらず,改革者のイメージのみを強調して具体的内容を語ろうとせず,市民に判断材料を与えないまま選択を強いる手法は「戦後民主主義の危機」と言わざるをえない。」 杉本通百則 (立命館大学・准教授) 環境論
「この投票にはいくつかの無視できない前提が欠如している。一つ、大阪市の廃止など、「改革」の域を越えた事柄が問われているのに、それが十分伝えられていないこと。一つ、大阪府や大阪市をめぐる問題点についての現状認識が共有されないまま「二重行政の解消」という虚構が先行し、その議論に乗らない者は「対案を示せない」と切って捨てられる議論が横行していて、民主的に議論を進める上できわめて不公正な状況にあること。」 住友陽文 (大阪府立大学・教授) 歴史学
大阪市民に是非を判断する材料が、提供されていないことに憤りを感じます。アンフェアでかつ虚構に満ちた説明を繰り返す手法の危険性は、映画『独裁者』でチャップリンが伝えたかったことではないでしょうか。」 長友薫輝 (三重短期大学・教授) 社会福祉学
「移行にともなう莫大なコストだけははっきりしているにもかかわらず、「構想」が実現した場合の住民にたいする「効果」はきわめてあいまいです。政策の体をなしているとは到底言えません。」森原康仁 (三重大学・准教授) 経済学
過剰改革・効率化論
いつの頃からか「改革」やら「変革」やらが安易に使われ、何かをぶっ壊すことが正義であるかのように語られ始めました。…(中略)…皆さんもっと冷静になってください。急激に変化に人間は耐えられません。変える前に立ち止まってよく考えることは極めて重要です。急激な変化の向こうには破綻しかありません。神谷章生 (札幌学院大学・教授) 政治学
財政効果のみを考慮する統合は、地域で営々と築かれてきた知的財産、伝統、文化を壊し、市民や府民の利益にかなうものとは思えません。」 高森康彦 (大阪府立大学・名誉教授) 生物学
「「大阪都」の首長が描く成長戦略を強権的に進めることを可能にし、産業はもとより教育や文化活動にいたるまで、成果主義で煽りたてる競争社会を目指すものである。これでは自然環境どころか社会環境をも破壊しかねず、大阪をリスク都市に陥れると危惧される。」 西川榮一 (神戸商船大学・名誉教授) 工学
長年築き上げてきた科学や文化の蓄積、生活のあり方などが、「合理化」や「効率」の名のもとに切り捨てられるのではないかとの危惧を抱きます。あまりにも「効率追求」に走る事は社会を活性化させる事にはならないでしょう。」 和田幸子 (神戸市外国語大学・元教授) 国際経済論
二重行政論
「大阪府と大阪市の二重行政が税金のムダづかいを生むというのが、「維新の会」が「大阪都構想」を主張する最大の根拠になっています。しかし、その主張には根拠がありません。鶴田廣巳 (関西大学・教授) 財政学
「道府県と政令市とのいわゆる「二重行政」については、多くの場合ほとんど問題になっていないことから、そもそも政令市を解体する理由にはならない。」平岡和久 (立命館大学・教授) 地方財政学
「大阪府市は特別区になった場合の財政シミュレーションを示しているが、再編効果には大阪市の事業の民営化(地下鉄・バスや一般廃棄物事業など)や「市政改革プラン」など、「大阪都構想」による二重行政の解消とは関係のないものが意図的に盛り込まれている。それらを差し引けば、純粋な再編効果は単年度でせいぜい2~3億円程度しかなく、その一方で「大阪都構想」によって初期費用600億円、ランニング費用20億円/年が必要となり、財政的に大きな赤字の発生が懸念される。」森 裕之 (立命館大学・教授) 地方財政学
「二重行政が「大阪」をダメにした。これが大阪維新の主張のひとつ…(中略)…本当にそうでしょうか。…(中略)…機会すら"無用"という考え方には重大な問題がはらまれています。井上千一 (大阪人間科学大学・教授) 経営学
「広域行政を担う大阪府と基礎的自治体である市町村は、それぞれの役割と視点から行政を行っているので、「二重行政」が無駄とは一概には言えないのです。どうすればよりよい大阪を展望できるのか、その答は大阪市の廃止にあると結論する根拠を見出すことはできません。」 高山 新 (大阪教育大学・教授) 財政学
漠然としたイメージだけの二重行政批判にもとづいてリストラの発想による商工行政・支援機関の一元化が図られる場合、企業支援の水準が低下する恐れがある。」 本多哲夫 (大阪市立大学・教授) 地域経営論・中小企業論
経済・産業政策論
「「大阪都構想」は、住民の意思にもとづき住民の福祉向上をめざす自治組織を解体し、「大企業が潤えば、いまに住民も潤う」という破綻済みのトリクルダウン論にしがみついて、大企業奉仕の広域地方経営体をつくろうとするものでしかありません。」石川康宏 (神戸女学院大学・教授) 経済学
地域経済学の視点からみると、むしろ大阪経済のさらなる衰退を招くといわざるをえません。…(中略)…今必要なのは、現在の大阪市や区の行財政権限と住民自治機能を強めて、大阪経済の圧倒的部分を担っている中小企業群の再投資力を高めることで、主権者である住民の福祉の向上を図ることです。」岡田知弘 (京都大学・教授) 地域経済学
大阪経済の再生には、大阪市がこれまでの経済産業開発政策の総括と調査、研究を行い、社会のニーズと取り組みを発掘し、サポートするような都市経済政策とその実行が必要なのであって、大阪市を廃止し、大阪府に一体化したからできるものではない。西堀喜久夫 (愛知大学・教授) 地方財政学
「今、これ(中小企業)を支援する産業政策、住民主体の福祉の街、緑豊かで子供が育つ街つまりすこやか大阪が求められる、これが発展の方向だ。そのためには、住民に近い大阪市の区を活性化することだ。カジノなどはバブルの後遺症だ、決して、都への集権ではない。」北野正一 (兵庫県立大学・名誉教授) 経済学・経済政策論
都構想にとって唯一の地域政策であるカジノ(賭博場)誘致は、「公共の福祉に反しない」という要件を充たさないばかりでなく、それ自体、決して儲かる商売ではないことが明らかになっています。桜田照雄 (阪南大学・教授) 経営財務論
「住民投票にかけられる大阪市廃止・解体構想については、(大阪都構想の)理念とは全くの別物であり、また、制度疲労が言われている特別区による方法が、大阪の景気浮揚につながるとは思えません。東京には、益々水をあけられるだけでしょう。」道野真弘 (近畿大学・教授) 商法・会社法
「連綿と続く歴史的資産としての商店街が、「大阪都構想」によって一瞬にして解体されることによって、人々の生き生きとした生活が失われることになってしまうのではないかと強く懸念します。」中西大輔 (岐阜経済大学・専任講師) 流通経済論
「カジノ構想などの大型開発に依拠した成長戦略ではなく,大阪の中小企業の技術力を活かした大阪経済の活性化を目指すべきである。」 永島 昂 (立命館大学・准教授) 日本経済論
民営化論
水道は、最も公共性が高い地域独占のライフラインであり、住民は選択不可能である。…(中略)…公営が良く民営はだめと決めつけるのは早計である。…(中略)…大阪市が解体されて無くなると、必然的に大阪市水道局もなくなり、民営化される。」中村寿子 (阪南大学・非常勤講師) 水環境学
東京では都が直営している地下鉄、バス、水道について、なぜか大阪都構想では民営化するとしている。東京で民営化の予定はない。」西村 弥 (明治大学・准教授) 行政学、公共政策学
「大阪都構想のもとで行われる市民のセーフティネットでもある「保育園」などの民営化は,住民サービスの低下につながることが必至であり,これは行政の責任放棄と言えるのではないだろうか。」 野口義直 (摂南大学・准教授) 経済学
国土・都市計画論
「大阪都構想では、大阪市を廃止し、現区役所を出張所に変え、従来型まちづくりの延長であるカジノ誘致、高速道路などのインフラ整備を進めようとしている。このような大阪都構想では大阪の活性化は望めず破綻への道を歩むことになるだろう。」中山 徹 (奈良女子大学・教授) 都市計画学
「いま大阪に必要なのは分権型のまちづくりであり、大阪都(府)に一元化された巨大プロジェクト中心主義の集権型都市計画ではない。大阪市24行政区に都市計画権限を委譲し、市民の生活空間を住民主体のまちづくりで充実させることこそが、大阪の「都市の品格=都市格」を取り戻す道である。」広原盛明 (京都府立大学・元学長) 都市計画
「いま大阪に求められているのは、庶民の暮らしを守り、伝統を守り、未来を展望できる都市計画ではないでしょうか。」宗川吉汪 (京都工芸繊維大学・名誉教授) 生命科学
大阪市という大きな活力を携えた共同体の解体で、それによって支えられていた大阪、関西、そして日本の活力と強靱性が毀損し、大きく国益が損なわれる。藤井 聡 (京都大学大学院・教授) 公共政策論、国土・都市計画
大阪の長期衰退の原因は,西日本における中心性の低下,国土の双眼構造の崩壊に他ならない.府と市をくっつけて都を名乗ればそれで解決できるようなレベルではない構造的な問題が既に発生して(いる)。首都圏と関西圏では新幹線をはじめとする広域交通インフラの差が歴然としており,これが西日本における中心性を失っている主因である」 波床正敏 (大阪産業大学・教授) 交通計画、国土・都市計画
防災論
「防災・減災は選挙の票につながらないと素人政治家は判断し、今回の大阪都構想における大阪市の区割りや大阪府との役割分担において、防災・減災は全く考慮されていない。河田恵昭 (京都大学・名誉教授) 防災学
「「二重行政解消」を声高に叫ぶことは,市民のくらしをないがしろする維新の政治姿勢を自ら暴露するものに他ならない。危機管理の基本は「ダブルチェック」,東日本大震災の経験から導かれた減災の基本は「多重防御」であることを思い起こして欲しい。」 遠州尋美 (大阪経済大学・教授) 地域政策学
「5つの区への再編というのは市町村合併と同じで、地域自治を破壊し、災害時に大変な困難をもたらすことが、東日本大震災で明らかです。」 塩崎賢明 (立命館大学・教授) 都市計画学
教育・研究論
「大阪都になれば、政令指定都市として有していた独自財源の多くが府=都に吸い上げられる中で、政令指定都市が有していた優秀な教員確保のための採用や研修の権限は喪失し、同時に学校設置運営に関わる学校の条件整備はより劣化し貧弱になっていくことは明確である。」小野田正利 (大阪大学・教授) 教育学
「橋下氏自らが立ち上げた「大阪府「大阪府市新大学構想会議」の「提言」によれば…(中略)…大阪府大及び大阪市大の二つの大学は、教育と地域貢献の二つの面から、公立大学としての役割を立派に発揮してきたことは明らか…(中略)…橋下徹氏の知事当時からの主張である大阪府下にある「府・市公立大学の二重行政」なる批判は、その正反対の評価」(である)小林宏至 (大阪府立大学・名誉教授) 農業経済学
「大阪の教育はこの6年間の誤った教育市政によって,すでに大きく揺らいでいます。…(中略)…学問や教育は効率性だけで語られるものではありません。石上浩美 (大手前大学・准教授) 教育心理学・教師教育学
「大阪に府立大学と市立大学が存在することは決して無駄な重複が温存されているわけではない。…(中略)…府立公衆衛生研究所と市立環境科学研究所も府民、市民の健康と環境を守るためいっそう拡充を図るべきである。これらを浅薄な「効率性」のみを追求して統廃合するなら、府・市民のみならず国民的損失となるだろう。岩本智之 (京都大学・元助手) 気象学
「大阪市は環境分野の専門技術者を育ててきた。大阪市立環境科学研究所もその一つである。これ等の専門家集団は都市環境を守るために大きな役割を果たしている。大阪市の解体は、この専門家集団の解体につながる。いったん解体すると専門家集団の再育成には数十年の年月を要する。」 河野 仁 (兵庫県立大学・名誉教授) 大気環境学・気象学
「大阪市民の健康を守るため…(中略)…大阪市全域を管轄する環境局を存続・強化することが不可欠である。大阪市を特別区に分割することは上記の施策の継続と逆行(する)」 喜多善史 (大阪大学大学院・元助手) 大気環境学
「この大阪のまちで本気になって取り組まなければいけないことは、そのような「いのちのサイクル」を支える営みを豊かにすることであって、それを深く傷つけたり、ましてや破壊することではありません。」住友 剛 (京都精華大学・教授) 教育学
「「本当に強い大學」には市大と府大が共にランキングされている。この活力と研究の場が引き継がれている。…(中略)…大阪の為に共に発展させるべきである。」樋口泰一 (大阪市立大学・名誉教授) 化学
伝統・文化論
(大阪の伝統・文化の実例を列挙した上で)「これらは大阪市の優れた文化的伝統です。大阪市を解体・分割すると言うことは、これらの優れた伝統を断ち切る働きをすると危惧します。」鰺坂 真 (関西大学・名誉教授) 哲学
「大阪都構想」は、図書館、博物館、美術館だけでなく、文楽など伝統文化をふくめ、大阪ばかりか、上方の文化を破壊する危険性をはらんでいます。日本文化、伝統文化を守る立場から、「大阪都構想」に対して重大な疑義があると考えます。」 奥野卓司 (関西学院大学・教授・大学図書館長) メディア表象論
「いまの大阪に必要なことは、住民同士が互いに親しみや誇りを持てる地域を基盤に、長い時間をかけてこそ培われる伝統や文化を生かし、それを地域経済の礎とできるようなまちづくりであり、それは大阪市の廃止ではないでしょう。」菊本 舞 (岐阜経済大学・准教授) 地域経済論
「1925年、大阪市は面積を3倍に拡大する市域拡張を行いました。対象となった地域には、大量の農地が含まれていました。…(中略)…このとき形成された大阪市域は、現在のそれとほぼ一致しています。100年近くにわたり営々と築かれてきた大阪市の財産を解体することに、どのような意味があるのか、大阪市民の皆さんがよく吟味され、賢明な判断をされることを期待します。川瀬光義 (京都府立大学・教授) 財政学
大阪が目指すべきは,「大阪」という文化のもとで,大阪に暮らす人々にとって誇りが持てる「大阪」であり,それは「東京化」を進めることによってもたらされるものではない高橋 勉 (岐阜経済大学・教授) 経済学
「自治体は区域と住民そして自治体政府だけで成り立っているわけではない。その地で起きた歴史的事件やできごとの記憶が紡ぐ「わがまち」への想いがあって、その存在の重さと現実感がある。…(中略)…いまその「大阪市」を市民の投票で廃止することは、私には、人々の記憶や「大阪」の歴史的存在をも消し去ろうとしているように思えてならない。辻山幸宣 (中央大学・元教授) 行政学
「大阪市は戦前の関一市長の為政はじめ、先駆的な施策の伝統をもっている。また新憲法下では市長と市議会の選挙をくり返し、市民の願いを積みあげてきた歴史がある。それを崩そうとするねらいが、露骨に見えるのが今回の「構想」だ。中林 浩 (神戸松蔭女子学院大学・教授) 都市計画学
大阪市民が、歴史と文化、伝統ある大都市自治体を失う痛手ははかりしれなく大きい。」 広川禎秀 (大阪市立大学・名誉教授) 日本近現代史
『都構想』は大阪の歴史、伝統、文化等をも破壊する内容を含んでいます。」 和田 武 (立命館大学・元教授) 環境学

2015年5月6日水曜日

端午の節句といえば

  端午の節句といえば欠かせないものに『くすだま』があったことは枕草子や徒然草にも有名で、元は中国の端午の節句で魔除けとされてきたものが奈良時代には我が国に入ってきていたらしい。
 ただ、その『くすだま』は薬草等の玉をいろんな糸等で飾って提げたものらしいが、後に外見がさらに大いに発展・変化したという。
 しかし、『割り玉』へと劇的に進化させた発明者が何時の時代の誰であるのかは調べてみたが私には解らない。ご存知のお方は教えていただきたい。
 元来の魔除けの意味は薄れたかもしれないが、『割り玉のくすだま』は鉄道・道路・トンネル等の開通式には今も欠かせないものだから、単にお祝いだけでなく、今後の無事を、つまりは魔除けの性格をやっぱり確実に引き継いでいるようだ。
 だから、話は戻るが端午の節句といえば『くすだま』なのである。

  孫の誕生日が近いので、端午の節句と誕生日を併せて行った。
 余談ながら、息子の誕生日はクリスマスに近く、娘の誕生日は雛祭りに近いから、我が家の子孫は経済的にできている。
 だから、端午の節句と誕生日を祝って祖父ちゃん手作りの『くすだま』割りを行った。
 『くすだま』は、お祝いと魔除けでその趣旨はバッチリだろう。
 (なお、頭に刺しているのは菖蒲で、去年までは違和感があって少々嫌がっていたが、今年は当然のように着けてくれた)
 さて、この『くすだま』はそもそもの本音を言うと、だいぶ以前に孫の誕生日用にと作ったものだが、去年までは孫が小さすぎて披露しておらず、その間にあちこちの祝い事に出向いていたが、今回ようやく所期の目的に辿り着いたことになる。
 結果的に、主役の孫がこの『くすだま』を予想以上に喜んでくれて、「もう一回」「もう一回」と、結局10回ほども行い、その度に大笑いをした。
 何回かは孫が思いっきり引っ張るものだから、『くすだま』本体が落ちてしまったが、それも笑いの種だった。
 実は先日から義母の看護に明け暮れて大変だったが、この『くすだま』と笑い声で邪鬼も退散したことだろう。

 節(せち)は五月にしく月はなし。菖蒲(さうぶ)・蓬(よもぎ)などのかをりあひたる、いみじうをかし。…中宮などには、縫殿(ぬひどの)より御薬(くす)玉とて、色々の絲(いと)を組(く)み下(さ)げて参らせたれば、御(み)帳たてたる母屋(もや)のはしらに、左(ひだり)右につけたり。(枕草子 三九)

大阪市廃止で住民負担は増加する

 橋下氏は「住民サービスは低下しない」と言う。しかも歯切れがいい。
 しかし、それは全く根拠のないリップサービスで、住民負担増加の可能性は100%に近いというのが真相だろう。
 私は以下の「大谷昭宏事務所のWebサイト」の解説が正しいと思う。
 つまり、国保料は値上げされるし、家庭ゴミも有料化に向かうだろう。
 世の中で悪いことをする権力者は「アメとムチ」を用意するものだが、大阪市廃止案にはアメすらない。
 私はこの連載で、民主主義の問題や文化の問題をあまり触れず、もっぱら大阪市民の算盤勘定を書いてきたが、彼らのウリの算盤勘定が大損だと強調したかった。

 http://homepage2.nifty.com/otani-office/column/yo_073.html

 下の図でいえば、市税等一般会計からの繰り入れが無くなれば当然それだけ値上げされるのは自明のことである。


国民健康保険の財源構成
 

2015年5月5日火曜日

幻の二重行政論

 「二重行政解消で財源が生まれる」とのキャッチフレーズは魅惑的であった。
 「生まれた財源で生活が良くなる」と大阪市民に大きな夢を振りまいた。
 しかし、いったい何が二重で何をなくすことで財源が生まれるのかというと、ほとんどの市民は判らない。
 それもそのはずで、当初は4000億円の財源が生まれると言っていたのが、結局市議会に提出された資料では1億円となっている。維新のいう二重行政などほとんどないのだ。
 それどころか、5つの特別区には庁舎も必要だし、例えば教育委員会も5つ必要になる。
 市から府に移管する行政は、担当者が市職員から府職員になるだけである。
 庁舎改修等の初期コストが約680億円、運営コストは年間約15億円増というのが立命館大学政策科学部森教授の試算。
 「市役所と市職員がなくなって財源が生まれるのんとちゃうかったん」と市民は橋下氏の嘘に気づいてきた。
 こういうことを世間では詐欺というのだろう。
 その一方で市の税収6270億円(12年度)のうち、法人市民税や固定資産税など4620億円(約4分の3)が府のものとなり、痕には貧相な5つの特別区が取り残される。(森教授)
 そしたら何でこんなアホなことを橋下氏はしようとしているのか。
 ‟哲学も理想もない”というのが彼の特徴だから、常識ある市民にはそれが理解できない。
 7年間知事や市長をしてきて何の実績も上げられなかった責任逃れ、問題のすり替え、・・そして話題を引っ提げて国政に出たいというあたりだろうか。
 先日の記事で、東京23区自身は、特別区の権限と財源の少なさを嘆いて「特別区なんかいやや」と主張していることを指摘したが、これも大阪市民は知らなかったらしい(東京の・・特別区協議会『「都の区」の制度廃止と「基礎自治体連合」の構想』2007年12月)。
 名前を特別区にしたら自動的に世田谷区や新宿区みたいに賑やかになると思っていたようだ。
 ほんとうに東京のようになりたかったら、全国一の政令指定都市・大阪市を核にして中央政府に東京一極集中の是正等モノを言ってゆくべきだろう。
 それでこそ浪速っ子だと私は思うのだが。

 だから、大阪市の廃止・解体に反対の大阪市民は住民投票に足を運んで『反対』と書かなければならない。
 「棄権」は事実上賛成になってしまう。
 ・・・・・面白い動画を見つけた。



2015年5月4日月曜日

巧言令色鮮し仁

  テレビで橋下氏が都構想なるものを語っていたが、正直に言って話術が巧みで「なるほど、そうかも知れん」と思わせるものだった。
 しかし孔子先生はおっしゃっている。巧言令色鮮し仁(口のうまい者には気をつけろ)と。
 橋下氏曰く「このままでは大阪は衰退する」「その原因は行政の司令塔がないからだ」と。
 これは、解りやすそうだが雑な理屈である。国全体の政治・経済の分析なしで理屈にもなっていない。自分達が知事も市長も7年間もやってきて何という言い草。今までの大阪府に出来なかった(と橋下氏はいう)大阪府が大阪市解体後の大阪府(都ではない)になったら司令塔になるという支離滅裂。

 「大阪市が特別区に解体されてもサービスは低下しない」「そう書いてある協定書を総務大臣が認めているから間違いない」とも言う。
 ここにはごまかしがある。総務(省)大臣は協定書が要件を満たしていると審査するだけで、それ以上のことを総務省(国)が関与することはないし出来ない。一般庶民が国の行政システムを知らないことをいいことに、まるで法律で内容が裏打ちされているような印象操作だ。
 重ねて言うが「総務大臣が内容を了としている」かの物言いは詭弁である。
 この種の手法(話術)は詐欺師の常套手段である。
 その上に「サービスが低下しない」確約はない。仮に「低下しないようにする」と注釈的に書かれたとしても、それは今後は知事と府議会が決めることである。私が知事なら、旧大阪市よりも行政水準の低い府下の自治体が多数あるのに旧市内だけ手厚い水準を維持するのは「ちょっと待って」と言いたくなるだろう。誰が考えても解る常識だ。
 思い起こすと、こんな政治の話は何回も経験してきたことだ。国鉄民営化のときも、郵政民営化のときも、「サービスは低下させない」「今より格段に良くなる」とバラ色の確約が国会で発言された。しかし、儲からない地方はバッサリと斬り捨てられたではないか。これが地方消滅のひとつの要因でもある。
 政治の言葉で「低下させない」という言葉は修飾語のひとつでしかない。
 おまけを言えば、職員思想調査をはじめ、橋下市長が訴えられた訴訟は彼の連戦連敗である。
 それでも、ある種彼の歯切れのいい物言いを信じるのは、霊感商法、オレオレ詐欺を信じることと変わらない。
 重ねて言おう、師曰く巧言令色鮮し仁と。

 橋下氏は、当初は一番のキャッチコピーであった「どこが二重行政であるか」ということについてはもう説明できなくなっている。
 府立大学と市立大学があってなぜいけないのか、府立体育館と市立体育館があってなぜいけないのか、もう何も言えなくなっているが、だから論点をずらして「このままでは駄目だというのは知事と市長をやってきた僕が一番知っている」という言い方だ。
 確かに大阪府・市政は、同和行政の歪みや不動産屋まがいの開発優先策等の失敗をしてきたが、これは政策の話である。それとは別に「もうだめだ」というのは橋下氏と維新の7年間の無能ぶりを自白したものではないか。
 官民を問わず、7年間も知事や市長のような席にいて、「僕の責任ではない。組織が悪い」と言うのような無責任なリーダーはあり得ない。
 「目玉売ってこい」「腎臓売ってこい」の商工ローンの顧問弁護士や最後の色街・飛田新地の料飲組合の顧問弁護士をしていただけのことがある。
 ああ言えばこう言う、こう言えば徹、とでも言おうか。
 彼の言葉は耳で聞くと説得力があるように聞こえるが、文字に起こすと根拠のない断定、論理のすり替えでしかない。
 それは詐欺事件、催眠商法そっくりだと私は思う。

2015年5月3日日曜日

三重行政にする不思議

  「角は一流デパート赤木屋、黒木屋、白木屋さんで、紅おしろいつけたおねえちゃんから、ください頂戴で頂きますと、五千が六千、七千が八千、一万円はする品物だよ。今日はそれだけくださいとは言わない!え~い、もってけ泥棒、千円でどうだ!」との啖呵売も威勢よく、当初は「年間4000億円もの財源が浮いてくる」「これが都構想のすべてと言っても過言ではない」(14年3月)と言っていた橋下市長だが、市議会に報告された試算ではそれが年間1億円になり、挙句は特別区の設置等のために年間平均13億円の赤字が出る危険性が指摘され、14年7月には「僕の価値観は、財政効果に置いていない」とおっしゃる。
 しかも、特別区では手に負えない、堺市の全予算規模にも匹敵する6400億円程度の事業運営を『一部事務組合』という名のプチ大阪市を作って運営するというのだから、大阪府、一部事務組合(プチ大阪市)、特別区という三重行政を作るというのがこの構想。啖呵売の口上に酔っている場合ではない。(そもそも現状の何が二重行政かというと何も無駄に二重にしていることはほとんどない)
 日本で一番大きな政令指定都市・大阪市を分割するという非常識から出発したものだから、ほんとうは収拾のつかない三重行政になる。東京は相当以前から都区政であったので、こんな多くの一部事務組合はなく、ゴミの処理工場等文字どおり一部に限られている。
 もちろん、一部事務組合は運営のために長や議員が公選されることもないから、地方自治が身近になることもない。
 身近といえば、市民が普通に行う手続きは市役所でなく現に24ある区役所で行うもの。それが5つに集約された特別区役所に行かなければならないとなると不便になるだけだろう。それを避けるために支所とかの名前で旧区役所を置くなら四重行政?になる。冷静に考えればわかる話。
 結局、実際にはカネはかかるは、地方自治から遠ざかるはというのが都構想の真実。
 それに、こんな無茶な大変革をすれば、行政組織が疲弊して、福祉や住民サービスが跳んでしまうことだろう。
 ここ数年に就職された方には申し訳ないが、マクロで見れば、教員や府職員、市職員の就職の人気で大阪府・市の人気が落ち、優秀な人材が他府県に流れたというのはメディアも当然のように指摘している。
 はっきり言えば、大阪市長も知事も経営者として失格、管理能力稚拙としか言いようがない。
 結局そのしわ寄せは、サービス斬り捨て、負担の増額となって市民に跳ね返る。
 寅さんの映画で啖呵売のイメージもよくなったが、本来、啖呵売は少々胡散臭いものと言ったら言い過ぎだろうか。
 啖呵売は置いておいて、少なくとも橋下維新の口上は胡散臭い。
 それでも、そういう胡散臭い口上が流布しているのは在阪テレビ局をはじめとするマスコミのせいであることは間違いない。
 それでも壺を買おうとする霊感商法にはどんな薬があるだろう。
 おかしいと思った人が「おかしい」と自分の言葉で繰り返し語るしかないように思う。

2015年5月2日土曜日

東京コンプレックス

  いわゆる大阪都構想に一定の人気があるのは、一言で言って東京コンプレックスだと思う。
 東京が「都」なら大阪も「都」になりたいという幼児の発想に似ている。もちろん、圧倒的な大阪人はもっと大人の常識人ではあるが。
 「いや、そうではない。現に東京は繁栄しているのに大阪はじり貧やないか」という論もある。
 しかし、5月1日の記事に書いたが、東京の繁栄は経済の一極集中のためであり、特別区制度のためではない。
 それどころか、東京23区は特別区の廃止(きっと政令指定都市への昇格)を希望し、そうすればもっと都市政策が充実させられると考えている。
 藤井聡氏の著書から引用すると、東京23区の人口は916万人、大阪5区(大阪市のこと)の人口は269万人。東京23区のGDPは82兆円、大阪5区のGDPは20兆円。これが事実である。
 東京23区は、特別区ということで大きな損をしているが、それを補って余りある豊かな財源が「東京一極集中」という経済力によって担保されているということだろう。
 大阪的算盤勘定でいえば、日本一の政令指定都市・大阪のパワーで政府に迫るべきであるのに、それを町村以下の特別区に分割して「しゅん」としまうというのが住民投票で問われている「いわゆる都構想」である。
 この算盤勘定を判り難くしているのが在阪テレビ局等のマスコミだと思う。
 もういい加減に「東京がなんぼのもんじゃい」というような低レベルの放送は止めたらいかがだろう。
 
 なお、歴史的には宮(みや)とは天皇の居住するところ、京(みやこ)とはその街のことだから、現憲法的に解すれば国権の最高機関が所在する自治体が「都」(みやこ)であって不思議でない。(象徴天皇制とも背馳しない)
 私は、大阪府を大阪都と改称する法律は洒落ではいいが、ほんとうに議論をすれば「あほかいな」という議論だと思っている。
 「地方自治を語る前に歴史と国語を勉強しなさい」と、歴史学者・千田稔先生は朝日新聞紙上で橋下市長を批判していた。

2015年5月1日金曜日

大阪市廃止の非常識

  大阪市民を対象に5月17日に実施される住民投票は、政令指定都市・大阪市を廃止して5つの特別区に再編するというものだが、マスコミが正しく報道しないものだから、大阪都ができるかのような錯覚がある。条例案には「都」という言葉は一言も書かれていないのに。
 テレビでは「いっぺんやってみたらええやん」とコメンテーターや芸人が言っているが、「ダメだった」と判っても特別区を政令指定都市に戻す法律はこの国にはないから、「ようわからん」まま賛成するのは危険極まりない。
 そもそも地方自治体は、できる限り自由にできる予算と権限を持ちたいから、村よりも町、町よりも一般市、一般市よりも中核市、中核市よりも政令指定都市になろうと努力している。
 だから、政令指定都市の市長は知事と対等に渡り合ったりして、そのことを通じて市民はサービスと福祉を手厚く受けている。神戸市、京都市、横浜市しかり。
 だから東京の23区は、共同でとりまとめた【特別区協議会『「都の区」の制度廃止と「基礎自治体連合」の構想』で、特別区制度の廃止を明確に主張している。
 だから橋下市長のいう「政令指定都市・大阪市廃止案」は少しでも地方自治を知るものにとっては論外ともいえる非常識なことである。
 大阪的に算盤勘定でいえば、大阪市(市民)は、年間2200億円分の財源と権限を失い、町村長以下の権限しかない特別区長は知事にお願いして予算をいただくことになる。
 橋下氏は、「大阪市が担っていたサービスは低下させない」というが、そんな制度的担保は協定書のどこにもないし、橋下氏の「口約」が‟でまかせ”であった例は枚挙にいとまがない。
 私のように堺市に愛着のある者でも、大阪市が大阪府の核であることは間違いないと思っている。
 政令指定都市・大阪市の消滅は大阪府や関西圏にとっても決定的なダメージになるだろう。
 関西経済の閉塞感から、何かガラガラポンとやってみたい気分で住民投票に賛成するのは大阪市民と関西圏の自殺行為に等しいと私は考えている。
 橋下氏は知事時代にこう言った。「大阪市が持っている権限、力、お金をむしり取る」(2011.6.30読売新聞)と。