2015年9月30日水曜日

安倍や橋下を支持する気分

ネットにあった沖縄の月
  戦争法案の国会審議では安倍首相の傲慢ぶりがこれでもかというほどに明らかになったが、それでも内閣支持率は一定程度ある。
 一日たてば昨日と違うことを平気で言いまくる橋下市長の嘘放題は明らかなのに、先の東大阪市議選挙では大阪維新が相当な票をとった。
 そういう現象を支えているのはマネーゲームで所得が急増した大金持ちだけではなく、本来はそういう政治で報われていない「弱者」であり現状に強い不満と閉塞感を感じている庶民であるというところを直視しなければならないと私は思う。
 その層に共通する意識は、自分には能力があるのに社会は正当に評価してくれていないという絶望的な不満と、自分たちの払った税金に公務員や生活保護受給者や高齢者が「ただ乗り」しているのが我慢ならないという誤った「不寛容」が特徴だろう。
 「怠け者が自分の取り分を横取りしている」という強烈な被害者意識と、理論や展望があるわけではないが過去の制度を全部壊してみたらそのどさくさに何かチャンスが廻ってくるかもしれないという虚無主義・破壊願望・射幸心に心が捕まえられている。・・・という指摘を内田樹氏が6月初めの新聞紙上で述べていたが、ほんとうに同感で背筋に寒さを覚える。
 大事な点は、現代の・・貴方の・・生活の苦しさと展望の見えない閉塞感は、高齢者を始めとする「弱者」や羨ましい正規雇用労働者が「甘い汁を吸っている」からではなく、小泉内閣以来の規制緩和、官から民へ、自己責任の路線(経済学的には新自由主義、いうならば市場原理主義)こそがその元凶だということで、安倍や橋下はその路線の優等生だという説明だろう。
 マスコミは政治の課題をシバシバ与野党の党利だとか政局だとかとして報道し誘導するが、そんな皮相な記事を重ねているうちにこの国は取り返しのつかない局面に突入しないだろうか。
 情勢に絶望しているわけではないが、現状をリアルに認識しておくことも大切だと思う。
 11月22日大阪W選挙投票日に向けて、冷静な問題提起をブログで再開しようと思うが、大阪の現状を直視すれば、反維新の一点共闘に自主的自覚的に誠実に努力すること以外にないだろう。

2015年9月29日火曜日

スーパームーン

  28日、スーパームーンの月の出は、一万尺の山頂で見るご来光のように神秘的でさえあった。
 月は、ついこの間の明治維新までは私たちの生活のリズムそのものであったから、スーパームーンに胸躍るのはDNAのなせる業だろう。
 事実、月齢ごとの月の名称の多さは太陽の比ではない。
 というか、印刷されたカレンダーにどっぷり馴染み、月齢に関心がなくなったなら、それは現代病に侵されている証しに違いない。
 何ということはないが、スーパームーンを見ながら夫婦で「いいね」と頷きあった。

2015年9月28日月曜日

雲がくれにし 夜半の月かな

  めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな
 【そのように、久しぶりに逢ったのが、あなたかどうかもはっきりしないうちに、あわただしく帰ってしまわれたことよ】
 十五夜の出具合によって作物や漁の豊凶を占った古人の気持ちはよく判る。
 占いながらも、力を込めて月に願いをかけたことだろう。
 なら、今年のこの微妙な雲がくれの状況ははどうだろう、満つれば欠けるとの言葉もあるから、非常にほどほどで善い未来を暗示したと理解したい。

  今年は老夫婦二人だけなので、数多い月見団子を飾るのは持て余すから、鶴屋八幡の月見餅、月の兎、ススキの饅頭だけにした。
 鶴屋八幡の月見餅(月見団子)は左右に白い団子が出ている馴染の形でなく、団子全体に漉し餡が捲かれていた。
 デパートの店員に「この形の謂われは何ですか?」と聞いてみたが当然のとおり「解らない」ということだった。
 単純に理解すれば、芋名月の里芋に似せたものと想像できる。
 すべて甘すぎることがなく上品な味だった。結構でした。
 お月さま、ほどほどの未来をお願いします。

2015年9月27日日曜日

ウスバアゲハ?

  もしかしたら学術的に意味のある発見かも知れない?
 2015年9月26日朝、京阪奈の地(我が家の庭)で発見した。
 「ウスバチョウだ!」と思ってカメラを取りに部屋と往復して撮影した。
 その後おもむろに昆虫図鑑で調べてみたところ・・・・。
 図鑑で一番近い絵はエゾシロチョウだったが生息地はその名のとおり北海道という。
 次に近いのがミヤマシロチョウだがこれもまたその名のとおり高山蝶。
 なので3番目にそれらしいウスバアゲハ(ウスバシロチョウ)が本命のような気がする。
 胸部の周りの毛が黄色いという解説がドンピシャだが図鑑よりもこの写真の方が鮮やかすぎる。(図鑑ではこれほど鮮明ではない)
 そして図鑑には後ろ翅の尾状突起はないが、写真のはまるで尻尾のような微妙な感じに写っている。(そこだけならホソオチョウ)
 また解説には「山に沿った明るい草地や畑」とあるが、ここ(我が家)はそんなに山沿いではない。
 さらに図鑑では後ろ翅の中央寄りが相当黒くなっているが、写真は全くと言ってよいほど黒くない。
 そして最大の疑問点は図鑑には「成虫の出現期」が4~6月となっているところ。今は9月下旬。
 だとしたら、実は図鑑にない新種発見なのか、図鑑の解説の訂正を要する発見なのか。誰か教えてください。
 なお、他の本では「幼虫(幼い蝶?)は石の上で日向ぼっこをする」とあったが、最初の発見時はほんとうにそういう状態だった。
 なので「死にかけているのか」と思って手に止まらせてもじっとしていて、紫蘇の葉に乗せて写真を撮り直した。
 だから、そもそも紫蘇の花の蜜を吸いに来ていたのを発見したわけではない。
 さらに暖かいテーブルに止まらせ、望遠レンズを広角レンズに換えようとしているうちに飛び去ってしまった。あ~あ。

 27日早朝追記
 この記事をFBで、著名な昆虫博士谷幸三先生に尋ねたところ次のような返事をいただいた。
 
 【チョウ目の蛾の仲間です。一般で言うチョウではありません。これから桜の木の近くで良く見られます。マダラガ科のウスバツバメです。幼虫はウメ・サクラ・アンズ等の葉を食べます。蛾ですが昼間によるやかに飛びます。チョウの図鑑を見てもでてきません。普通種です。幼虫は5月から6月に見られます。】

 なな、なんと! 蛾!
 早速、ポプラ社の「大図鑑」をめくってみたが載っていない。
 が、ネット社会の成熟は素晴らしい。ネットではすぐに確認できた。まちがいない。
 写真がドンピシャだし、見つけたのはハナモモの下だった。
 第一印象は「蛾かな?」だったので結構いい線をいっていたのかもしれないが、その美しさにてっきり蝶だと信じ込んできた。
 ネットの解説にも、「秋に一度だけ現れる優美な蛾」だとか「上品な蛾」という言葉が連ねられているがほんとうにそんな感じ。「関西に多い」というのも納得。関東の昆虫少年は羨ましがるらしい。
 谷先生ありがとうございました。

2015年9月25日金曜日

取るに足らない話

  電車に乗っていたら、途中駅のホームから鳩が乗り込んできた。
 ちょこちょこちょこピョン!という感じで、一人前の乗車マナーを守って乗り込んできた。
 だが発車のアナウンスも鳩には通じずドアは閉まり、今度は車窓の走る風景に驚いたのか狭い車内をヒッチコックばりに飛んだものだからちょっとした騒ぎになった。
 一番後ろの車両だったから、車掌が出てきて窓を開けて救出?して一件落着したが、今後は鳩に対して「乗車しないよう」どうアナウンスするかが課題だろうか?
  さて、アナウンスや発車ベルはある種のアラーム音(警告音)だろうが、そのことから連想して思い出したことがある。

  ウルトラの母(はは)さんに、目くじらを立てて言うつもりはないが、こんな感想もありだと思って読んでほしい。
 クリナップ流し台のウルトラの母は「時間に追われる母たち」の代表らしいから、そのCMに異存はない。
 ただ、そのBGMのようなアラーム音が「気にかかる人には気にかかる」こともあると言いたいだけ。

  というのも病院の集中治療室(ICU)にはいろんなモニターが並んでいて、あの種のアラーム音とランプの点滅は文字どおり危険を知らせる信号。
 ICUではそれがひっきりなしに鳴っている。
 だから、あのCMから流れるアラーム音には、どうしてもICUの光景が思い浮かべさせられ心は穏やかでなくなる。
 まあ、世の中にはそんなふうに感じることもあるよと言いたいだけ。
 そんなことを言うと、山のようにあるサスペンスドラマで救急車が走り回るのまで気になる人もあるだろうから私は目くじらは立てない。
 現代社会で大切なことは「寛容」だろうから。それは判っている。
 一説によると、あれはウルトラの母が多忙のためエネルギーが切れかかっていることを表現している「お馴染みの警告音」らしい?が、私は全く知らない。この警告音の解説が正しいかどうかも自信がない。いつもながら取るに足らない話で申し訳ない。

2015年9月23日水曜日

凡人の考え

 先日の妻の誕生日に、妻が母の介護のために特養へ行っている間に生花を買ってきて活けておいた。
 極めてささやかなバースデイ プレゼント。
 しかし、今度は私の外出中にすっかり活け直されていて、「プレバトで何度も言われているのに」と『凡人』の烙印を押されてしまった。
 やはり何事も定石を押さえたうえで展開するというのが王道だろう。

コブシの実
木々さえも拳を挙げている
  王道といえば、今回の戦争法案反対の諸行動も、自覚した人々が誰かに誘われるのを待つのでなく、「どこかに参加できる行動はないか」と探して自主的に立ち上がるのが王道。
 介護と看護を抱える身としては「力を出し切っただろうか」という反省もあるが、友人のHさんやTさんの「ここにも行ってきたよ」という報告を聞くたびに頭が下がった。さらには弾丸ツアーで国会に行ってきたIさんもいる。

 そういうことを見聞きしたうえで思うとすると、私は国民連合政府構想の選挙協力にもある意味楽観的になる。
 そう、自覚的な人々が私心なく努力すれば理解が飛躍的に広がる素地は十分にある。
 大切なことは行動以前に高邁な理屈をいうような、内弁慶にならないことだと思う。
 W選挙を控えた大阪では、「反おおさか維新」で柳本自民党大阪市会議員団幹事長を無所属の市長候補に推す可能性が高いと想像するが、国民連合政府との整合性という理屈だけで言えば気が狂いそうに複雑で難しい。が、単純に市民の利益と考え、あの住民投票の実績を見ればそれで良いように私は考える。(ただし、そういう問題の当事者ではないから正確ではないかもしれない)
 今までの経験知では測れない歴史の展開が実際に起こっている。
 危機意識を忘れてはならないが愉快な時代の戸口に立っていると思うことも大切だ。

2015年9月21日月曜日

曼珠沙華

ナミアゲハ
  「彼岸花はどうして開花の時期を知るのか」という疑問は誰もが抱く疑問らしくネット上でもにぎやかだ。
 それによると開花の準備は春から始まっているようで、高温はその生育を抑制し、一定の気温まで下がるとラストスパートがかかるようだ。気温といったが正確には地温だろう。
 それを確かめるために自分のブログを検索してみたら、2010年猛暑の年は開花が9月末頃まで遅れていた。
 そして今年は・・というと、お彼岸の中日よりも2~3日早いから、割りあい早くに秋風が吹いたことで開花が少し早まったものに違いない。平均的には我が家の曼珠沙華はほんとうに彼岸の中日に咲く。
 童話「ごんぎつね」では彼岸花の道を葬列が進む。
 それだけでもなくあまり歓迎されない別名の多い彼岸花だが、曼珠沙華は法華経に説く天界の花とも言われている。
ベニシジミ
  その野趣が好きなので庭に植えたがあまりに増えたので半分ほどは捨ててしまった。
 心の中では「変な庭だ」と思っているだろうが、道行く人々はお愛想で「綺麗ですね」と言って通って行ってくれる。
 次の主人公はフジバカマになる。
 今年もアサギマダラが来てくれるだろうか。

  ※ ひげ親父さんのコメントに応えて、赤いフジバカマの写真を追加








  ※ 白い彼岸花も追加

2015年9月19日土曜日

志位委員長の歴史的な提案

 19日16時過ぎから日本共産党志位委員長の記者会見がありライブで視聴した。
 会見のメーンテーマは「戦争法廃止、集団的自衛権の閣議決定撤回」の一致点で共同する国民連合政府をつくろう!それを野党5党を始め広く国民に訴え胸襟を開いて話し合おう!それを現実のものとするためには合意に基づく選挙協力もしよう!というものだった。
 現実味があるという意味では歴史的な提案だと私は思うし歓迎する。
 社会の動きは常に同じスピードで変化していくのでなく、このような激動の局面をつくるものだ。
 いろんな意見があり簡単に成るものとも思われないが、現に本日未明まで闘った5党1会派の共闘に自信を持とう。
 そして、それを実現する力はある種の世論だと思う。
 呼びかけは広く国民に提起されている。
 自由闊達な意見の表明をしていこう。
 強行採決はされたが心は元気である。
 提起されたペーパーは次のとおり。


  「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」の実現をよびかけます

   2015年9月19日 日本共産党中央委員会幹部会委員長 志位和夫

 安倍自公政権は、19日、安保法制――戦争法の採決を強行しました。
私たちは、空前の規模で広がった国民の運動と、6割を超す「今国会での成立に反対」という国民の世論に背いて、憲法違反の戦争法を強行した安倍自公政権に対して、満身の怒りを込めて抗議します。
同時に、たたかいを通じて希望も見えてきました。戦争法案の廃案を求めて、国民一人ひとりが、主権者として自覚的・自発的に声をあげ、立ち上がるという、戦後かつてない新しい国民運動が広がっていること、そのなかでとりわけ若者たちが素晴らしい役割を発揮していることは、日本の未来にとっての大きな希望です。
国民の声、国民の運動にこたえて、野党が結束して、法案成立阻止のためにたたかったことも、大きな意義をもつものと考えます。
このたたかいは、政府・与党の強行採決によって止まるものでは決してありません。政権党のこの横暴は、平和と民主主義を希求する国民のたたかいの新たな発展を促さざるをえないでしょう。
私たちは、国民のみなさんにつぎの呼びかけをおこないます。

1、戦争法(安保法制)廃止、安倍政権打倒のたたかいをさらに発展させよう

戦争法(安保法制)は、政府・与党の「数の暴力」で成立させられたからといって、それを許したままにしておくことは絶対にできないものです。
何よりも、戦争法は、日本国憲法に真っ向から背く違憲立法です。戦争法に盛り込まれた「戦闘地域」での兵站、戦乱が続く地域での治安活動、米軍防護の武器使用、そして集団的自衛権行使――そのどれもが、憲法9条を蹂躙して、自衛隊の海外での武力行使に道を開くものとなっています。日本の平和と国民の命を危険にさらすこのような法律を、一刻たりとも放置するわけにはいきません。
戦争法に対して、圧倒的多数の憲法学者、歴代の内閣法制局長官、元最高裁判所長官を含むかつてない広範な人々から憲法違反という批判が集中しています。このような重大な違憲立法の存続を許すならば、立憲主義、民主主義、法の支配というわが国の存立の土台が根底から覆されることになりかねません。
安倍首相は、〝国会多数での議決が民主主義だ〟と繰り返していますが、昨年の総選挙で17%の有権者の支持で議席の多数を得たことを理由に、6割を超える国民の多数意思を踏みにじり、違憲立法を強行することは、国民主権という日本国憲法が立脚する民主主義の根幹を破壊するものです。
私たちは、心から呼びかけます。憲法違反の戦争法を廃止し、日本の政治に立憲主義と民主主義をとりもどす、新たなたたかいをおこそうではありませんか。安倍政権打倒のたたかいをさらに発展させようではありませんか。

2、戦争法廃止で一致する政党・団体・個人が共同して国民連合政府をつくろう

憲法違反の戦争法を廃止するためには、衆議院と参議院の選挙で、廃止に賛成する政治勢力が多数を占め、国会で廃止の議決を行うことが不可欠です。同時に、昨年7月1日の安倍政権による集団的自衛権行使容認の「閣議決定」を撤回することが必要です。この2つの仕事を確実にやりとげるためには、安倍自公政権を退陣に追い込み、これらの課題を実行する政府をつくることがどうしても必要です。
私たちは、心から呼びかけます。〝戦争法廃止、立憲主義を取り戻す〟――この一点で一致するすべての政党・団体・個人が共同して、「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」を樹立しようではありませんか。この旗印を高く掲げて、安倍政権を追い詰め、すみやかな衆議院の解散・総選挙を勝ち取ろうではありませんか。
この連合政府の任務は、集団的自衛権行使容認の「閣議決定」を撤回し、戦争法を廃止し、日本の政治に立憲主義と民主主義をとりもどすことにあります。
この連合政府は、〝戦争法廃止、立憲主義を取り戻す〟という一点での合意を基礎にした政府であり、その性格は暫定的なものとなります。私たちは、戦争法廃止という任務を実現した時点で、その先の日本の進路については、解散・総選挙をおこない、国民の審判をふまえて選択すべきだと考えます。
野党間には、日米安保条約への態度をはじめ、国政の諸問題での政策的な違いが存在します。そうした違いがあっても、それは互いに留保・凍結して、憲法違反の戦争法を廃止し、立憲主義の秩序を回復するという緊急・重大な任務で大同団結しようというのが、私たちの提案です。この緊急・重大な任務での大同団結がはかられるならば、当面するその他の国政上の問題についても、相違点は横に置き、一致点で合意形成をはかるという原則にたった対応が可能になると考えます。
この連合政府の任務は限られたものですが、この政府のもとで、日本国憲法の精神にそくした新しい政治への一歩が踏み出されるならば、それは、主権者である国民が、文字通り国民自身の力で、国政を動かすという一大壮挙となり、日本の政治の新しい局面を開くことになることは疑いありません。

3、「戦争法廃止の国民連合政府」で一致する野党が、国政選挙で選挙協力を行おう

来るべき国政選挙――衆議院選挙と参議院選挙で、戦争法廃止を掲げる勢力が多数を占め、連合政府を実現するためには、野党間の選挙協力が不可欠です。
私たちは、これまで、国政選挙で野党間の選挙協力を行うためには、選挙協力の意思とともに、国政上の基本問題での一致が必要となるという態度をとってきました。同時に、昨年の総選挙の沖縄1~4区の小選挙区選挙で行った、「米軍新基地建設反対」を掲げての選挙協力のように、〝国民的な大義〟が明瞭な場合には、政策的違いがあってもそれを横に置いて、柔軟に対応するということを実行してきました。
いま私たちが直面している、戦争法を廃止し、日本の政治に立憲主義と民主主義をとりもどすという課題は、文字通りの〝国民的な大義〟をもった課題です。
日本共産党は、「戦争法廃止の国民連合政府」をつくるという〝国民的な大義〟で一致するすべての野党が、来るべき国政選挙で選挙協力を行うことを心から呼びかけるとともに、その実現のために誠実に力をつくす決意です。
この間の戦争法案に反対する新しい国民運動の歴史的高揚は、戦後70年を経て、日本国憲法の理念、民主主義の理念が、日本国民の中に深く定着し、豊かに成熟しつつあることを示しています。国民一人一人が、主権者としての力を行使して、希望ある日本の未来を開こうではありませんか。

すべての政党・団体・個人が、思想・信条の違い、政治的立場の違いを乗り越えて力をあわせ、安倍自公政権を退場させ、立憲主義・民主主義・平和主義を貫く新しい政治をつくろうではありませんか。

捨てたものでない

  国会内は小選挙区制という歪みのおかげで与党の横暴が通ってしまっているが、国会外に目を転じると、シールズの大学生・高校生を始め法曹界、学者、宗教家、いわゆる文化人などの一人ひとりの自覚・信念に基づく自主的な運動が非常に抑制的というか規律的に盛り上がっている。
 もちろん、母親、高齢者、労働組合、年金者組合、普通の庶民等々しかりである。
 その様相は、我が国現代史になかった新しい局面を生んでいると私は信じている。
 後日振り返るときっと「すごいこと」に違いない。
 だからそれが国会内をも後押しし、共産党を含む野党5党の最後までの連帯を生んでいる。これも「すごいこと」だ。
 今は日本会議を母体としたファシズムが首相を取り込み自民党を乗っ取ったが、それは自公の終わりの始まりになっている。
 この国も捨てたものではないと私は心底から感じている。
 ただし、この5党連帯の経験をどう沖縄型の連帯にまで発展できるか、そして、なお行動に立ち上がるまでに至っていない人々の心に伝わる運動をどう創造・工夫できるか。自覚した人々による、マスコミの劣化を補って余りある発信をどう飛躍的に発展させられるか。・・・私たちは悩み、語り、努力しなければならないと思う。しかしそれは楽しいことである。

2015年9月18日金曜日

戦争は文化ではない


  著名人の名前におもねて話す気はないが、石田純一氏が国会前でスピーチした姿には感心した。
 マスコミ業界では干される危険性もあるだろうことは誰にも判ることだが、それを押しての行動は売名行為などではない、彼の本来的な知性と勇気だと思う。
 このブログの6月19日に「深めない責任者」という記事を書き、その中で「おは朝」の石田純一氏が、当時安倍首相が「海外の邦人を守るために戦争法案が必要だ」と語り、けっこうその宣伝文句が広がりつつある中で、「邦人を守るためと満州に出兵した軍隊が庶民をほったらかしにして軍人だけ帰ったんですよね」と語ったことを肯定的に紹介したが、私の記事の妥当性が証明されたようでうれしい。
  例の「不倫は文化」をもじって「戦争は文化ではない」と語ったのは「一流芸能人」の証だとおもう。

ゆゆしき事態

    参議院特別委員会の速記録。
  形容詞「ゆゆし」は、もともと、飛びぬけて程度がはなはだしいこと。【大和言葉】
 しかし私は、この国の民主主義を求める運動の未来の明るさを感じさせる日だったようにも感じる。

2015年9月17日木曜日

さもしい

   「さもしい」は、品性が下劣で心が卑しいこと【上野誠著 さりげなく思いやりが伝わる大和言葉】
 15日の中央公聴会における元最高裁判所判事濱田邦夫氏の意見陳述は論理的でかつユーモアがあって楽しいものだった。
 私には氏が安倍晋三氏を「何ともさもしい男だ」と憐れんでいたようにも思えた。
 「今は亡き内閣法制局」にも笑ったが「知性と品性と理性、少なくともそれがあるような見せかけでもやっていただきたい」という氏の精一杯の皮肉に情けない気持ちで共感した。
 翌日の新聞には「財界が武器輸出の推進を提言」という記事が掲載され、テレビのニュースは「社会保障費の抑制を厚労相に申し入れ」と報じた。
 戦争法案の衣の下どころの騒ぎではない。露骨である。
 ああ、この国ではもはや「見せかけ」すらない猥雑な思想が白昼堂々闊歩している。
 濱田意見の全文を読んで心を清掃したい。
 国会は緊迫している。

 「弁護士で、元最高裁判所裁判官の濱田邦夫でございます。私は、今、坂元公述人が言われた立場と反対の立場を取る者です。その理由について、これから申し上げます。
  まず、私の生い立ちというかですね、ちょっとご紹介したいんですが、70年前、私は9歳の少年でした。静岡市におりまして、戦災、戦争の惨禍というか、その状況をある程度経験しています。それと、駐留軍が、まあ占領軍がですね、米軍が進駐してきて、その米軍の振る舞いというか、それも見ております。また、いわゆる戦後民主主義教育の、いわば第一陣の世代ということでございます。
  その後、日本は戦争をしないということで、経済的に非常に成長を遂げ、その間、私自身は、弁護士としてですね、主として海外のビジネスに携わって、国際経験というものを積んでおります。最高裁では、私のような経歴の者が最高裁に入るのはちょっと異例ではございましたけれども、それなりに色々貴重な経験をさせていただきました。今回、こちらの公聴会で意見を述べさせていただくバックグラウンドというものを、一応、紹介させていただきました。
  安倍総理大臣がですね、この特別委員会で申されていることはですね、我が国を取り巻く安全保障環境が著しく変わっている、と。そのために、日米の緊密な協力が不可欠だということを仰っています。
  そのこと自体については、いろいろ考え方があり得るので、戦後、昭和47年に政府見解というものが出ておりますけど、その当時は、沖縄返還に続いて日中の国交が回復したというような状況で、冷戦体制というものがありましたので、その状況と比較して、もう全然違うという認識がよろしいのかどうか、疑問があるところだと思います。
  それから、その次に安倍総理が仰っていることはですね、今の子どもたちや未来の子どもたちへと戦争のない平和な社会を築いていくことは、政府の最も重要な責務だ、と。平和安全法制は、憲法第9条の範囲内で国民の命と平和な暮らしを守りぬくために不可欠な法制であると仰っているんですが、趣旨はまったく賛成でございます。私も、4人孫がおりましてですね、今日ここにいるというのも、この4人の孫のみならず、その世代に自由で平和な、豊かな社会を残したいという思いからでございますが、憲法9条の範囲内ではないんじゃないか、というのが、私の意見でございます。
  その根拠としてはですね、一つあげられることは、我が国の最高裁判所という所は、成立した法律について、違憲であるという判断した事例が非常に少ない、と。ドイツとかアメリカは、割合頻繁に裁判所が憲法判断をしておるわけですけど、日本はしてないということを、海外に行きますとよく聞かれます。その理由はですね、日本の最高裁判所は、アメリカの最高裁判所と同じように、具体的な事例にもとづいての憲法判断ということで、抽象的に法令の合憲性を判断するいわゆる憲法裁判所とは違うということにあります。
  なぜ、日本では、裁判所に、司法府に憲法判断が持ち込まれないかというと、これは、今は亡きというとちょっと大げさですけれど、内閣法制局というところがですね、60年にわたって非常に綿密に政府提案の合憲性を審査してきた、と。この歴史があったがゆえに、裁判所のほうは、そういう判断をしないでも済んだということがございます。
  今回の法制については、聞くところによると、この伝統ある内閣法制局の合憲性のチェックというものが、ほとんどなされていない、というふうにうかがっておりますが、これは、将来、司法判断にその色々な法案が任されるというような事態にもなるんではないかというような感じもします。
  それと、今の坂元公述人のお話を聞いていますと、『大丈夫だ、これで最高裁は違憲の判断をするわけない』と仰っていますが、私がここに出てきた一つの理由は、元最高裁判所裁判官ということでございますけれど、裁判官を私も5年間やりましたが、ルールというか規範として、やはり現役の裁判官たちに、影響を及ぼすようなことはOBとしてはやるべきではない、ということでございます。
  私がこの問題について公に発言するようになったのは、ごく最近でございます。それは非常に危機感がございましてですね、そういう裁判官を経験した者の自立性ということだけでは済まない、つまり日本の民主社会の基盤が崩れていく、と。言論の自由とかですね、報道の自由、色々な意味で、それから学問の自由、これは、大学人がこれだけ立ち上がって反対しているということは、日本の知的活動についての重大な脅威だというふうにお考えになっている、ということがございます。
  それで、本来は憲法9条の改正手続きを経るべきものを、内閣の閣議決定で急に変えるということはですね、法解釈の安定性という意味において、非常に問題がある。つまり、対外的に見ても、なぜ日本の憲法解釈が安定してきたかということは、今言ったように、司法判断がありますが、それを非常にサポートするというか、内閣の法制局の活動というものがあったわけですけれども、これが一内閣の判断で変えられるということであれば、失礼ながら、この内閣が変わればですね、また、元に戻せるよということにもなるわけです。その点は、結局は国民の審判ということになると思います。
  法理論の問題としては、砂川判決と、昭和47年の政府見解というものがございますが、砂川判決については、ご承知のように、元最高裁判所長官の山口繁さんが非常に明快に述べておりまして、それと、私自身も、アメリカ・ハーバードスクールで勉強した身としてですね、英米法の拘束力ある判決の理由と、暴論ですね、そういうことは日本に直接は適用がなくても、基本的には、日本の最高裁判所の判決についても適用されると思っておりまして、砂川判決の具体的事案としては、米国の軍隊の存在が憲法に違反するかということがですね、中心的な事案でございまして、その理由として、自衛権というものがあるという抽象的な判断、それから統治権理論ということで、軽々に司法府が立法府の判断を覆すということは許されないということが述べられておりますけれども、個別的であろうが集団的であろうが、そういう自衛隊そのもの、元は警察予備隊と言っていたそういう存在について、争われた事案ではないという意味において、これを理由とするということは非常に問題がある、ということでございます。
  それから、昭和47年の政府見解につきましてはですね、お手元に、重複になるとは思いましたけれど、お配りした資料というのがございますが、それを見ますとですね、カラーコピーで赤いハンコが出てますけれど、関与した吉國長官とかですね、真田次長、総務主官、それから参事官ですね、そういった方々が、国会でも証言しているように、この時には海外派兵というかですね、そういった集団的自衛権というものそのものは、政府としては認められない、と。それとあの、内閣法制局なり長官の意見というのは、あくまで内閣を助けるための判断でございまして、そのアドバイスにもとづいて、歴代の内閣が、総理大臣が決定した解釈でございます。
  それで、今回私も初めて目にした資料がですね、その時、防衛庁というところが、『自衛行動の範囲について』という見解をまとめてそれを法制局の意見を求めた、ということでございまして、手書きのところには防衛庁とありますが、ワープロに打ちなおしたところには防衛庁という記載がございませんけれども、いずれにしろ、これは防衛庁のものと認められて、国会にも出されております。
  この47年の政府見解なるものの、作成経過およびその後の、その当時の国会での答弁等を考えますとですね、政府としては明らかに、外国による武力行使というものの対象は、我が国である、と。これは日本語の読み方としてですね、普通の知的レベルの人ならば、問題なく、それは最後のほうを読めばですね、『従って』という第3段ではっきりしているわけで、それを強引にですね、その外国の武力行使というものが、日本に対するものに限らないんだと読み替えをするというのは、非常にこれはなんと言いますか、字義をあやつって、法律そのものを、法文そのものの意図するところとはかけ離れたことを主張する、と。これは悪しき例である、と。
  こういうことでございまして、とても法律専門家の検証に耐えられない、と。まあ私なり、山口元長官が言っていることはですね、これは常識的なことを言っているまでで、現裁判官、現裁判所に影響を及ぼそうということじゃなくてですね、普通の一国民、一市民として、また、法律を勉強したものとして、当然のことを言っているまででございますので、私は、坂元公述人のように、最高裁では絶対違憲の判決が出ないというふうな楽観論は根拠がないんではないか、と思っております。
  時間が限られていますので、そろそろやめなければなりませんが、このメリットとデメリットのところで、抑止力が強化されて、ということですけれども、ご承知のように、韓国、北朝鮮、中国、その他ですね、日本の武力強化等については非常に懸念を示しております。そういう近隣諸国の日本叩きというか、根拠がない面がかなりあるとは思いますが、それは国内的な事情から出てきている面が非常に強いわけですから、それに乗っかってこちらが、こういう海外派兵、戦力強化というかですね、こういうかたちをしますと、それを口実にして、それらの近隣諸国たちが、自分たちの国内政治の関係で、対外脅威を口実として、さらにそういった挑発行動なり武力強化をする、と。
  つまり、悪循環になるわけで、これは今の中東で問題となっているところの、イスラミック・ステイトに、米国はじめ有志国が束になって爆撃をしてもですね、すぐにおさまらないということを見ても分かるように、このようなものは、戦力で解決するものではなくて、日本はこの60年、戦後70年の中で培った平和国家としての技術力ですとか経済力とかですね、それから物事の調整能力ですね、これはつまり、戦力によらないかたちで、世界の平和、世界の経済に貢献していく、と。
  この基本的なスタンスを守るほうが、よほど重要なことでございまして、今回の法制が通った場合にはですね、非常に在外で活動している人道平和目的のために活動している人のみならず、一般の企業もですね、非常にこれはマイナスの影響を受ける、ということで、決してプラスマイナスをした場合、得になることはない、というふうに思います。
  それで、英語では政治家のことをPoliticianStatesmanと二つの言い方がございまして、ご承知のように、Politicianというのは目の前にある自分や関係ある人の利益を優先する、と。Statesmanというのはですね、国家百年の計という、自分の子ども、孫子の代の社会のあり方というものを、心して政治を行う、と。どうか皆様、そういうスタンスから、Statesmanとしての判断をしていただきたいと思います。
  国際的にはですね、今度の法制についても、論理的整合性とかですね、そういうことが問題にされ得るわけですから、まして日本の中でまだ全体が納得していないような状況で、採決を強行するということは、日本という国の国際的信用という点からも、問題があるのではないかと。
  私は、政治家の皆様には、知性と品性と、そして理性を尊重していただきたいし、少なくとも、それがあるような見せかけだけでも、これはやっていただきたいと。それはあの、皆様を選んだ国民のほうにも同じことだと思います。そういうことで、ぜひ、この法案については慎重審議をされて、悔いを末代に残すことがないようにしていただきたいと思います。ありがとうございました」

2015年9月16日水曜日

15日の一記録

  15日、参議院安保特別委員会で与党が「16日に締めくくりの質疑」を提案した。結論は出ていないようだが緊迫してきている。
 自公は、そんな提案をする前に、その日同委員会の中央公聴会でシールズの中心メンバー奥田愛基さんが陳述した意見を一人の人間として噛みしめてほしい。

  15日夕刻はなんば高島屋前で大阪憲法会議の大宣伝活動があったので、長谷川義史さんのポスターとペンライトを用意して参加した。
 このあたり大阪のミナミは過半数が外国人のように見えた。
 そんな中、少し離れた場所で宣伝行動に熱心に話しかけてきた人々がいた。
 聞き耳を立ててみると、帰りがけにシリア人だと言ってVサインで応えてくれた。
 詳しい話の内容は知らないが、この法案による軍事介入も報復テロも殺し殺されることもいっぺんに身近になった気がする。

 以下に奥田愛基さんの中央公聴会での発言を紹介する。

 「ご紹介に預かりました、大学生の奥田愛基といいます。
  『SEALDs』という学生団体で活動しております。
  すみません、こんなことを言うのは非常に申し訳ないのですが、先ほどから寝ている方が沢山おられるので、もしよろしければお話を聞いていただければと思います。僕も二日間くらい緊張して寝られなかったので、僕も帰って早く寝たいと思っているので、よろしくお願いします。
  初めに『SEALDs』とは、”Students Emergency Action for Liberal Democracy-s”。日本語で言うと、自由と民主主義のための学生緊急行動です。
  私たちは特定の支持政党を持っていません。無党派の集まりで、保守、革新、改憲、護憲の垣根を超えて繋がっています。最初はたった数十人で立憲主義の危機や民主主義の問題を真剣に考え、5月に活動を開始しました。
  その後、デモや勉強会、街宣活動などの行動を通じて、私たちが考える国のあるべき姿や未来について、日本社会に問いかけてきたつもりです。
  こうした活動を通して、今日、貴重な機会をいただきました。今日、私が話したいことは3つあります。1つは、今、全国各地でどのようなことが起こっているか。人々がこの安保法制に対してどのように声を上げているか。
  2つ目はこの安保法制に関して現在の国会はまともな議論の運営をしているとは言いがたく、あまりにも説明不足だということです。端的に言って、このままでは私たちはこの法案に関して、到底納得することができません。
  3つ目は政治家の方々への、私からのお願いです。
  まず第一にお伝えしたいのは、私たち国民が感じている、安保法制に関する大きな危機感です。この安保法制に対する疑問や反対の声は、現在でも日本中で止みません。つい先日も国会前では10万人を超える人が、集まりました。
  しかし、この行動はなにも東京の、しかも国会前(だけ)で行われているわけではありません。
  私たちが独自にインターネットや新聞などで調査した結果、日本全国2000ヶ所以上、数千回を超える抗議が行わわれています。累計して130万人以上の人が路上に出て声を上げています。
  この私たちが調査したものやメディアに流れているもの以外にも、沢山の集会があの町でもこの町でも行われています。まさに、全国各地で声があがり人々が立ち上がっているのです。
  また、声を上げずとも、疑問に思っている人はその数十倍もいるでしょう。
  強調しておきたいことがあります。それは、私たちを含め、これまで、政治的無関心と言われてきた若い世代が動き始めているということです。これは誰かに言われたからとか、どこかの政治団体に所属しているからとか、いわゆる動員的な発想ではありません。
  私たちはこの国の在り方について、この国の未来について、主体的に一人ひとり、個人として考え、立ち上がっているのです。
  SEALDsとして活動を始めてから、誹謗中傷に近いものを含む、さまざまな批判の言葉を投げかけられました。
  例えば『騒ぎたいだけだ』とか、『若気の至り』だとか、そういった声があります。他にも『一般市民のくせにして、何を一生懸命になっているのか』というものもあります。つまり、『お前は専門家でもなく学生なのに、もしくは主婦なのに、お前はサラリーマンなのに、フリーターなのに、なぜ声を上げるのか』ということです。
  しかし、先ほどもご説明させていただきましたように、私たちは一人一人、個人として声をあげています。不断の努力なくして、この国の憲法や民主主義、それらが機能しないことを自覚しているからです。
  『政治のことは選挙で選ばれた政治家に任せておけばいい』。この国にはどこか、そういう空気感があったように思います。
  それに対し私、私たちこそがこの国の当事者、つまり主権者であること、私たちが政治について考え、声を上げることは当たり前なんだということ、そう考えています。
  その当たり前のことを当たり前にするために、これまでも声を上げてきました。そして20159月現在、今やデモなんてものは珍しいものではありません。路上に出た人々がこの社会の空気を変えていったのです。
  デモや至るところで行われた集会こそが『不断の努力』です。そうした行動の積み重ねが基本的人権の尊重、平和主義、国民主権といった、この国の憲法の理念を体現するものだと私は信じています。
  私は、私たち一人ひとりが思考し、何が正しいのかを判断し、声を上げることは、間違っていないと確信しています。また、それこそが民主主義だと考えています。
  安保法制に賛成している議員の方々も含め、戦争を好んでしたい人など誰もいないはずです。
  私は先日、予科練で特攻隊の通信兵だった方と会ってきました。70年前の夏、あの終戦の日、20歳だった方々は、今では90歳です。ちょうど今の私やSEALDsのメンバーの年齢で戦争を経験し、そして、その後の混乱を生きてきた方々です。
  そうした世代の方々も、この安保法制に対し、強い危惧を抱かれています。私はその声をしっかりと受け止めたいと思います。そして議員の方々も、どうかそうした危惧や不安をしっかり受け止めてほしいと思います。
  今、これだけ不安や反対の声が広がり、説明不足が叫ばれる中での採決は、そうした思いを軽んじるものではないでしょうか。70年の不戦の誓いを裏切るものではないでしょうか。
  今の反対のうねりは、世代を超えたものです。70年間、この国の平和主義の歩みを、先の大戦で犠牲になった方々の思いを引き継ぎ、守りたい。その思いが私たちを繋げています。
  私は今日、そのうちのたった一人として、ここで話をしています。つまり、国会前の巨大な群像の中の一人として、国会にきています。
  第二に、この法案の審議に関してです。
  各世論調査の平均値を見たとき、初めから過半数近い人々は反対していました。そして、月を追うごと、反対世論は拡大しています。『理解してもらうためにきちんと説明していく』と現政府の方はおっしゃられておりました。
  しかし説明した結果、内閣支持率は落ち、反対世論は盛り上がり、この法案への賛成の意見は減りました。
  選挙の時に集団的自衛権に関してすでに説明した、とおっしゃる方々もいます。しかしながら自民党が出している重要政策集では、アベノミクスに関しては26ページ中8ページ近く説明されていましたが、それに対して、安全保障関連法案に関してはたった数行でしか書かれていません。
  昨年の選挙でも、菅官房長官は『集団的自衛権は争点ではない』と言っています。さらに言えば、選挙の時に国民投票もせず、解釈で改憲するような違憲で法的安定性もない、そして国会の答弁をきちんとできないような法案を作るなど、私たちは聞かされていません。
  私には、政府は法的安定性の説明することを途中から放棄してしまったようにも思えます。憲法とは国民の権利であり、それを無視することは国民を無視するのと同義です。
  また、本当に与党の方々は、この法律が通ったらどんなことが起こるのか、理解しているのでしょうか、想定しているのでしょうか。先日言っていた答弁とはまったく違う説明を翌日に平然とし、野党からの質問に対しても国会の審議は何度も何度も速記が止まるような状況です。
  このような状況で一体、どうやって国民は納得したらいいのでしょうか。
  SEALDsは確かに注目を集めていますが、現在の安保法制に対して、その国民的な世論を私たちが作り出したのではありません。もし、そう考えていられるのでしたら、それは残念ながら過大評価だと思います。
  私の考えでは、この状況を作っているのは紛れもなく、現在の与党のみなさんです。つまり、安保法制に関する国会答弁を見て、首相のテレビでの理解し難い例え話を見て、不安を感じた人が国会前に足を運び、また、全国各地で声を上げ始めたのです。
  ある金沢の主婦の方がFacebookに書いた国会答弁の文字起こしは、瞬く間に1万人もの人にシェアされました。ただの国会答弁です。普段なら見ないようなその書き起こしを、みんなが読みたがりました。
  なぜなら、不安だったからです。
  今年の夏までに武力行使の拡大や集団的自衛権の行使の容認を、なぜしなければならなかったのか。それは、人の生き死にに関わる法案でこれまで70年間、日本が行ってこなかったことでもあります。
  一体なぜ、11個の法案を2つにまとめて審議したか、その理由もよく分かりません。一つひとつ審議しては駄目だったのでしょうか。まったく納得が行きません。
  結局、説明をした結果、しかも国会の審議としては異例の9月末まで延ばした結果、国民の理解を得られなかったのですから、もう、この議論の結論は出ています。
  今国会での可決は無理です。廃案にするしかありません。
  私は毎週、国会前に立ち、この安保法制に対して抗議活動を行ってきました。そして沢山の人々に出会ってきました。その中には自分のおじいちゃんやおばあちゃん世代の人や、親世代の人、そして最近では自分の妹や弟のような人たちもいます。
  確かに若者は政治的に無関心だといわれています。しかしながら、現在の政治状況に対して、どうやって彼らが希望を持つことができるというのでしょうか。関心が持てるというのでしょうか。
  私は彼らがこれから生きていく世界は、相対的貧困が5人に1人といわれる、超格差社会です。親の世代のような経済成長も、これからは期待できないでしょう。今こそ、政治の力が必要なのです。
  どうかこれ以上、政治に対して絶望をしてしまうような仕方で議会を運営するのはやめてください。
  何も賛成からすべて反対に回れと言うのではありません。私たちも安全保障上の議論は非常に大切なことを理解しています。その点について異論はありません。しかし、指摘されたこともまともに答えることができないその態度に、強い不信感を抱いているのです。
  政治生命をかけた争いだとおっしゃいますが、政治生命と国民一人ひとりの生命を比べてはなりません。与野党の皆さん、どうか若者に希望を与える政治家でいてください。国民の声に耳を傾けてください。まさに、『義を見てせざるは勇なきなり』です。
  政治のことをまともに考えることが馬鹿らしいことだと思わせないでください。現在の国会の状況を冷静に把握し、今国会での成立を断念することはできないのでしょうか。
  世論の過半数を超える意見は、明確にこの法案に対し、今国会中の成立に反対しているのです。自由と民主主義のためにこの国の未来のために、どうかもう一度考えなおしてはいただけないでしょうか。
  私は単なる学生であり、政治家の先生方に比べ、このようなところで話すような立派な人間ではありません。もっと言えば、この場でスピーチすることも、昨日から寝られないくらい緊張してきました。政治家の先生方は毎回このようなプレッシャーに立ち向かっているのだと思うと、本当に頭が下がる思いです。
  一票一票から国民の思いを受け、それを代表し、この国会という場所で毎回答弁をし、最後には投票により法案を審議する。本当に本当に、大事なことであり、誰にでもできることではありません。それは貴方たちにしかできないことなのです。
  では、なぜ私はここで話しているのか。どうしても勇気をふり絞り、ここにこなくてはならないと思ったのか。それには理由があります。
  参考人としてここにきてもいい人材なのか分かりませんが、参考にしてほしいことがあります。
  ひとつ、仮にこの法案が強行に採決されるようなことがあれば、全国各地でこれまで以上に声が上がるでしょう。連日、国会前は人で溢れかえるでしょう。次の選挙にも、もちろん影響を与えるでしょう。
  当然、この法案に関する野党の方々の態度も見ています。本当にできることはすべてやったのでしょうか。私たちは決して、今の政治家の方の発言や態度を忘れません。
  『三連休を挟めば忘れる』だなんて、国民を馬鹿にしないでください。むしろ、そこからまた始まっていくのです。新しい時代はもう始まっています。もう止まらない。すでに私たちの日常の一部になっているのです。
  私たちは学び、働き、食べて、寝て、そしてまた路上で声を上げます。できる範囲で、できることを、日常の中で。
  私にとって政治のことを考えるのは仕事ではありません。この国に生きる個人としての不断の、そして当たり前の努力です。私は困難なこの4ヶ月の中でそのことを実感することができました。それが私にとっての希望です。
  最後に、私からのお願いです。SEALDsの一員ではなく、個人としての、一人の人間としてのお願いです。
  どうか、どうか政治家の先生たちも、個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の『個』であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を持って孤独に思考し、判断し、行動してください。
  みなさんには一人ひとり考える力があります。権利があります。政治家になった動機は人それぞれ様々あるでしょうが、どうか、政治家とはどうあるべきなのかを考え、この国の民の意見を聞いてください。
  勇気を振り絞り、ある種、賭けかもしれない、あなたにしかできないその尊い行動を取ってください。日本国憲法はそれを保障し、何より日本国に生きる民、一人ひとり、そして私はそのことを支持します。
  困難な時代にこそ希望があることを信じて、私は自由で民主的な社会を望み、この安全保障関連法案に反対します。
  2015915日、奥田愛基。ありがとうございました」

 追記 なお、フェースブックには下記のように投稿した。
 15日の大阪なんば高島屋前の憲法会議主催の宣伝行動もOLDSが大勢で立派でした。
 それにしてもミナミは「ここは何処?」というほど外国人で溢れていましたから、英語、中国語、韓国語でスタンディングスピーチをしたら国際連帯が進むのでは?などと思いました。事実、シリア人がVサインをしてくれました。

 私は長谷川義史さんのポスターとペンライトでアピールしましたが、そこでOLDSにひとつだけ苦言ですが、無関心そうな若者に対して「あんたらのことやで」と上から目線でお説教するような宣伝は心に届かないと思いますよ。

2015年9月15日火曜日

ツマグロヒョウモン

  ツマグロヒョウモンのことは2012年10月9日、2013年11月4日に写真と記事を掲載し、そこでも書いたがこの蝶は昆虫界では珍しく♂よりも♀の方が派手で綺麗で、もちろんその2つの記事に掲載した写真は♀であった。
 今回の写真は地味な♂の方だが、地味というそれでも秋空の下では写真のように美しかった。
 豹柄というとどうしても「大阪のおばちゃん」という言葉を連想するが、それで生活に気力が湧いてくるならそれでも良いと思っている。妻が豹柄の靴を「おかしいやろか」と言うので「いいや、おかしない」と返答して妻は結局購入した。

 ツマグロヒョウモンと入れ替わりにアオスジアゲハが同じ紫蘇の花にやって来た。
 近くにはハナトラノオが満開で、人間の目には圧倒的にハナトラノオの方が美しいのだが、何故か蝶には地味な方の紫蘇の花が人気らしい。
 アオスジアゲハはアゲハの中では頭抜けてせっかちで、まるで蜂のようというかスズメガ、スカシバのように高速羽ばたきをして写真を撮らせてくれなかった。
 夏の間は窓の外に「蝶が来た」と思ってもカメラを持って飛び出るのが大儀であったが、ようやく気力も回復しつつあるようだ。

  今年は赤とんぼ(アキアカネ)の当たり年のような気がする。周辺の道路にも我が家の庭にも群舞して目を楽しませてくれている。
 成熟したアキアカネの♂は綺麗な赤色になる。だから写真のは♀か未成熟の♂。そのどちらであるかは私には判らない。

2015年9月14日月曜日

市民が主人公になる

  現在の運動を称賛する立場からの論評にも時々見える、これまでの平和や民主主義を求める運動を十把ひとからげに「動員だった」と決めつけるのには賛成できないが、今回の戦争法案に反対する運動が大いに一人ひとりの自主的な市民運動として広がりつつあるのは注目すべきことだろう。
 少なくとも都会では、無関心だとか、個人主義、指示待ち人間などと「大人」達によって半ば軽蔑されてきた青年達のSNSなどで集まる新しい運動が、まるで本流であるかのような様相をさえ示している。

 13日(日曜日)、いつも利用している駅前でアピールしようという呼びかけがあったので参加した。
 スタンディングというらしいがポスターを持って1時間立とうというもので、7月には別の駅頭でも行った。
 この記事の書き出しでカッコよく評論家のようなことを言ったが、顔見知りもたくさん行き交う地元でスタンディングするのは少し恥ずかしいもので、全く躊躇しなかったというと嘘になるが、ここで下がったら今までのブログの記事がそれこそ嘘になる。

 というほど大層なものではなく、スタンディングなどやろうと思えば誰でもできる、何ということもない行動だった。
 参加者95名は私の知る限りでもこの地ではかつてない取り組みだったが、それでもローカルの哀しさか、妻は「ほとんど高齢者やったな」と冷やかした。
 少し家庭の事情で頻繁に大阪市内には行けないし、ましてや国会前には行けないが、こういう自主的な運動が全国的に広がる意味は大きい。
 儀礼的挨拶に違いないだろうが政府与党所属の府会議員が「ご苦労様です」とあいさつをして通って行った。ふふふふふ。
 

2015年9月13日日曜日

近代史の匂い

  土曜日の朝に漫然とテレビをつけたらNHKアーカイブス「あの人に会いたい」で堀田善衛(1918-1998)氏が出ていて、歴史について語っていた。
 ええ加減な記憶を私なりに理解した言葉で書けば、曰く、中世の次に近世、近世の次に近代、近代の次に現代というように歴史を時間軸の線としてとらえるのでなく、現在または過去の文化を縦に斬ってみて、その断面からここは中世の〇〇、ここは近世の✕✕というように照らし合わせて歴史をみることが大事ではないか・・と指摘されているところに私は感心した。
 さて、私は近代史など苦手で、その知識としては批判の多い司馬遼太郎の「坂の上の雲」や浅田次郎の「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」「中原の虹」「マンチュリアンリポート」等々の小説の知識しかなく、日清戦争になると遠い時代劇の感覚でしかなかった。堀田善衛氏的に言えば現代と斬り離れた問題のある歴史認識といえようか。
 そしてその土曜日は大型ごみの日であったから、テレビを見た後「捨てるものはないか」と物置を掻き回していたら全く記憶にない記章が出てきた。
 裏を読むと『明治二十七八年従軍記章』と読めた。だから日清戦争の従軍記章である。
 常識的に考えれば祖父のものだろうが、小学生のときに父を亡くした私には日清戦争への祖父の出征というような話は全く聞いてもいなかった家族史だった。
 近代の戦争は遠い世界のことではないという感慨を新たにした。
 実父母は家を大阪大空襲で丸焼けにされたし義父は徴兵されていたのだが、その3人ともが鬼籍に入った今、どうしても自分が生まれる前の遠い出来事としか感じられなくなっていた戦争が、この記章で「忘れるなよ」ともう一度訴えかけてきたような気がした。
 確か堀田善衛氏は召集令状を手にしたとき、「若い国民に命を差し出せ」というときにあたってこの赤紙1枚は、なんとこの国は礼儀をわきまえない無礼な国なんだ」と思ったらしい。
 首相や防衛相の国会答弁を見ていると、安倍内閣の断面からそういう無礼極まりない近代史の無反省が見えてくる。それが破滅への道であったと感じとることが「歴史に学ぶ」ということではないか。

2015年9月12日土曜日

4歳の知恵

   鳥たちも真夏日にうんざりしていたのだろうか、秋の空気と一緒に元気になったようで、イソヒヨドリが夕刻、近くの電柱で歌ってくれた。

 さて、筆頭の孫の夏ちゃんは4歳になり、この春から「子ども園」に通っている。
 まちがい探しや迷路が得意で祖父ちゃんの作った問題をすらすらと解く。(すらすら解けるようにしか作っていないが)
 先日は残ったピザの一かけらを欲しいというのでジャンケンで決めることにした。
 小さな声で「夏ちゃんは何出すの?」と聞くとチー(チョキ)だというので周りの大人が全員パーを出したら夏ちゃん一人がグーを出して涙目になってしまった。
 チーと言っておいてグーを出すのは子ども園で学んだ知恵なのだろうか。
 まだまだそんな知恵はないと思って勝たせようとした大人の心理をこの4歳はどう感じただろうか。
 もしかしたら「大人は裏をかく」という方向に学習して、裏の裏をかくことを学び始めただろうか。
 次に、なぞなぞも好きで問題を出してくるが、なぞなぞ遊びの時代から時間が経ち過ぎた祖父ちゃんには難しいのもある。
 「ビルはビルでも建物でないビルはな~んだ」と出されたが、夏ちゃんに「クチビル」と言われるまで解らなかった。
 そのうちに、種本から仕入れた問題が尽きたので「桃は桃でもお父さんの好きな桃はな~んだ」と自分でつくった問題をぶつけてきた。
 ただそれはなぞなぞでも何でもなく、答は「すもも」というもので、日常の観察からお父さんの好きなものを覚えていたものである。
 というように、純粋無垢な幼児のようでもなくそのようでもあり、以前の記事に書いたが盆踊りも注目されたら恥ずかしがるようになり、嬉しいような寂しいような4歳の知恵を端々に見せてくれている。

2015年9月10日木曜日

卑弥呼に逢いに行く

  私はいわゆる邪馬台国論争には深入りして来なかったが、この国の歴史(ルーツ)を考える時には避けて通ることのできないテーマのひとつでもあったので、頭の隅には常に問題意識が無かったわけではない。少しはあった。
 そういう比較的低レベルといえる程度のベースの上で好きな本を読んだりしていたのだが、先日、文化庁遍「日本発掘」の石川日出志著述部分を読んでいたら「渡邉義浩先生が〔大率〕〔刺史〕という語からたいへん重要なことを指摘されている」という文に出会って興味を抱いた。
 前後して、ゲノム研究の斎藤成也著「日本列島人の歴史」を読むと、ここにも「渡邉義浩は・・論じている」と出てきた。
 対象は中公新書「魏志倭人伝の謎を解く」だが、この標題からすると私が一度は書店で手に取ったことはある筈であるが、それでもこの本が私の記憶にないということは、倭人伝の片言隻句を好き勝手に解釈して文章を書いている本があまりに多いことにうんざりし、弥生の終盤、古墳時代の黎明期は主に考古学で考えたいと思っていたからである。
 しかし、前述のような興味から、ここは中国古代史、中国思想史を専門とする著者(渡邉義浩氏)の文を一読しておかなければならないと思いなおし、書店に取り寄せてくれるよう注文した。

  その本の内容は興味のおありのお方には手に取っていただくとして、一言感想を言えば、西晋(265~316)の歴史家である陳寿がどういう知識と理念で三国志・魏志倭人伝を書いたのかということが精密に証拠をあげて語られていることで、その緻密さに私は感動した。
 誤解を恐れず答えを言えば、いわく、曹の魏の正当性と、それを継承し自らも使えた西晋の正当性を表現するための、政治的意図を含んだ理念と事実が混交したものである・・と。
 だから、蜀の東の親魏大月氏王(1C~3Cのクシャーナ朝・洛陽から1万6千370里)に匹敵するように、親魏倭王卑弥呼の国は呉の地の背後(会稽東治の東)の遠国(帯方郡から1万2千余里・洛陽からなら1万7千里)の大国でなければならなかった・・等々。
 そして、私が読んでみようと思った動機にもなった邪馬台国の官である「一大率」では、「大倭」という官名と揃えて『一人の「大率」』と読むのが対句を重視する漢文の読み方であるとし、「女王国(邪馬台国)より北には大率を置き、大率は常に伊都国に居り、それは(魏の)刺史のようである」と言われていることから、・・後漢書によれば刺史は地方に置かれる官名で、首都圏の監察は司隷校尉であったから、伊都国=北九州は首都圏ではなく、つまり首都圏なら「司隷校尉のようである」と書かれた筈であるから、よって伊都国周辺は「地方」であった。つまり邪馬台国の所在地は九州ではなかったと論じている。
 その他全般に渡ってこの本は緻密に論理だてられているように私は感じた。
 その緻密さ故、読むのに疲れる本ではあったが読後の気持ちの好い本だった。

 蛇足ながら、「邪馬台国論争」自体を近代史として分析する小路田奏直教授は、私が理解した言葉で言えば、東京帝国大学白鳥庫吉博士が九州説を唱えたのは日露戦争後の脱亜入欧のときであり、大和(ヤマト)の天皇の祖先が中国に朝貢したとか、我が国文化の源泉が渡来に多くを負うものだったとか、中国文明の端の半未開の国であったとするのは皇国の歴史上許されず、それ故、それ(邪馬台国)は九州の一豪族のことであって、大和(近畿)にはアジアの影響のないもっと高度な固有の文明があったとしたかったからである・・との分析は慧眼であろう。
 とすると、このテーマは現代に通じる『歴史修正主義』の問題と大きく重なり、古代史なんか趣味の領域だと笑って捨てておけないテーマでもある。・・・俄然愉快になってきませんか。
 なお、考古学から考える邪馬台国は別の機会に・・・。

2015年9月9日水曜日

星蜂雀

  秋の空気を感じるといっぺんに花も虫も元気になったように見える。
 写真の花は『花虎の尾(ハナトラノオ)』で虫は『星蜂雀(ホシホウジャク)』。
 この星蜂雀(ホシホウジャク)はどこかに留まっているときは文字どおり蛾に違いないが、写真のとおりプチハチドリのようにホバリングをしている姿を「蛾だ、雀蛾だ」というのは可哀相な気がする。
 オオスカシバに準じて私の好きな昆虫である。かっこいい。
 以前に「生物に学ぶ航空力学」というふうな講義を聴いたことがあるのを思い出したが、星蜂雀の飛行技術には感嘆する。
 その講義の際、講師に「いま何処の大学や研究所でどんな研究が進行中か」と質問したら、「このごろはこんな夢みたいな研究には予算を全くつけてくれないんだ」とぼやくことしきり。
 「国立大学に文系の学問はいらない」という政府だが、理工系でも目先の技術革新しか興味が無いようだ。
 いろんな意味でこの国はつまらない国に向かっていないだろうか。

2015年9月8日火曜日

愚俗の信

  京大 山室信一教授(元衆院法制局参事)のスピーチを新聞で読んだ。
 氏は、「私たちの研究所の先輩である鶴見俊輔さんの言葉で一番心に残っているのは「愚俗の信」に基づく平和という思想です。国際政治の専門家などの机上の安全保障論よりも、生命ある者として自分は人を殺したくない、あるいは殺されたくないという生活の実感から生まれた「愚俗の信」こそが戦争を防ぐ最後のとりでになるのではないかと訴えられた」と話された。
 戦争法案は、衆議院段階ではホルムズ海峡以外にはあり得ないと言っていたものが、こちらの方が宣伝効果があると思ったのか参議院では南シナ海に話が変わってきた。
 答弁不能が続出しているのに「中国の脅威」だけを煽っている。
 橋下大阪維新の中身のない「都構想でなければ大阪はダメになる」と変わらない。
 これらも「愚俗の信」で言えば、「それってナチスの全権委任法と同じじゃないか」「言っていたことが一日で変わる人は信用できない」ではっきりと割り切れる。
 氏のスピーチは、「愚俗の信にできることは、執拗に、したたかに、忘れない、あきらめないこと」「追い込まれた時にはね返す力、その復元力こそが民主主義の真髄である。私はそう確信している」と続いた。
  これらの言葉に私は勇気をもらった。
 安倍や橋下の「口から出まかせ」に揺らいだり、「専門家」なる者の屁理屈に一憂せず、生活実感からの声をブログに続けたい。
 それも、執拗に、したたかに、忘れない、あきらめない、スタンスで。
 池上彰氏の言葉を借りれば、朝日よりも讀賣、産経、NHKがひどいと言われるようにマスコミの権力との癒着は度を越している。
 SNSなどのインターネットだけが焦点ではないが、自覚した人々がこのツールを活用して、あるいはミニコミ紙を発行して、「愚俗の信」を執拗に、したたかに、忘れず、あきらめず発信すれば、この国の民主主義はほんまものに近づくように私は思う。

2015年9月7日月曜日

奈良の道路標識

  普通には黄色い◇に鹿の跳ねているシルエットがあり「飛出し注意」と書かれた道路標識を見なれているが、奈良公園のど真ん中、登大路の車道中央のマークはこんなもの。
 まあ普通にはドライバーに「鹿に注意」を呼びかけているものだろうが、こういう風景を見ると鹿に対して「車に注意」を呼びかけているようにも見える。
 それでもここの鹿は悠々と道路を横断するから、そんな時は信号の有無にかかわらず自動車はストップする。
 時間に追われて暮らしておられる向きには時々そういう光景を観察されるとよい。
 「そうそう、そんなに急ぐことはないよな」といつも反省させられる。
 ただし、おとなしそうに見えても基本は野生、小さい子供を頭突きしたりするから注意注意。

2015年9月6日日曜日

釣瓶とられて

  朝顔に釣瓶とられてもらひ水 (千代女)は、あまりに人口に膾炙された句なので、散水ホースのノズルが同じようにそうなっていた時には少し感動を覚えた。
 だが、ほんとうに散水ホースの使用を止めるほど私は浮世離れはできていないから、優しく蔓をほどいて散水を行った。
 場所は2階のベランダで、朝顔は1階からグリーンカーテンを経て2階ベランダ内にまで伸びてきたもの。
 正確にはもう何年も自生している西洋朝顔で、この先、木枯らしのニュースを聞く頃まで花が続くという強者(つわもの)である。(もしかしたら日本朝顔かもしれない。混植している)
 こうなると、朝顔が夏の季語ではなく秋の季語だというのが新暦どおりでも納得させられる。
 この夏も、蚊に刺されるのが嫌なので、2階から庭の散水を行った。
 私なりに合理的な方法だと思っているが、街行く人々からは横着な散水方法と思われているに違いない。
 8月14日の記事で「エナガがシャワーを喜んだ」と書いたのも、このノズルで作ったシャワーだった。

 朝顔というと、遠い昔の東京入谷の朝顔市の思い出がある。
 江戸落語などで「恐れ入谷の鬼子母神」と言う言葉を聞いたことがあると思うが、「恐れ入りました」と「谷」を書けただけの地口(じぐち)であるが、その入谷の鬼子母神の周辺に100軒ほどの露店が出て朝顔の鉢が売られる。40万人が買いに来るという。
 こういう情緒のある行事は関西こそ・・と言いたいが、江戸下町のこの行事は圧巻でシャッポを脱ぐ(江戸弁風に言うと)。
 露店の中に宅配業者もいて、買った鉢を即全国に配達してくれる。
 私も団十郎朝顔を求めて家まで配達をしてもらった。
 「団十郎」というのは「暫(しばらく)」の衣装に掛けたネーミングで海老茶色の大輪で、江戸の粋の象徴でもある。
 残念ながらその種を育てることはできなかったが、楽しい想い出だけは残っている。

2015年9月4日金曜日

梅肉好きずき

ネットから
  新聞のラテ欄を見ただけの感想だが安直なテレビ番組がやけに目につく。
 特に在阪局のそれには「〇〇県人は実はこうだ」とか「関西人はこう思われている」というような言い古されたレッテル貼りが多い。いわく「京都人はイケズ」「大阪人はデリカシーに欠ける」というような話を雛壇に並んだ芸人たちが笑い合う。
 その伝でいくと京、大阪の夏を代表する料理は鱧で関西人は全員が鱧が好きで、東京人がそれを驚くというのが定番だが、先日「鱧はあまり好きでない」という大阪の友人がいて聞いてみると、鱧の霜降りの梅肉も‟もうひとつ”という感想だった。なるほど。
 事実、小さく痩せた鱧は美味しくないし、骨切の下手な鱧は料理以前の気がする。
 だが私は鱧が嫌いでなく、特に湯引きした霜降り鱧は酢味噌ではなく絶対に梅肉派で、そのせいでもないが、孫の夏ちゃんも梅肉や梅干しが好きである。
 夏ちゃんはこの夏にはお母さんの実家に旅行に行っていたが、彼方の祖父母がせっかくの孫の帰省にいろんなお料理を出してくれたのに、「夏ちゃんは何が一番好き?」「何が美味しかった?」と聞いたら「梅干し」と答えたので精がなかったらしい。

 なお、『梅肉』というのは季語としては認められていないらしい。
 「いつき組的新季語選定委員会」というのをネットで読んでみると『中華まん』を認定とあった。コンビニの中華まんは確かに冬の感じがするが、これが『豚まん』となると大阪では季節を乗り越える。
 それでも私は『中華まん』を認めるから、『梅肉』は夏の季語に認定してほしい。鰯やササミの梅肉の料理も少なくないが、梅肉といえば鱧で夏と私などは素直に思うのだが。

2015年9月2日水曜日

古代、食肉は自由市場で売られていた

 今日の記事は8月20日の「ミートショップは何処にあったか」という記事の続きというか解答編である。
 「延喜式に平安京の東西の市における商売(店)名が84もあげられているのにその中に肉屋がないのはなぜか?」が問であった。(平城京も基本的に同じ)

 私の推理は、① 万葉の時代から「薬猟(くすりがり)」という概念があったがそれは薬草だけでなく鹿等の狩猟も含んでいた概念だったと考えられる。
 ② 弘仁14年(823)の「日本惣国風土記」の石川郡富樫のところに、「・・鹿、猪革肉を貢ぐ。革は武庫部に献じ肉は典薬寮に送る」とあるところから、古代、肉(塩漬や干し肉)は「薬」のひとつと考えられていた。(典薬寮=てんやくりょう=くすりのつかさ)
 ③ よって、東西の市の中にある「薬店」で売買されていた。・・・・・というものであった。

 これに対して小笠原先生の答えは、「東西の市以外のいわば青空市で売買されていた」というもので、① 平城京、平安京の東西の市は現代風にいえば「公設市場」であり、公的なものの市であった。
 ② よって、東西の市以外のいわば(自由な)青空市が存在した。例えば、木材は泉の津(今の木津市)で売買されていた。
 ③ あるいは奴婢の売買もあったが、それらは東西の市の中ではなかった。・・・というもの。

 ちなみに、仏教の受容と相まって穢れを畏怖する観念の広がりにより聖的な東西の市以外の河原等で売買されていた可能性についても私は検討したが、先生の答えの中にその種の「穢れを忌避」というようなイデオロギーは問題にされていなかった。
 以上が、8月20日の記事の答えである。
 大きな規模の講座であったから、この問題はその日の付け足しのようなもので質疑応答の時間はなかった。
 なので、先生の答えに異議はないが、正直にいえば証拠の説明が少なく、少々消化不良のまま会場を後にした。
 それに、「酒も売買されていただろうがそういう店名はなく、酒はきっと『醤』の店で売られていただろう」という説明もあったが、その論でいけば肉=薬店という推論も成り立たないかと思ってみた。
 それに、証拠不十分なままに推論をするのなら、私の推論の方が『面白いのになあ』と小唄を歌う引かれ者(注)の心境で帰路についた。(きっと学問的には面白いかどうかは関係なく、先生の答えが常識的で正しいことだろう)
 【注】引かれ者の小唄・・・負け惜しみで強がりを言うこと(広辞苑)