2015年1月31日土曜日

焼き鳥の話(つづき)

  伏見稲荷門前の雀の焼き鳥の続き・・・・・・。
 昔はここで雀の丸焼きを売っている店がもっと多かったように思う。
 そして、雀と一緒にツグミも多かったが今は全く売られていない。
 今はツグミの捕獲は禁じられているから、これは「伏見の伝統」と言ってもしようがない。
 それに、ツグミは野にあっても写真のとおり姿勢がよい。野鳥の中でも品がある。だから禁猟も仕方がないと私は勝手に思っている。
 近頃はツグミに代わってウズラが焼き鳥屋のその位置に座っている。
 ウズラも減少しており期限付きの禁猟になったりしているが、お店の分は養殖ものに違いない。
 ただ、雀の丸焼きに比べると骨が大きいし、チキンに比べると身が少ないから、私の感想を一言でいえば「中途半端」である。

ヒヨドリがムシャムシャ
  さて、私の半坪農園では水菜、ルッコラ、菜の花(アブラナ)、エンドウ豆が春を待っている。
 ここへ毎日やって来るのがヒヨドリで、菜の花とエンドウ豆の葉っぱをムシャムシャという感じで食べていく。
 菜の花はまだいいが、春を待つ小さなエンドウの葉っぱは食べつくされそうだ。
 それで、窓を開けてシッシッと追い払うのだが、こちらがいないと思ったら飛んでくる。
エンドウ豆無残
  まあ、金持ち喧嘩せずで太っ腹に構えている。が・・・
 このヒヨドリグループは何時も隣家のフェンスにいるから私の動向は100%把握されている。
 正確に言うと、私の監視のためにそこにいるのではなく、隣家のネズミモチの実と我が家のバードバスを縄張にしていて、縄張の監視を続けているのだ。
 もし他のヒヨドリなどがやって来ると、思いっきり追いかけて追っ払う。
 その自然のアルバムが楽しいから、観劇の代金として豌豆と菜の花を大目に見ている。
 
 なお、身勝手で支離滅裂と言われるかも知れないが、ツグミやシロハラが畑に来るとバードウォッチングを楽しんでいる。・・・・ヒヨドリは「理不尽な」と怒っていることだろう。

2015年1月30日金曜日

伏見の雀

  伏見稲荷にお詣り(遊び?)に行ってきた妻が「外国人観光客でいっぱいやった」と言って帰ってきた。
 すでにテレビなどの情報でご存知の方も多いだろうが、400万件以上の観光地や宿泊施設を紹介している世界最大の旅行クチコミサイトのトリップアドバイザーが「外国人に人気の日本の観光スポット2014」でここを日本一にあげている。
 妻の報告はそれが全くの誇張ではなかったことを物語っている。
 世界文化遺産「古都京都」の中からも外れているのに、清水寺や金閣寺を抑えての堂々日本一を実現させた主役は千本鳥居で、その個性的な風景がネットで世界に紹介されているかららしい。
 世は情報化社会である。ネット社会である。だからその中で紹介されている飲食店『祢ざめや』も外国人であふれかえっていたという。
 ところで、その『祢ざめや』という屋号は、秀吉が母の病気の快癒のため朝早くに詣でた時に既に店を開けていたところから秀吉が感心して与えた屋号と言われ、その上に『祢々』さんの祢の字を与えたものとか。
 しかし、数年前の初詣に行ったときには名物の雀の焼き鳥は『祢ざめや』にはなく、全て「うずら」になっていた。今回もそうだったらしい。
 で、ネットで紹介されているウナギのかば焼きに外国人が集中していたと。う~む。いつの間に雀が鰻に変身したのか。ネットは千年の文化をも容易く覆す。
 私としては外国人に伏見の伝統を知ってもらうためには『祢ざめや』に雀が無くなったのは少し寂しい。ゴマメの歯ぎしり・・・。
 結局、妻たちは違う店で雀を食べ、私への土産に一羽持って帰ってきてくれた。
 その雀をいただいて、稲荷の神に本年も半坪農園の農作物の豊かなことを心の中で祈った。

2015年1月28日水曜日

介護制度の大後退

  21日の記事で、『統一地方選挙が迫っているが、いま政府与党側からは「人口減少時代に自治体が従来どおりライフラインを維持してくれると考えるな」という恐ろしい攻撃が始まっている』ということを書いたが、10年後の2025年には75歳以上人口が総人口の18%に達するとされている介護の舞台では、このことがもっと急速に現実化している。
 ●この4月から、従来の訪問介護、デイサービスを廃止し、ボランティアを主体にした事業にする。(そんな転換が困難なため既に事業廃止も増えている)
 ●預貯金、非課税年金等も含めて所得としてカウントし、利用料金を原則2割に引き上げる。
 ●特養から要介護1・2を原則排除する。
 ●施設の費用負担軽減制度を大幅に縮小する。・・・等々である。
 そしたら要介護3以上になったら特養に入れるのかと言えばそうではなく、今でも「何百人待ちです」ということで、入所が早いか死ぬのが早いかというように待機させられているのに、さらに、介護報酬の引き下げで特養の経営も一層困難になり、やせ細っていく。
 猛烈に経済が減速したといっても世界第3位の国民総生産(経済大国)の国でこんなことを許しておいていいのだろうか。
 総選挙に関わって消費税が議論された折、私はこのブログで「税というものは応能負担が原則」「富の公平な再配分こそが国家の仕事」と書いたが、本当に今こそ「政治とは何か」「社会保障は国の責務」という原則問題を語らなければならないように思う。
 そうでないと、私のいる自治体のアンケートにあったような、●介護サービスが充実するなら保険料が高いのは仕方がない か、●介護サービスの充実より保険料が安い方がよい かというような単純で二者択一的な議論に誘導され、現役世代の不満は全て高齢者のせいにさせられる。
 ちなみに消費税8%は約5兆円であるが、その支出先は、基礎年金の安定財源に約2.9兆円、赤字国債返済に約1.3兆円、増税分への対応に約0.2兆円、社会保障に約0.5兆円となっている。
  その社会保障部分の内訳は、待機児童対策・子育て支援に約3000億円、低所得者の国保料軽減に約620億円、高額療養費制度に約50億円、難病対策に約300億円、遺族年金の父子家庭拡大に約10億円、そして、医療・介護の体制整備にわずか約1000億円で、その1000億円は医療・介護制度のこの種の『改革』が前提となっている。
 中東の問題ではないが、この国の為政者の好きな国民向けの合い言葉は『自己責任』らしい。
 親兄弟はもちろん、私たちだっていつ介護の対象になるかわからない。そしてそれは突然やって来ることが多い。
 上手くピンピンコロリならよいけれど、それは誰にも判らない。
 自治体のアンケート結果では、「いずれは高齢者向けの施設に入所あるいは入居したい」が26.2%に対し、「自宅で介護サービスを利用しながら暮らしたい」が39.9%だった。
 広い農村地帯を抱える自治体だから、農村地帯とニュータウンでは大きく異なることだろうが、私にはこの結果は淡い願望であって、「超」が付くほど「甘い」と思う。
 私の友人たちで親の介護が済んだ人々と話してみても、介護うつで崖っぷちギリギリまで行っていたと話す人は多い。辛くて書けない話も多い。
 私は基本的に特養を増やすこと、そしてそこが姥捨て山のようではなく、日々の生活が楽しい場になることが現下のテーマだと思う。
 そういう気持ちで親の入所していた特養の家族会のお手伝いを今もさせてもらっている。
 社会保障の実際の現場は地方自治体になるが、それも国の制度と予算で大きく制約される。
 だから統一地方選挙間近で、親戚、友人、自分の町内等々の血縁地縁が無視し難いこともあるだろうが、いまこそ本当に国の悪政にモノを言って自治体のあるべき福祉に努力する自治体にしていく必要を強く感じていて、地方政治の選挙でも、日本共産党の躍進が大切だと私は考えている。
 自分と自分の家族のために、介護問題は決して遠い課題ではない。

2015年1月27日火曜日

水野正好先生卑弥呼に逢う

  27日に考古学者水野正好先生の訃報が報じられた。
 平城京の長屋王邸宅等の発掘等で有名で、その地の保存運動もされていたが、残念ながら叶わずその地には「そごう百貨店」が建設された。
 その「そごう百貨店」で朝日カルチャーセンターがあったものだから、先生は各地で旺盛な講演活動をされていたが朝日カルチャーセンターの依頼だけは殆んど受けられなかった。
 その後「そごう百貨店」は倒産したが、我々の間では「原因は長屋王の祟りだ」で通っていた。
 先生の話は考古学に止まらず文献史学にも及び、大胆に独創的な説を提起されていた。
 私のような素人には文句なしに面白い話の連続だった。
 邪馬台国についても、倭人伝は当然として、裴世清が推古天皇の元を訪れた際の隋書の記事の「則ち魏志の謂う所の耶馬臺なるものなり」を引いて、現天理市の大和神社を掘れば卑弥呼の宮殿が出てくるに決まっている」と断言されていた。
 専門は古代のまじない等と言われているが、そういえば、古代の井戸から木製の男性器が発掘されたときに多くの学者は「捨てたのだろう」と言ったが、先生は「井戸の上に吊るしたのだろう」と断定されていた。その理由は「そうすれば水が湧いてくると考えるのが当然だ」というものだった。
 このように実証と想像を混ぜて話されるところが面白いのだが、専門家の多くは苦笑する場面も少なくなかった。曰く「先生は今しがた卑弥呼にあって話してきたかのように語られる」と。
 あの漫談のような講演がもう聞けないのかと思うと寂しいが、先生は今頃、本当に卑弥呼や裴世清と談笑されていることだろう。合掌。

2015年1月26日月曜日

椎の樹見つけた

  23日の記事のコメントに引用した永田和宏氏の短歌ではないが、私の植物の先生は妻である。その先生が「椎の樹を見つけたで!」と言って葉っぱと数粒のドングリを持って帰ってきたので、そのまま殻を破って食べてみたが一切の渋みがなかった。椎の実に間違いない。
 30分ほど歩いて行ってみたその場所は、街路樹ではなく、昔のままの木々がそのまま残されている史跡公園(平城京の瓦窯跡)で、いろんなドングリの樹に混じって大きなスダジイの樹が隠れるように立っていた。
 ネット上のレシピを見ると、炊き込みご飯がよいとか、きな粉のようにとかというものもあったが、もっと手軽な方法として「封筒に入れて電子レンジでチンする」というのがあったのでやってみた。

スダジイの袴はこれで
普通の団栗と大いに異なる
  結論的には不味くはないがイマイチだった。やっぱりと言うべきか、胡麻炒り器で炒って食べるのが一番だった。

 さて、日本の土器は世界的に最も古い歴史を持っていると言われている。縄文土器である。
 貯蔵用以前に煮炊きに使用されたと考えられており、上田正昭先生は「ドングリのあく抜きに必要だったとみなす説がある」と書かれている。
  三内丸山遺跡では栗畑が作られていたという説もあるし、このように椎の実もあるのに、あくのある栃の実やどんぐり類を食べていたのだろうか。
 先日は飛鳥時代に夢を馳せたが、今度は椎の実を食べながら縄文の先人たちに夢は飛んでいく。

 採集や狩猟が文句なしに楽しいのは、生き物としての人間の生に繋がるものだからだろう。
 そして、その自然界と折り合いをつけて生きることが、いま見直されているように思う。
 土のついた野菜に眉をひそめ、魚の顔を見ては怖いという、そんな「現代人」が増えていることと、ゲーム感覚の戦争が繰り返されていることを重ねてイメージするのは考え過ぎだろうか。

 この椎の実、山間の農家出身の義母は喜ぶだろうが、ここ数週間、インフルエンザの発生で外出できなくなっている。
 施設のインフルエンザが収まるまで椎の実を干しておこうと思っている。

  友人たちと会う機会に炒って持参したら、丹波出身の友人は一目で「椎の実!」と言った。
 ナッツ好きの友人は「美味しい美味しい」とパクパクと食べてくれた。

 後日、やってきた孫にはガスコンロの上で炒るのを全面的に任せてさせた。
 孫は自分で炒ったことでもあり、そして剥く作業も楽しそうで、これも大喜びで食べてくれた。 

 椎の実沢山拾うて来た息をはづませ 碧梧桐
 わけ入りて孤りがたのし椎拾う 久女

2015年1月24日土曜日

東京メディアは嗤う

  秘密のケンミンショーというテレビ番組がある。22日も気楽に馬鹿笑いしながら見ていたが、なにしろ誇張がひどい。
 特に大阪は誇張し甲斐があるようで度々ドギツク編集されて登場する。
 基本的には読売テレビ制作ではあるが東京メディアの目線で、全国の視聴率を意識した意図的なバラエティー番組として針小棒大に制作されている。
 そして、この大阪の「県民性」なるものは、ケンミンショーに限らず他のテレビ番組でも同様のパターンで繰り返しこれでもかと放送されている。

 心理学の世界では、例えば「血液診断」遊びで「A型の人は真面目です」と繰り返されると、A型の人は自分は真面目だと信じ、それに沿った行動をとることが定説になっている。バーナム効果と呼ばれている。
 私は、この種の断定的に県民性を語るテレビ番組の氾濫がバーナム効果を発揮し、少なくない大阪人をして「俺らは大阪人やからこうせなあかん」的に洗脳?されていることが多いと思っている。
 特に大阪人には、「ノリのよい大阪人」なるものがステレオタイプで誇張されているから、こういうタイプにノリ遅れることは「大阪人」としてはセンスが悪いことだ、「大阪人」としての能力が劣っていると思われはしないかとの強迫観念でそれが迫られている。

  実は「こうせなあかん」大阪の県民性と言っても実は至って薄っぺらなもので、東京メディアが心の中では嘲笑しながら「それは反東京ですね」「反権威ですね」とおだてる?言葉に心地よさを感じて、結果的には社会や政治の問題についても不真面目な選択をすることを「大阪人」の長所だと誤解している。そして、そういう「大阪人」に帰属していることで安心する。
  この「反権威的」という言葉が社会や政治の問題にまで色濃く反映して(マインドコントロールされて)いる点が、この県民性なる問題での他県と大阪の大きな違いになっている。
 関西ローカルのテレビに露出していることだけが特徴の「維新の党」が庶民的で改革者のように見えて一定の得票を得ている理由もここにある。
 兵庫県のかの県議も「西宮維新の会」と名乗ったことだけで当選したと言われている。
 (流れとしては急速に化けの皮がはがれて凋落しつつある。)
 それだけに皮肉なことだが、橋下氏が安倍政権に尻尾を振って「大阪都構想」なるものの住民投票を東京の裏取引で認めてもらったことは、誇張されてきた大阪「県民性」に最も背反する軽蔑すべき行動に見えることだろう。
 「策士策に溺れる」とはこういうことだ。
 東京に尻尾を振って助けてもらった橋下氏は墓穴を掘ったのではないか。
 うどん屋の釜で、湯ばっかりや。

2015年1月23日金曜日

歌人というもの

  元日の新聞の永田和宏氏の歌に感動したことは何回か書いた。
 妻は「今頃何を感心しているの!この夫婦はあまりに有名な歌人やないの!」と私の無知にあきれ返ったが、私には短歌は俳句と比べても何となく陰鬱という先入観があって食べず嫌いだったのである。
 いや、それ以前に、歌を味わうというような心の余裕のない半生というか、心の貧弱な半生だったと先に立たない後悔を感じている。
 ということで、今頃何を!と笑われそうだが、これもまた有名な本らしいが『たとへば君』という文庫本を買ってきて読み終えた。
 夫婦史というような言葉はないのだろうが、夫婦の相聞歌を中心にした夫婦史で、出会いから別れまでが綴られていた。
 学業優秀な二人の周りの出来事は私のそれとは大違いだが、ほゞ同じ年代の、ということは同じ時代時代の出来事の文章と短歌に理屈抜きで吸い込まれる感じがした。
 当然のことながら、序章は青春ドラマであり、 ブラウスの中まで明かるき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり(河野裕子)の頃は、シーンは違えど私も青春の真っただ中だった。
 そしてそして、平然と振る舞うほかはあらざるをその平然をひとは悲しむ(永田和宏)という地獄のような乳癌の闘病生活を経て、永田氏は、あほやなあと笑ひのけぞりまた笑ふあなたの椅子にあなたがゐないという挽歌を贈っている。
 発病後の歌が多いせいか悲しい読後感が残るが、解説の川本三郎氏が書いているように、全く別のところで生まれ育った男女があるとき出会い、結ばれ、ひとつの家庭を作ってゆく。子供たちが育ち、家を出てゆく。やがて別れが来る。・・幾世にもわたって繰り返されてきた人の営みである。・・なら、限られた日々を大事にしたいと強く思わせる本であった。

2015年1月21日水曜日

そこまで言いますか

  1月10日の夜に何気なくNHKテレビをつけたら「ニッポン‟空き家列島”の衝撃~どうする?これからの家と土地~」という番組をやっていた。
 『人口減少時代になった。20年後団塊の世代が85歳になる頃3軒に1軒が空き家になる。地価は下落しライフラインは維持できなくなり犯罪や放火が頻発する。だから老人は都会の老人マンションに移住し「実家に住み続けたい」などと我儘を言うな』というような議論が画面の向こうで展開されていた。
 郵便ポストが赤いのも、年金の将来が保証できないのも、国民皆保険が危ういのも、みんな高齢者が(生きているのが?)悪いというお話しの続きのようで、『過疎の地に住む高齢者のための行政コストが無駄だ』といい、『コンパクトな居住街以外のライフラインは面倒見きれないから覚悟せよ』というように聞こえた。
 それを、少子化問題とは次元の異なる企業城下町であったデトロイトの例を出して説得しているようだった。(曲解と扇動???)
 確かに、企業誘致と公共事業で地方自治の未来が開けるような議論は時代錯誤であるが、国全体の政策抜きで議論をすれば、現代ニッポンは人口減少による消滅自治体の拡大に向かっているようにしか見えなくなる。が、それでいいのだろうか。
 直近には統一地方選挙があるが、本当に「おらが街にハコものを!」的な意識を乗り越えた議論が必要だが、こういうテレビのような論調で福祉切り捨てが合理化されるようなら恐ろしい。
 テレビでは、労働政策の規制緩和、労働行政の民営化などの議論で辟易させられた規制改革会議や経済財政諮問会議議員の八代尚宏氏も大きな顔で語っていた。
 少子化をうんだ劣悪な労働環境を誘導した張本人ではないか。
 私たちもしっかりと展望を語らないと、この先、人口減少時代を大義名分にしたこういう福祉の切り下げ、高負担、公務員削減等の攻撃に十分に対応できないかもしれないと、身を引き締めた。

 ちなみに、厚労省もこの「世代間格差問題」には問題意識を持っているようで、ホームページの「年金PRマンガ」で施策をアピールしているが、その内容は「若い女性が結婚して出産すれば解決するから婚活に行こう!」というものだった。嗚呼。

2015年1月19日月曜日

小山田遺跡現地説明会

  18日、橿考研(かしこうけん・奈良県立橿原考古学研究所)による小山田(こやまだ)遺跡第5・6次調査現地説明会があった。
 いつものことながら、「謎の天皇陵発見か?」と各紙1面トップで報じられたこともあり、電車の中はご同輩であふれ、空にはヘリコプターが舞い、主要テレビ局も勢揃いという賑やかさで、10時開始のところが9時ごろから繰り上げられて始まっていて、私は9時25分から説明のグループに入った。
敷石のない穴の部分は
昭和40年の校舎建設時に出来たもの
  場所は明日香の中心地(川原)で、甘樫丘あたりから南へ伸びている尾根の先端部をズバッと切断して、飛鳥時代最大級の方墳が築造されたもので?この遺跡はその北辺ではないか?というのが説明内容。
 少し小ぶりの敷石が敷き詰められた堀割りが東西に約48m掘られ、北側(外側)は少し大きな石が貼られて土手を造り、南側(古墳側)は方形の板石の結晶片岩を2段積んだ上へ同じような室生安山岩を約10㎝ずつずらしながら約25度の傾斜で積んでいる立派な仕様だ。
 説明員は7世紀中期と言う。
  私の知識ではこれが古墳の裾なのか、全くほかの石の施設(明日香には石の遺跡が少なくない)なのかはわからないが、古墳だとしたら飛鳥時代の天皇陵級の感じがする。
 石舞台古墳をしのぐ規模である。
 たしか橿考研の菅谷所長はテレビで「舒明(じょめい)天皇の初葬地」の可能性を語っておられた。
 板石の積石が改葬後の舒明陵とされる段ノ塚古墳(書紀では押坂陵だが)と類似し、他に例がないようだ。
 すぐ西側には菖蒲池(しょうぶいけ)古墳があり、立派な石室と二つの石棺を見学できる。方墳と考えられている。だから、ここも天皇陵古墳の可能性が非常に高いという説明に十分納得できる。
 また一方、この地が蘇我一族の中心地であることや、一面では天皇家をも上回る権勢を誇った蘇我の墓(例えば蘇我蝦夷の墓)かも知れないとの説にも、舒明天皇が蘇我宗家と仲がよくなかったらしいこともあり、相当有力な説得力を感じる。
 板石の加工技術など古代人の高度な技術に感心するが、その割に記録を残さなかった先人に少しがっかりする。大陸には異常なほどに記録マニアの国があったというのに・・・。
 それとも、記紀編纂の時代に、それ以前の気にいらない記録を抹殺した所業があったのだろうか。
 まあ、そのおかげで、1400年ほど後の我々がああでもないこうでもないと楽しまさせてもらっているのだが。
 天気もよく、岡寺まで足を延ばした。はるか金剛山山頂が白く輝いていた。
 歳は取りたくないものだ・・が、朝早くから、膀胱の上あたりに懐炉を貼って出かけた甲斐があった。
   明日香には 謎という言葉が よく似合う
  謎と言えば 参加者みんな 納得し 

2015年1月18日日曜日

ファシズムはニコニコ顔でやってくる

  「ファシズムというものは軍靴の音をたててやってくるという誤解がある」(決してそうではない)というような文章を小田実氏か誰かの本で読んだような気がするが、現代人に対する的確な教えだと思う。
 そういう風なことを思うと、9日に書いた永田和宏氏の二つの歌の的確な視点に体が震える。
   まさかそんなとだれもが思ふそんな日がたしかにあった戦争の前
   余計なことには関はりたくないといふ意識だれにもあればそれこそが怖い

 映画の「菩提樹」だったか「サウンド・オブ・ミュージック」だったかに、主人公たちがレストランで食事をしていると、他の席の青年が美しい声で故郷を称える歌を歌い始め、その綺麗な歌に二人三人と加わり、最後は大合唱になっていくシーンがあったように覚えている。
 故郷を称える歌詞は民族を称える歌詞に繋がり、青年たちは右手を掲げる敬礼に酔っていくのだった。
 その時私は、百の論文よりも「ああ、ナチズムはこのように広がっていったのだな」と自身納得した記憶がある。
 
  この頃テレビで、陰に陽に「日本人がどんなに立派であることか」というトーンのバラエティー番組が増えている。
 自分の国や自分の民族を誉められて心地よい庶民は(その心地よさを悪いと言っているわけでは決してない)、強調された日本人の真面目さとか律義さに溜飲を下げ、番組の中でそれに驚く外国人を悪意はなくとも笑うということが繰り返されている。
 繰り返し繰り返し放送されるその種番組を見て、世界と日本が全て解ったような気になって、その気分の延長で集団的自衛権も秘密保護法も「まさかファシズムに向かうことはないだろう」と根拠もなく信じる。
 
 こんな時代は歴史上なかったのだろうかと私は自分に問う。
 掲げた写真は毎日新聞社の「一億人の昭和史」に見つけたものだが、昭和初期の竹久夢二の作品と、昭和初期の銀座。
 豊かな者はエロ・グロ・ナンセンスを含めて結構平穏な享楽を享受し、貧しい者は社会を考える余裕もないまま、「戦前」は音も立てずに(ほんとうは大きな音であったはずだが)背後に立っていたのだろう。 

 昨日の記事で、現代社会はリアルな連帯が希薄な分、バーチャルな連帯を人々は潜在的に求めていないかと書いたが、マスコミがそれ(疑似連帯)を提供し、人々はマスコミに露出する著名人や多数派的な主張をなぞることで自民党的な、あるいは維新の党的な体制に絡めとられているように思う。
 大きなバーチャル連帯共同体に包まれている感覚で安心感を得ているといってもよいかもしれない。
 そういう人々は、例えば安倍氏や橋下氏の批判を、自分への批判のように受け止め感情的に反発する。悲しいけれど、そういう現実がある。
 あんな低レベルな大阪都構想なるものが一定支持されている理由もここにありはしないか。
 だからリベラルな人々には、そういう人心のひだを開かせる言葉と行動が求められている。
 偉そうに言っているが、そこの段階のままで私は答えが出せていない。
 ただ、理屈で論破することによって世の中が変わるなら、それほど楽なことはない。

2015年1月17日土曜日

今日、1月17日

  阪神淡路大震災から20年が経ち、あの日を振り返る放送も多い。
 悪意ではなく、「あれほどの大災害には消防も太刀打ちできず、住民自身の、住民どおしの助け合いが如何に大事か」が語られているが、そのとおりだと思う。
 しかし、周りを見回してみると、勤労者の労働組合未加入率が増え、街では自治会未加入者が増え、卑近なところではゴミステーションのマナー違反もある。
 縦型の企業の論理にはモラルも忘れて従い、儲けに直結する業界団体には帰属するが、目先の利益だけではない先のような連帯は薄れている。労働組合の名に値するかどうかという問題もあるし、行政の手足のような自治会という問題もあるにはあるだろうが。
 受験競争中心の教育と、金儲けだけが社会の目的であり人生であるかのような企業主義が現状を生み出したのではないだろうか。
 
 そういうリアルな連帯感を知らない現代人は、心の深いところでそれを寂しく思い、バーチャルな連帯感に代替効果を求めているように思う。
 スポーツ愛好家には悪いが、マスコミ先導型のスポーツの熱狂的応援や、他人を攻撃するネット社会の土壌もそこにあるように思ってしかたがない。
 
 確かに、古い農村型の人付き合いには気疲れも感じるだろうが、程よい距離感のコミュニティー活動の必要性は高いだろう。
 そういう話をきっちりしなければ、テレビ画面のお偉いさんの「住民どおしの助け合い」のサゼッションも絵に描いた餅で終わるような気がする。
 胸に手を当てて反省しつつそんな感想を抱いてみた。

 震災20年で胸を打つ独白を見つけた。
 日本共産党書記局長山下芳生氏の非常に率直なルポである。
 下のURLを左クリックでドラッグして反転させて右クリックで「http://t.co/wvjS78FNaGに移動」してほしい。
   http://t.co/wvjS78FNaG

2015年1月15日木曜日

文化の守り手

  11日(日)に奈良で『世界遺産都市奈良を守ろうシンポジウム』があった。
 3人のパネラーから、2000億円を投入する平城宮跡潰し、同様の奈良特区政策、バス道路による若草山破壊の痛ましい告発があった。
 つまるところ「金儲け」のための暴挙だと思うし、その浅知恵は、本当の意味での奈良の金儲けにもならないだろうと私は思う。
 もちろん、シンポジウム参加者は「奈良の文化を守れ」「文化財を守れ」「歴史遺産を守れ」という立場であるから、各県には政治の革新を目指す「(革新懇)談会」というのがあるが、奈良県に限って言えば「保守懇」と名乗ってもいいような気がする。
 というよりも、何処の府県でも自民党や維新の党が「文化では腹は膨れない」とばかりに旧態依然とした開発・公共工事中心の政策で、歴史遺産や文化遺産を顧みない一方で、政党でいえば共産党が一番それらを守れと主張しているのだから、言葉尻の問題ながら保守と革新というのも複雑なものである。共産党こそ最も良質な保守党ではなかろうか。というと話はこんがらがるか?
 
 さて、若草山には絶滅危惧種の草花が19種もあるということをこのシンポジウムで初めて知った。
 若草山は元々非常に水気の多い山であったのを、明治30年代に大規模な水抜き工事を施したらしい。・・・・で、
 アゼオトギリ・・・・・・・・・・・湿地性のアゼオトギリは水抜き工事以前の生き残り?奈良県の他地域での生育は未確認の絶滅危惧種。
 タカサゴソウ・・・・・・・・・・・近畿では若草山ぐらい。
 アイナエ・・・・・・・・・・・・・・近畿では奈良公園のみ。
 マイズルテンナンショウ・・近畿では奈良公園のみ。
 レンゲツツジ・・・・・・・・・・・湿地性のレンゲツツジが尾根筋近くに。
 う~む、若草山は奥が深い。
 そこへ、大がかりなバス道路工事?・・・・・おいおいおい。

 奈良県は、若草山にモノレールを敷く案はほゞ断念したが、今度はバスを走らすと言い始めている。
  モノレール案の際、「電動カートは景観や環境保全を考慮すると道路整備等に問題が多い。雨天時のスリップを考慮し急勾配区間を短くする必要あり。切土盛土等地形改変が大幅に生じる」として、県自体がモノレール以上にダメだと言っていたにもかかわらず、・・・無茶苦茶としか言いようがない。
 実際、一重目頂上から二重目頂上にかけて、10~15%、部分的に20%という箇所があり、県条例の「最大でも12%」をはるかに超えている。
 二重目頂上の手前は10%を超えて道が傾いており、これを水平にするには切土盛土が必要で、盛土の裾には構造物が必要。同じように、バス通行のための道幅確保のためには全線にわたり切土盛土が必要。
 一重目の頂上付近転回場所は相当な切土盛土が必要。展望台設置なら防護柵も必要。
 現在でも表土が侵食されている箇所がかなりあり、バス通行による大規模な浸食を避けるためには舗装が必要。となると、横断溝や水路の設置が必要。
 県のルートは稜線を走ることになり、景観破壊はモノレール以上。
 登山道と重なる急勾配の道をバスが走って安全は確保されない。
 ・・・・・・というものだから、良識ある人なら無茶だということになろうが、声をあげなければ止まらない。
 それに、これは算盤上も奈良の大損になるだろう。
 京都の東山や北山を考えても、景観の経済的効果が解らないのは究極の田舎者だと私は思う。

2015年1月13日火曜日

古代国家誕生の地

  お正月のニュースのトップが寒波と豪雪だった。
 息子のファミリーも北陸からの正月2日中のUターンを断念した。
 「住めば都」という言葉があるが、半世紀以上(どちらかといえば)太平洋側気候で過ごしてきた人間には日本海側の冬は大変だなあという気分が拭えない。
 向こうから言わせれば太平洋側(それも盆地)の夏は堪らないだろうということになるだろうが。

 我が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後 と天武が「貴方の居る古ぼけた田舎に降るのは後でしょう」と詠うと、藤原夫人は、我が岡の 龗(おかみ)に言ひて 降らしめし 雪の摧(くだ)けし そこに散りけむ 「私の岡の水神に降らせた雪の欠片がそこに降ったのですよ」と応えたらしいが、豪雪地帯の人に言わせれば「何をチャラチャラと・・・」という歌になるだろう。そこは明日香の周辺の‟そことここ”の場所である。

 さて、日本近代史専門の小路田奏直(こじたやすなお)先生の著書に次のような件(くだり)があった。
 「あるとき、居並ぶ(古代史の)専門家たちに、なぜ古代日本の中心は奈良盆地に来たのかと問うたら「そんなのわかるわけがないじゃない」といって笑い飛ばされたことがあった。」と・・・、そういう学会の状況を痛烈に批判し、「鉄の国」「封建国家」「六合の中心」などの物差しで持論を展開されていたのだが、・・といいながら私は、先生の諸論にも「ほんとうにそうなの?」という気ももやもやと持ったまま今日に至っている。
 
  そして、東北の地震、御嶽山や九州その他の火山の噴火、山陽地方ほかの豪雨と土砂崩れ、等々等々近頃の自然災害や、先にあげた日本海側の冬の豪雪被害の報に接すると、結局(奈良盆地への侵入者たる)古代の大王はこの列島の中で一番安全で温暖な土地として奈良盆地を選んだのではないかというような想像の広がるのを止めることができないでいる。
 筑紫、出雲、越のクニグニ等を統べる古代国家という意味で…。
 先生の論拠はもっともっと多角的で、大陸との関係、交易ルート、各地の豪族と中央国家、資源と産業等々学術的なのだが、私はいたって単純に、それらもあるだろうが同時に一番住みやすいところを選んだような気がしてならない。感覚の話である。
 
 今後とも古代史を学ぶ中で、葛城や蘇我や古代の豪族たちに、「なぜ貴方たちはここに来たのか」と問うてみたい気が大きくなっている。
 以前の記事の写真のとおり、このお正月は我々的には大雪だった(この言い方は決しておかしくなく、気象庁の大雪注意報等の「大雪」という定義は地域ごとに大きく異なっているという)。

 そして話は元に戻るが、3歳の孫に「雪に閉じ込められた北陸のお正月は寒かったやろう」と尋ねると、しっかりした顔で「(屋外でも)寒くなかった」と答えた。
 雪国=寒いという思い込みは太平洋側の誤解らしく、乾燥したこの地の木枯らしの方が何倍も寒いというのが雪国の人々の感想らしい。
 となると、「奈良盆地=住みやすい地」との私の仮説も、大前提が大きく狂いそうである。う~む。

2015年1月11日日曜日

天皇のご感想

 昨年12月10日にこのブログで「天皇制と憲法」という記事を書き、「天皇夫婦と宮内庁が一番嫌がっているのは安倍首相だろう」と感想を述べたのだが、この正月にはほんとうにそのことを再確認した。
  以下に『戦後70年』に関わる安倍首相の年頭所感と天皇のご感想の該当部分を、首相官邸ホームページ、宮内庁ホームページから、そのまま掲載する。

 『首相の年頭所感』(官邸HP)
 「今年は、戦後70年の節目であります。日本は、先の大戦の深い反省のもとに、戦後、自由で民主的な国家として、ひたすら平和国家としての道を歩み、世界の平和と繁栄に貢献してまいりました。その来し方を振り返りながら、次なる80年、90年、さらには100年に向けて、日本が、どういう国を目指し、世界にどのような貢献をしていくのか。私たちが目指す国の姿を、この機会に、世界に向けて発信し、新たな国づくりへの力強いスタートを切る。そんな1年にしたいと考えています。」

 『天皇のご感想』(宮内庁HP)
 「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。」
 
 解説は無用だと思う。常識ある市民なら、先の私の理解に納得していただけるだろう。
 私は、天皇の言葉を利用して安倍首相を批判しようというようなケチな気はないが、事実を確認しておきたいだけである。

 共産党の宮本岳志衆議院議員が、『国会でおりますと、「共産党も本当に今の憲法のままでいいの?天皇条項も変えなくっていいの?」と聞いてくる改憲派議員はごろごろおります。眉ひとつ動かさず、一切の躊躇なく「まったく変える必要はありません」と答えるのが憲法に関する共産党の立場だ』と言っていたが、私はそれでよいと思っている。
 私たちの世代は、住井すえ著「橋のない川」で展開された『人でない天皇がいるから人でない被差別部落民が存在する』的なテーゼが頭の隅に残っているが、これを教条的に振り回してはならないと思う。だから、昭和天皇の戦争責任や改憲派の蠢動に機械的に反応して、現代社会の主要な対決点でもない天皇問題を現下の課題のように語ったり、あるいは、首相らの憲法逸脱の発言を否定したいがために現天皇に政治的な発言を求めるのも憲法の定める象徴天皇制と背反する考えだと思う。
 こういう話を冷静に話していけば、民主党などの野党を超えて、理性的な保守層と共産党の一点共闘の方が先に進むような気がしている。
 堺の市長選挙やオール沖縄の勝利はそういうことを考えさせたように思う。

2015年1月9日金曜日

言葉の力

  凡人は元日の2紙に掲載されていた永田和宏氏の歌に震えるような感動を覚えた。
 まさかそんなとだれもが思ふそんな日がたしかにあった戦争の前(朝日掲載)
 余計なことには関はりたくないといふ意識だれにもあればそれこそが怖い(赤旗掲載)
 これをただの文章として語るなら、そのような主旨の文章は私も書いたことがある。
 私の友人たちも書いている。
 しかし、このように研ぎ澄まされた言葉を私は紡げない。その一方で、この歌は今後何層倍にも拡散されるに違いない。その素晴らしさに私は震えた。
 同じことを語っても語る言葉で力は変わる。
 私には文学的な素養は全くないが、少なくとも私の言葉で、新聞や雑誌からの借物の言葉でない言葉で、私なりの意見を発信していきたい。
 元日の新聞から、そんな決意をさせていただいた。
 まさかそんなとだれもが思ふそんな日がたしかにあった戦争の前 永田和宏
 余計なことには関はりたくないといふ意識だれにもあればそれこそが怖い 永田和宏
 言葉の力をずしりと感じた朝だった。
 朝日には、
 太郎を眠らせ次郎を眠らせ白き雪ふり積む秘密保護法列島 高野公彦 もあった。
 蛇足ながら、三好達治の雪という詩を踏まえているが、この歌では「眠らせ」たのは雪でも母でもなく安倍政権のように思われる。
 凡人の感想だから間違っているかもしれない。
 ほかには、金子兜太の、
 海鳴りの被曝の村を猪(しし)(ゆ)けり
 菅原文太の気骨素朴に花八ツ手
 山茶花(さざんか)も水仙も咲く人よ生きよ  ・・も心を打った。

2015年1月7日水曜日

十日戎が好き

  毎年恒例の風物詩のようなことになるが『十日戎』が近づいてきた。
  戎っさん(蛭子神)は耳が遠いので、正面から拝んだだけでは願いは聞き入れてもらえない。
 どこの誰がどういうお詣りにきてお賽銭を投げたかが戎っさんには判らない。
 だから正面でお詣りした後、鎮座まします座所に近い裏に廻って、裏口をドンドンと叩いて「どこそこの誰でっせ○○をよろしくお願いしまっせ」と大声をあげてお詣りしなければ値打ちがないとは大阪人の常識。
 大阪の今宮戎には裏に2枚の大きな銅鑼のようなものがあるので、そこをドンドンと叩く。
 私の知る限り奈良の奈良町の戎っさんにも京都祇園の戎っさんにもそのために叩く場所が用意されていた。
 ところが戎神社の総本山みたいな西宮の西宮戎にはその裏口がないので驚いた。だから何か戎っさんにお詣りした気がしなかった。
 それから、今宮以外の多くの戎っさんでは福笹がビニール製であったり、最初から吉兆付きで有料であったりした。
 で、やっぱり、ちょっと混雑が過ぎるが今宮の戎っさんが一番十日戎らしいと思っている。
 今宮では、先ず福笹をただでもらう。それをもって吉兆をつけてもらいに行く。これでこそ「商売繁盛で笹持って来い」になる。
 現職の頃は「私等の商売が繁盛するということは世の中全体で見れば不幸なことやから戎っさんにはお詣りしない」という人も少なくなかったが、我が家では『大阪のしきたりのひとつ』としてほとんど欠かしたことがなかった。
 余談だが姪が福娘になったこともある。
 と言いながら、私は近年、今宮戎のあまりの混雑を避けて京都祇園の戎っさんにお詣りしている。そして八坂の戎っさんとハシゴをしたのち木屋町あたりで一杯飲んで「ああ今年もええ正月やった」と夫婦で思うことにしている。
 
  今日のところは、「商売繁盛の秘訣は神頼みよりも賃上げで消費者の懐を暖めることだ」と目をむいて正論を吐かずに笑っていただきたい。

 おまけで、お正月に使用した祝箸の写真を添付しておきます。下から上に向かって入れる関西風の祝箸です。




 追記 : 宵戎に行ってきました。祇園でロシア料理を食べて帰ってきました。

2015年1月5日月曜日

桑田佳祐という男

  元日の朝日新聞にサザンオールスターズの広告が4頁建てで出ていた。
 見開きの2面全面に「遂に、10年ぶりのニューアルバム発表。そして全国へ」という広告らしい広告があったが、第1面はニューアルバムの中の「平和の鐘が鳴る」の歌詞だった。
 読んでみると、それは、まぎれもなくこの時代への異議申請だと私には思えた。
 そしてこれがNHK90周年のイメージソングらしいから、いろんな意味を込めて正月早々嬉しくなった。

   そういえば、紅白のクライマックスにサプライズでサザンのライブが挿入されたが、その冒頭、桑田はヒットラーのちょび髭をつけて登場し、その後「ピースとハイライト」を熱唱した。
  「ピースとハイライト」の直訳?が「平和と極右」であるのは誰にでも解った。

  歌詞のテロップが流れたから、少なくともNHKのプロデューサーも選曲を承知していたのだろうから、桑田佳祐及びNHK前線職員の根性には頭が下がった。
 〽  都合のいい大義名分(かいしゃく)で
    争いを仕掛けて
    裸の王様が牛耳る世は・・・・狂気(Insane)
    20世紀で懲りたはずでしょう?
    燻る火種が燃え上がるだけ
 
 この歌から桑田佳祐を丸ごと賛美するのは早すぎるだろうし、そこまで私は知らない。
 紅白でバランスよく「東京VICTORY」を併せて歌ったのではないかとは私の穿ち過ぎか。
 高度な販売戦略でもあるかもしれないし、そうでないかも私には判らない。
 それでも、彼らの今回の勇気に比べて私たち、もとい、私のそれはどうだろう。
  よく「空気の読めない人間」という意味でKYなどという言葉が肯定的に言われたりするが、考えてみるとKYなどと言うのは「憶病者の言い訳」ではないだろうか。
 2015年、勇気をもって発言しようという気にさせた今回の「紅白と広告」だった。その限りの感想ではあるが…、
 やってくれますね、桑田佳祐。

 「平和の鐘が鳴る」の始めの部分
   今の私を支えるものは
   胸に温もる母の言葉
   若い命を無駄にするなと
   子守唄を歌いながら

   過ちは二度と繰り返さんと
   堅く誓ったあの夏の日
   未だ癒えない傷を抱えて
   長い道を共に歩こう

2015年1月3日土曜日

年賀状の文化

  元日の昼前に年賀状を読むのは文句なく楽しい。
 56.4cmのチヌを抱きかかえた写真なぞに何の説明がいろうか。
  短い言葉の裏にはそれぞれの家庭の1年があり、それぞれの抱負がある。
 年賀状だけのお付き合いは「虚礼だ」という意見もあるが、私はそれでも構わないと思っている。
 かつてお世話になった方々への「安否通知」でも構わないと思っている。
 広義でいえば無駄こそが文化ではないだろうか。

 私は悪筆のため相当以前からワープロ~パソコンで年賀状を作っている。
 毎年この時期の新聞の投書欄には必ずといっていいほど「味気のないパソコンの年賀状。年賀状はやっぱり手書きで」という投稿が掲載されて胸にグサッとくるが、その分、当たり障りのない祝賀の言葉ではなく、元日にクスッと笑っていただけるような我が家の近況を綴るようにしている。
 お世辞だろうが「貴方の年賀状を読むのを毎年楽しみにしている」というような声を聞くと嬉しい。
 だから、秋の初め頃から頭の片隅では「次の年賀状のテーマは・・」などと悩んでいる。
 そのため、イラストにせよ版画にせよ所信表明にせよ、どこかに心のこもった年賀状の奥にはそれぞれ製作者の苦労が思われる。

 さて、近頃は「昔の暮らし」の展示場に自分の知っている道具がいっぱいあって、「私の半生も‟昔の暮らし”という範疇なのか」とがっかりすることがあるが、もうすぐそこに、私の使っていたプリントゴッコも並べられるに違いない。
 あれこそ、年賀状のためにだけ発明された(謄写印刷は昔からあるのだが)道具だった。
 もちろん、プリントゴッコを駆逐したのはパソコンと家庭用プリンターである。
 2010年のある調査では、家庭用プリンターの所有率はその時点で90.9%で、世界中でも高所有率らしいが、その理由がネットの普及というよりも、やっぱりというか、利用目的の第1位が年賀状のためという結果であったのも何となくうなずける。

  最後に、年賀状の歴史を調べていると、昭和12年の盧溝橋事件、13年の国家総動員法以降、世の中の雰囲気も「年賀状どころでない」となり、15年には『年賀郵便の特別取扱中止』になり、ついには逓信省自らが「お互いに年賀状はよしませう」と自粛を呼びかけるポスターを掲げた。
 年の始まりを祝い、消息を伝え合う年賀状も平和の象徴のひとつだろうと思うと、世の中「メールなどSNSでの年賀が普及し年賀状が減少している」と報道されているが、もうしばらくは年賀状派でいたいと思っている。

2015年1月1日木曜日

謹賀新年

  あけましておめでとうございます。

 元日の我が家は爽やかな香りに包まれて新年を迎えました。
 というのも、私の育てた臘梅の枝をバッサバッサと妻が切り取って家の中に活けたからです。おかげで爽やかな臘梅の香りがいっぱいですが・・・嗚呼、庭の臘梅の木の方は・・嬉しいやら悲しいやら・・・。今年もこういう家庭内の力関係で推移することでしょう。 

 今年の我が家のお雑煮は、元日は大阪せんばのお雑煮です。
 白味噌仕立てに小さな雑煮大根、人参、小芋、焼き豆腐を入れ、お湯で温め柔らかくした丸餅を入れ花鰹をたっぷり盛ります。
 二日は、これまでは「すまし」のお雑煮でしたが、今年は二日が家族大集合の日となるため、大和風にすることにしました。
 普通の味噌味(白味噌ではない)に、小芋、大根、人参、豆腐とともに、焼いた丸餅を入れ、お餅は別皿のきな粉をつけて食べます。
 アンダーラインの部分が大阪風とは大きく異なるところです。
  妻の両親の出身地である生駒谷の味で、私の子どもたちも特にきな粉を好んでいます。
 雑煮とは家の味だ!というような時代錯誤は言うつもりもありませんが、子供たちには大阪の雑煮と大和の雑煮を知ってはおいてほしいと思っています。
 そして、それを知ったうえで、同じように配偶者にも受け継がれてきた北陸や東海の伝統にも配意し、子供たちの家庭なりの食文化を作っていってほしいと願っています。

 今年の祝箸の箸袋は、「寿」ではなく「笑門来福」として作りました。これは我ながらグッドアイデアだと悦に入っています。
 もちろん、袋の下からお箸を入れる関西風に作りました。
  この頃毎年愚痴っていますが、大手スーパーが地元の商店を淘汰していくとともに地方地方の文化も駆逐されていっています。
 効率化だか何だか知りませんがショッピングモールの中には「上からお箸を入れる関東型」の祝箸ばかりです(このショッピングモールの住所は曲がりなりにも京都府なのです)。
 ただし、大阪の古い食の記録にも上から入れる祝箸も写っています(例えば『日本の食生活全集㉗聞き書大阪の食事』)から、全大阪イコール関西風ではなさそうです(実際の大阪の祝箸は「上から型」と「下から型」が混在でしょうか)。
 でも私は古い関西風にこだわりたいと思っています。
 なお、一色八郎著「箸の文化史」には、「関西式の箸袋は箸先を下から上にし、箸先を水引で清めるように結ぶ」と書いてあります(ちなみに関東のものは晴れやかにするため水引きは豪華に下から上に向かって結び、箸は上から入れるとあります)。

 こんな話は些末なことのように見えますが、近頃の風潮の特徴が、長いもの、大きなもの、マスコミに登場するもの、権威的なものに対する同調圧力であるように思われますので、その対角のような関西風箸袋にこだわりたいと思うのです。
 今年もそうやって、我儘爺さんよろしく、好きなようにこのブログを綴っていきたいと思っています。
 旧年同様、どうかよろしくお願いします。
  『長いものより一寸長く』は、故川口是先生の遺言です。