2013年5月30日木曜日

ただ有明の月ぞ残れる


                   (動画はYou Tube上にあったもの)
  そんなに凝っているというほどのことでもないのだが、野鳥の写真を撮るのが好きである。
  だが、深い木々の奥で鳴いている夏鳥の撮影は根気と体力が勝負であるので、此の頃はその根気が続かず、ここしばらく夏鳥の撮影からは遠ざかっている。
  しかし、常々モノにしたいと思っているのがホトトギスで、釣り師が釣りの本を読むように、登山家がガイドブックを読んで楽しむように、野鳥の本を読みながら窓の外の、少し遠くの声を楽しんでいる。
  ホトトギスの撮影が何故困難かというと、木から木へとよく飛び回り、それも結構速くて、ヘボ写真家ではなかなか付いていけないからである。
  それも、全く姿を現さないのかというとそうでなく、アッと思ったときには頭の上を鳴きながら飛んだりするからいまいましい。
  『ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる』は素人が単純に詠んで「うんうん」「そのとおり」と肯ける。そんな感じである。
 声のきれいな鳥はいっぱいいる。姿の美しい鳥もいっぱいいる。しかし、やっぱりホトトギスは気になる鳥である。
 それはその声が、どこか悲痛で何かを訴えかけているように感じられるからだろう。
 私には、この国の原発のあり方と、急速な右傾化に激しく抗議しているようにも聞こえる。
 可愛いのか可愛くないのか微妙な声であり微妙な鳥である。

2013年5月28日火曜日

やっぱり熊ん蜂

  飛び回っているクマバチとオオハナバチとオオハナアブは区別がつきにくい。
  以前に、満開の藤の花に寄って来たクマバチはカメラに対して威嚇してきたからクマバチに間違いない。
  それに対して、この時期の我が家のエゴノキに寄って来た彼奴からはそういう殺気が感じられない。それでいろいろ参照してみたが、やっぱりクマバチに間違いないようだ。この違いは何だ。
 藤の季節=いろんな花の咲き始め・・・は気が立っていて、エゴノキの季節になると「金持ち喧嘩せず」というように大らかになるのだろうか。
 こんな疑問について書いてある本てあるのだろうか。
  エゴノキがムッとするほどの満開なのにクマバチは適当に蜜を吸っては飛んでゆく。
  そして、定期便のように帰ってくる。

   ブ~ンという羽音はやはり貫禄を感じさせるというか、そこそこの殺気を漂わせている。
 この羽音は蜂の王者を思わせる。

 左に、以前の殺気に満ちた写真を再掲する。
 このときは、ほんとうに「メンチ切ったな オラオラ やる気かえ コラ」とからまれた。


 先日、「法華堂再び」を書いたが、ここの秘仏執金剛神は平将門の乱の折に髻が大きな蜂になって飛んで行き、将門を刺したと伝えられている。
 こういう霊験譚は楽しく聞き置けばよいが、今日、家族の内視鏡手術が無事に完了した。
 「大難小難、大難小難」と不空羂索観音の方角に向かって感謝しておいた。

2013年5月25日土曜日

うめきたのBGM

  自分ではそれほど時代遅れだとも思っていないのだが、・・・実は相当「時代に引き離されている」のではないかと、先日、背中に寒気を感じたことを書く。
 しかし本当に私の方がおかしいのだろうか?と、思いつつ・・・・

 それを感じたその場所は「うめきた」である。
 少し世相を見聞しておこうと、ショッピングはハナから度外視して、夫婦で「うめきた」をハイクをした。本当にハイキング。
近大マグロは長蛇の列
  そして、どこか適当なお店で昼食をとろうかと思ったのだが、飲食のフロアは、フロア全体が半ばオープンテラス的に開放的で(そのことについては全く違和感はないのだが)、全ての店を覆い尽くすように相当桁違いな音量のBGMが響き渡っていたのである。
 私には、それは到底食事を楽しむBGMとは感じられず、一言でいえば不快な音楽だった。
 結果的には、「こんなうるさいところで食べたくない」と夫婦で阪急百貨店に行って串カツを食べて帰ってきたのだが、私の感覚が正しいのか、それとも時代遅れの愚痴なのか・・・・・・?

 一見したところ私たちと同様の高齢者も少なくないので、このBGMへの違和感・不快感の問題は、単純な世代間格差でもなさそうでもある。
 だとしたら、ただの田舎者が都会に毒づいているだけだろうか。
 あるいは、もしかしたら、あの強烈なBGMに耐えられるのは健康な精神の証なのかもしれなくて、少しストレスを抱えた人間には重すぎるという問題なのだろうか。判らない。

  少し話はずれるが、虫の声を左脳(言語脳)で聞いて楽しんでいるのは、世界広しといえども日本人とポリネシア人だけだと言われてる。
 正確には人種としての日本人ではなく、「日本語を母語として育った人間」ということらしい。

 言いたいことは、虫の声を快く感じるか、騒音として不快に感じるか、決定的に異なる人間が地球上にはいるということである。
 それと同じことがBGMについても当てはまるのかどうかは判らないが、「うめきた」で我々夫婦は少数民族の悲哀に似た違和感を感じたのだ。

 私の思春期の入り口は和製ロカビリーの時代だった。藤木孝、ミッキーカーチス、山下敬二郎等であった。当時それらは「不良の音楽」と言われ、親の世代は確実に騒音扱いしていた。
 その私が、娘が高校時代に聞いていた音楽をどうしても理解できなくなっていた。
 だとしたら、結局は時代遅れの年寄りの愚痴だろうか。 だが、納得できない。・・・・そこで、

 分析的に推定すれば、『今この店で食べなければ大損をするぞ』・・的に強迫的に駆り立てているかのような音量でありリズムである。それはパチンコ屋やスーパーと共通する『誘導音楽』だと私は思う。あの音量を不快と感じない人というのは、『消費を誘導する計算された音楽』に飼いならされた人のことだとしか思えない。
 その昔、当地のスーパーでは「踊るポンポコリン」や「ロッキーのテーマ」が流され、それが一般庶民の購買意欲を刺激していたことは識者から指摘されている。

 これって、一種の遠吠えですか。
 そんなあれこれを、息子から借りたボサノバのCDをBGMにかけながら考えた次第。
 そうか! 「うめきた」に大人の文化を期待するのが阿呆だったのか。
 この直観、結構「うめきた」の明るくない未来を言い当てているかも知れないと思い始めている。

2013年5月23日木曜日

モリアオガエル


  初夏の日差し。
  季節の使者=「樹上に産み付けられたモリアオガエルの卵」=を見つけた。
  鹿も小川(溝?)で涼みながら見つめていた。

  先日の「法華堂再び」で書いたが、奈良公園は今、修学旅行まっただ中。
 このごろの流行りはオリエンテーリングの要領で地図を片手に小グループで歩かすスタイルらしい。

  丁度、春日大社一の鳥居を少し入ったところにそんな小学生達がいた。
 ・・で、お節介爺さんは「みんなの地図にはここに有名な木が生えているって書いてあるかな?」と口出しをしたが、予想どおり「ありません」と礼儀正しい答えが返ってきた。
 そこで、「ちょっとあの木を見に行ってご覧」と言うと、「わあでっけえ!」「わあわあ」と言いながらスグに案内板を読もうとする。(現代っ子の合理主義?)。・・ので、「上を見上げて御覧」と言うと、「わあ木から竹が生えてる」と大騒ぎになった。それでよしよし。
 私が予想するに・・・、修学旅行では枕投げは覚えていてもお寺や仏像はほとんど覚えていないものである。そんなものである。
 しかし、きっと、偉大な先生が作った地図にない、そんな不思議な木をお節介爺さんに教えてもらったことは、それ以上に印象深く、先生や他のグループの者たちに対して鼻高々になるはずである。
 社会の勉強にも理科の勉強にもならないが、何でもよいから奈良が好きになってくれればよい。

 私が先の方を歩いて行ったら、後ろの方から大きな声で「ありがとうございました」という集団の声がした。
 後ろを向いたまま右手をあげて、バイバイ(よしよし)と手を振っておいた。

2013年5月21日火曜日

青山椒


  山椒魚は山椒の匂いがするから山椒魚と言うらしいが私は自分の鼻で確認していない。
  アゲハ蝶の幼虫は山椒が大好物で、こいつは指で摘まんだりすると強烈な山椒の匂いがすると人は言うのだが、それは山椒に申し訳なく、山椒を突き抜けた悪臭だと私は思う。

  この辺りで普通に売っている山椒の木は朝倉山椒だが、これを植えると2,3年で突然枯れてしまうことが多かった。
  私は過去に何本枯らしたかしれない。10本はくだらないだろう。
 その度に「また枯らすつもり?」と妻に嫌味を言われながら買い直した結果、ようやく今の木は7年近く育っている。

  そして、その木が成長した結果、3年ほど前から実山椒が成るようになった。
  今般、比較的大きくなった実を収穫した。第2弾、第3弾は週を待って収穫する予定だ。
  山椒は煮魚や各種佃煮等に重宝している。
  レシピ本では湯掻いて渋を取ると書いてあるが、我が家ではそのまま使用する。
  そのために綺麗に洗ってそのまま冷凍しておく。
 私の経験だけから言うと、「アクを抜いて」とか「シブを抜いて」というレシピ本は参考にしない方が良い。香りや辛みの飛んだ香辛料なんて香辛料ではなくなるから。

 小さい頃、母がチリメン山椒を煮ていて家中が匂っていたことが度々あり、その匂いを私はあまり好きではなかったが、今は妻が作るその匂いを嗅ぐと懐かしい感覚が沸き起こる。ですよね、ご同輩。

 我が家では「実山椒」よりも「木の芽」の方をより重宝しているかもしれない。
  木の芽は「筍の木の芽あえ」等だけでなく、具御飯、お吸い物、お刺身、焼き魚等々に万能の調味料として使っている。
 もちろん、例によって使用前に手の平に乗せてパンと叩いてから葉っぱをむしる。
 場合によっては食卓に出してから、食卓の皆が、パン、パン、パンと叩いて、辺りに木の芽の香りが充満するのも風物詩ではないだろうか。
 娘が何となくお上品に木の芽を叩かずに使用しようとするので、「それはテーブルマナー違反だ」と言ったのだが、食する前に手に乗せたり、それをパンと叩くなど、小笠原流なら言語道断と叱られるのだろうか。

2013年5月18日土曜日

法華堂 再び

 
二月堂下の黒板
  東大寺の三月堂ともいうが、法華堂の須弥壇の修理がこのほど完成して拝観が再開された。
  元々(?)法華堂にあった日光菩薩、月光菩薩、弁財天、吉祥天、地蔵菩薩、不動明王は、免震装置完備の東大寺ミュージアムに移ったが、不空羂索観音菩薩をはじめとする9躰の仏像と1躰の秘仏(全てが国宝)が戻ってきた。

  私の第一印象は、「程よい配置になった」・・である。
散華
以前は堂内にあまりに仏像が多すぎた。
 (全て私見なのでご容赦を!)
 (今回の調査では元々もっと多くの仏像が並んでいたことも判明しているが・・・)

  照明は、これを機に明るさを抑えてLED化されたというのだが、これはスポットライトの技術のおかげだろうか、私には以前よりも輝くべきところが輝いて見えた。
 本尊の金箔の剥げ具合というか、残り具合というか、東大寺の公式パンフレットよりも何倍もキラキラと輝いて美しかった。
 時代を経たその程合いが絶妙で、仏像の奥に確かに仏様を見た感じがした。
  これまでも、遠方の友人が来た時などには法華堂に案内していたが、ますます案内したくなった。
  よい修理工事だったと思う。

まんなおし地蔵尊道標
  私は、仏に現世利益を求めたり、まじないをお願いするのは、基本的には邪道だと考えている。
  しかし、人事を尽くして天命を待つ局面も人生の現実には存在する。
 その時の天命が「少しでも後で『良かった』と感謝できるように」と手を合わせることもある。今回はそんな思いをお願いした。
 そして、二月堂に移ってから、北東角の「まんなおし地蔵尊」の道標に向かって「まんなおし」もお願いしてきた。(これはおまけ)

大仏さんの鼻の穴
  この季節の東大寺は幼稚園児から高校生までの遠足や修学旅行で大賑わいである。
  その群衆の中を歩くと、病気のことや後ろ向きの事柄を忘れてしまう。
 仏さんには悪いが、ちびっ子たちの嬌声は仏さん以上に気分を癒し体を健康にするようだ。
  それもこれも仏さんの功徳なのだろう。合掌。

2013年5月16日木曜日

玉子丼

  世の中「B級グルメ」だとか「ご当地グルメ」だとかが賑やかである。
  テレビでも、ケンミンショーだとか魔法のランプを始め、ぶらぶらと歩いて珍しい食べ物を紹介する番組もゴマンとある。(私的には、この種の番組は「この番組は夜はクネクネのパクリです」とテロップを流すべきだと思っているがそんなことはどうでもよい。)
  そんな風潮と同調するのは口惜しいが、たまたま作った玉子丼が非常に美味しかったので秘伝のレシピを公開する。

  今日覗いた何時ものスーパーは奈良県に所在する。正確には京都府との境界上に建っている。
  まあ、奈良県として・・・、ここは「海なし県」である。その故か、あるいはこの「日本を代表するスーパー」らしい「当たり障りのない仕入れ方針の故か」は知らないが、日頃の海産物の品揃えの悪さは住民の愚痴の的である。

  そのスーパーに、今日は非常に珍しく「チヌの子」(黒鯛の真子と白子のパック)が格安(大きなパックが確か280円)で並んでいた。
  そこで、私のしたことは、「これを醤油と味醂で煮つけてね」と、妻の籠に放り込だだけ。
  そして、出来上がった「チヌの子の煮つけ」をご飯に乗せただけ。実際には、少しバラけた真子の汁をたっぷりかけて『チヌの玉子丼』と名付けていただいた。(写真は遠慮して汁をあまりかけていない段階のもので、あまり美味しそうに写ってないのが悔しい。)(緑は木の芽)
  以上がレシピの全てであり、文句なく美味しい『玉子丼』だった。
  真子と白子=玉子だからそう名付けた。(標題から想像したものと話が違うと怒られた方には申し訳ない。)
  この料理を、貧しい料理と思うか、豊かな料理と思うかは感性の問題だろう。
  レシピはすべて公開した。(鶏の玉子丼よりも桁違いに美味しいことだけは請け負う。)

 大阪湾、特にその南部を「ちぬの海」というが、その呼称の由来については諸説ある。
 一番判り易い一説は「チヌ(黒鯛)がたくさん獲れたから」というものであるが、非常に詳しく遺跡調査をされた池上・曽根遺跡(和泉市・泉大津市)の調査結果(魚)では、真鯛が桁違いに多く、東京の鮪に対する関西人の鯛好きは弥生人以来のDNAかも知れない?
 そして、河豚も多く、すでに「安全に調理する技術」が確立していた??と考えられることは驚く。
 さらに鯨もあり、弥生の漁業技術を未開人のように考えては決してならない。
 最後に主人公であるチヌであるが、確認された骨はわずかに1点である。とほほほほ。
 よって、「ちぬの海、黒鯛由来説」は残念ながら採用できないと考える。
 
 その「ちぬの海」であるが、昨今は一時期よりも格段に水質が改善されたらしい。
 するとテレビのニュースが、「大阪湾の水質が改善されたので貝毒が発生した。」と報じている。
 ?????自然界というものは、なんとも一筋縄ではいかないものである。

2013年5月14日火曜日

最強の猛者はケリ

  先日、平城宮跡で鷹狩の鷹が鴉(カラス)に襲われたと書いたが、鷹が鴉に執拗に追われている光景は日常的に普通に見られる。
  鴉は通常は集団で鷹を追いかけるが、一羽だけのときもしばしば見かける。鴉一羽だけでも攻撃を仕掛けている。見上げた根性である。
  要は「ここは俺たちの縄張り(シマ)だ」と鷹に対して思い知らせようとしているようである。
  まもなく野鳥の子育ての時期を迎えるが、鴉に卵や雛を喰われる各種親鳥たちを見ていると可哀想でたまらない。必死に抵抗し悲鳴を叫ぶが、ほとんど勝敗は決まっている。
  そんな中で、鴉に反撃し、鴉に「痛い目」を思い知らせるまで追撃するのはケリだけではないかと思う。私の街の周辺ではそうである。
  これでもチドリ類かと思うほど気が強く、繁殖中などは人間にも襲いかかるし、鴉同様、周辺の仲間が助け合って集団で攻撃する。
 不思議なことにその実力の故か、写真のとおり人相?もヤンキーのようでもある。
 眼も飲みすぎて充血しているように赤い。
 これからしばらく、夜中や明け方でも、ケケケケケケケケと強烈な鳴き声を町中に響かせる。
 卵や雛を守るために必死に反撃している様子が浮かんでくる。
 「季節を代表する音」のひとつだろう。
 私の街にはコンドルも盗賊カモメもいない。だから、最強の猛者、少なくとも暫定一位はケリに与えよう。
 ケリは田圃に巣をつくる。計算したように田圃に水が満たされる直前に巣立っていく。
 季節が毎年同じように繰り返される自然を見ているとホッとする。
 去年と同じ季節を見られているのは、考えてみれば、当たり前のことではなく、奇跡的なことではないのだろうか。この歳になると、ふとそのように考える。

2013年5月11日土曜日

赤い蟻

  「城崎にて」ではないけれど、子供の頃、屋根の雀に石を投げたら当たって落ちてきた。
  その時の「えらいことをしてしまった。」という後悔の感情は、今でも思い出すことができる。
  私の愛読書の「虫捕る子だけが生き残る」(小学館101新書)は、子供の頃に感じた殺生の後ろめたさが豊かな精神を養うとあり、(昆虫採集のようにリアルに)虫を殺さなかった人間がゲーム感覚の戦争で人を殺す・・・という談論風発振りには共感の笑いが止まらなかった。

  さて、季節は百花繚乱の春(立夏を過ぎたが)である。
  ところが、近年は、どうも我が家を訪れる昆虫が少ないように感じている。
  そして、それ以上の絶滅危惧種は昆虫採集少年かもしれない。
  だから、婆ちゃんは正しい昆虫採集少女に導くべく、孫の夏ちゃんと庭で乏しい昆虫を探していた。
  「赤い蟻やねえ」「小さい蟻やなあ」と聞こえてくる。
  赤い小さい蟻?そんなのがこの辺りにいたかなあ?と思って、家の中から「大きさは?」と尋ねたら、1ミリぐらいだと言う・・・・・。おいおい、それはダニ※やないか。
  で、夏ちゃんに、不本意ながら「これはダニ」「これは石ころで殺してもええ」と教えて『ダニ殺し』の遊びを教えてしまった。(大きな声では言いたくないが、小さな石ころでダニをプチプチ殺す手つきはいい。)
  原体験がダニ殺しになったのでは虫嫌いになってしまいそうで心配だが、現実に毛虫や刺す虫もいるから、その都度、遊ぶ昆虫、掃う昆虫、駆除する昆虫をリアルに教えるのが王道だろう。
  虫捕る子の養成は口で言うほど簡単なことではない。
  ※ これはタカラダニで、今のところ人間への危害は報告されていない。ということは、このタカラダニに限っては冤罪で、このダニ殺しは理不尽なものかもしれない。

2013年5月9日木曜日

史跡の保存

  先月末に平城宮跡の「整備」を考えるシンポジウムがあった。
大極殿の上を乱舞するツバメたち(一昨年)
  国交省の大規模舗装工事に危機感を抱いた方々が集まっていた。
  その危機感は的外れではないと私は思う。
  国宝級の木簡が静かに眠っていて「地下の正倉院」と呼ばれる平城宮跡の「整備」を、文化庁ではなく国交省が行うことの方が的外れだと思う。(大規模舗装で地下水位が低下すると千数百年間冬眠していた木簡は朽ち果てるのだ。)
  私が想像するに、・・・ここで復元された首里城が思い起こされるのだが、私は率直に言うと首里城は安物のテーマパークのような印象だった。あれと同じことがここで起こるに違いないと直感している。

  さて、私が書きたいことは、そのシンポジウムで各氏が「史跡保存の実際の難しさ」を率直に語られていたことだ。
  つまり、中国やヨーロッパと違い、基本が木造建築である我が国の史跡の展示方法である。
  その昔は発掘時に写真を撮って埋め戻してお終いだったが、「それではチョッと」というので柱穴跡に柘植の木を植えたり、コンクリート製の背の低い円柱を立てたりしていた。あとはその上の建物を「各自が想像しなさい」という感じだった。
  しかし「それではなあ」というので、この地でいえば、大極殿、朱雀門、東院庭園などが復元された。
  正直に言えば、素人の私などはこの復元は良かったと思っている。イメージがはっきりした。だから私は復元や整備を全否定するものではない。
  ところが研究者は警鐘を鳴らすのである。
  「例えば大極殿は、厳密に言えば入母屋か寄棟か、単層か重層か、基壇の高さも、屋根の勾配も不明なんだ」と、それを原寸復元してしまうと、「この通りと独り歩きしてしまう」と。
 だから、「原寸復元はランドマーク的なものに絞り、後は、模型やCGやジオラマや映像等で補強すればよい。」「先だって奈良大学が大仏殿で行ったように、端末機をかざすと甦るようなバーチャルリアリティーの活用も有効だ。」と。・・・・これは傾聴に値する。
 平城宮については、これまでの研究成果をもっとしっかりと展示した方が良いというのは発表者に共通している。
 そのうえで各氏の復元に関する「許容度」が微妙に違っているのも誠実さの表れと感じられた。全体としてこれらの議論は、私には非常に冷静で学術的と思われた。

  蛇足ながら、国交省は大極殿周囲に高さおよそ8mの築地塀も復元するという。となると、「築地塀があった」という歴史には忠実かもしれないが、現在の平城宮跡が持っている、東に若草山や春日の山々、南に葛城や吉野・大峰の連山を遠望という、ある意味、古都にふさわしいイメージや開放感が閉ざされることになる。はてさて、それが古都を訪れた観光客のニーズに応えることになるのかどうか。問題は次々に生まれている。

  結論を急げば、「学術的正確さと、一般観光客のニーズとのバランスのとれた「整備」を市民も含めたオープンな場で協議を深めよう」という議論の方向であった。私は賛成する。
  その前に問答無用で強行しようとする国交省の「整備計画」には反対だ。

 蛇足の蛇足を言えば、ツバメが日本語を話せないことをよいことに、国交省は問答無用で、本当に問答無用で・・・、近畿で2番目の規模といわれる燕の塒(ねぐら)の葦原(湿地帯)をもう破壊した。ツバメに代わって代理訴訟をしたいくらいだ。
 
 奈良は「日本国」発祥の地である。歴史と文化こそ財産でないか。
 それを、「儲かる」「儲ける」を最高の価値観として破壊していって良いのだろうか。
 一緒に呟きませんか。「本当のことは眼には見えないんだよ」って。

 蛇足の蛇足の蛇足。GWに行われた平城京天平祭で鷹狩が披露されたとき、鷹がカラスに追われて大極殿の窓ガラス(?????)に激突して行方不明になったという。
 鷹匠もショックだし、2週間以内に鷹が見つからない場合鷹の生存が難しいらしいが、「足に革紐や鈴がついているので見つけたら連絡を」という大切な記事をマスコミ(奈良版)は全く報じない。
 ここに書いたとおりの微妙な話題の的である平城宮跡で行ったイベント主義が引き起こした不祥事ということで、奈良県が恥じていることが不掲載の圧力になっているのだろう。下種の勘繰りと批判を受けたいが、県庁と記者クラブの実情から結構的を射ていると私は想像する。

  これを凶事と言わずしてなんとしよう。よって、「平成」改め「護憲」と災異改元を提案したい。

2013年5月7日火曜日

菖蒲の鉢巻

  私は、5月5日の端午の節句に菖蒲を軒に上げる。(今年は基本どおりそうしたが、多くの年は5月4日にする。)
 その夜の露を受けた菖蒲で5月6日に菖蒲湯をたてる。(多くの年は5月5日にする。)
 そして、お湯から上がるときに菖蒲を1本抜いて、それぞれが頭に鉢巻をするのが我が家の恒例である。
 菖蒲の臭気で邪気を払うとか頭痛にならないというのは全く不合理で迷信めいた因習かも知れないが、季節のけじめのように続けてきたし、今年は長男ファミリー、長女夫婦も含めて全員で鉢巻をして夕餉についた。ちょっと壮観であった。
 このブログを書いてから、こういう行事が各お家ではもうされていないことを知って驚いた。私は少なくとも関西ではほぼ全ての家庭で行われているものと思い込んでいた。つい最近まで本当にそう思っていた。
 日本を代表すると言いながら、その実、多国籍企業・無国籍企業である財界とその代弁者が口を開けばグローバル化だグローバル化だと耳蛸である。
 菖蒲の鉢巻で夕餉を囲んだりしていたら、そういう人々から、極東の時代遅れと叱られるのだろうか。



2013年5月5日日曜日

奈良の名産

  奈良というと大阪のターミナルから数十分の地でもあるが、その吉野地方はというと本州最後の秘境の趣もある。
  先日ここの名産を手に入れた。アマゴの卵と鹿肉の燻製である。
  アマゴの卵の醤油漬けはイクラを一回り小さくしたようなもの。
  だから見た途端にアマゴがサケ科サケ目の陸封型であることが納得できる。(成魚では普通は誰もそうは思わない。)
  要するに卵は、見た目も味もイクラの一種と言えるだろう。
  だが、その粒の殻は相当固い。
  その分、イクラよりもある意味新鮮な感覚(「へたってない」という感じ)があるし、何よりもプッチンプッチンという歯ごたえが素晴らしい。
  ということは「イクラ丼」には合わず、ご飯はご飯、卵は卵と口の中で別々に主張する。
  驚いたことに、2歳の夏ちゃんがこれを非常に気に入った。
  外のおかずをホッポリ出してこれに手を伸ばし、プッチンプッチンと食べ止まなかった。


  鹿肉の燻製の方は、正直に言うと牛も馬も鹿も同じであるが、桜のチップが良いのだろう。よい香りで、そして、あんまりカチカチでなく味がある。
  牛肉のジャーキーは普通に有名だが、鹿のこれは、市場一般にあるビーフジャーキーのような、あんなに固くなく程よく柔らかい。
  大阪では馬肉の燻製を「さいぼし」といって、知っているものには超有名?であるが、要するに鹿の「さいぼし」である。でも、そう言ってしまうと身も蓋もない。
  だから、「さいぼし」を知っている者には説明の必要がないぐらい、文句なく美味しい。
  で、ご想像のとおり夏ちゃんが滅茶苦茶気に入ったので、「はい!もうおしまいよ。」「他のおかずを食べよう。」と何回もイエローカードを乱発しながら、目のつかないところに隠してようやく夕飯を進めた次第。
 爺ちゃんは波長の合う孫の味覚に喜んでころこんでいる。

  自然保護の現実は複雑で、鹿の食害で畑が荒らされるだけでなく貴重な植物体系が絶滅寸前という個所も多い。
  結論・・・、吉野の鹿の燻製をみんなで食べて、バランスの良い自然保護に寄与しませんか。

2013年5月3日金曜日

行基さんの仏教

  連休の谷間(といってサンデー毎日の私にはほとんど無関係だが)に、生駒山の麓を散歩した。
 鶯の囀りが時雨のようだった。

  堺の小学校低学年の頃、確か「歩く遠足」で家原寺に行った記憶がある。つまり、我が家や学校から「家原の文殊さん」はそれほど遠くはなかった。家原寺は行基さんの生家である。
  その後、結婚してから長期間奈良に住むようになったが、近鉄奈良駅前の行基像は、バードウォッチング等の待ち合わせ場所として馴染んでいた。
  行基さんが亡くなったのは奈良の菅原寺(喜光寺)であるが、ここの管主様から母が長寿を祝う色紙を戴いたご縁がある。
  そして、行基さんの墓のある竹林寺が荒れ果てていたのを再興した中心人物の故Nさんが妻の遠縁にあたるので、お正月の読経に出席させていただいたこともある。

竹林寺にある行基の墓
 さらに、行基さんが火葬された地と伝えられている、竹林寺近くの往生院は中世から続く生駒谷11か村の郷墓で、妻の家の古い古い墓石のいくつもがそこにある。

  ということで、行基さんには何となく親しい感情がある。
 
 一般の書物でも・・・、その時代の国家鎮護の仏教界(イコール国家)から禁を犯してまで飛び出して民衆に布教した。
 集団で、ため池や港や橋や布施屋等の建設という社会事業を行った。
 ついには大仏建立の勧進僧に抜擢され史上初の大僧正にまでなった。と、悪い噂は一つもない。(正確には日本霊異記には肯定的でない記述もある。)
  しかし、私は勉強不足で、というよりも全く勉強しないものだから、何でこんなドラマチックな話が実現したのかということが判らなかった。つまり、行基さんの思想がどういうものか判らなかった。
  で、好き勝手に夢想した次第。

  行基さんは若い頃生駒山で修業したと言われている。とすると、同時代に役行者も周辺で修業していたことになる。(竹林寺や往生院を少し上ると役行者が鬼を捕まえた地・鬼取の集落がある。)
 役行者から現代の修験道につながる思想のルーツが道教にあるのは疑いないところでもあるし、だから、この時期の「いわゆる仏教」の中には、道教に限らず大陸の諸子百家にルーツを持つ種々の思想が混じっていたのだろう。そしてそれらは、公式のルート以外にも多様なルートで入ってきていたと考える方が自然だろう。
  そも、行基さんの家系のルーツは百済王の子孫と伝えられている西文氏(かわちのふみ)系の高志氏。母方も渡来系の蜂田薬師(はちだのくすし)。
  両方とも土師氏周辺ということもあるから、文筆、外交、土木、製陶、医学、薬学等に関わる最新の技術に触れられる立場にいたことになる。
往生院にある行基の供養五輪塔
  仏教が自然科学系の理論や技術と不可分であった時代である。

  ということから私の意識は、春秋戦国時代の墨子(墨家)に興味が飛んだ。
  白川静氏の言葉を借りれば・・・、墨家は下層にある工人のギルド的集団を母体にしていた。築城や兵器製造の高い技術を持っていた。墨子はつねに賤人の立場で発言していた。墨者のもつ驚くべき行動力は、その強固な結社性と、信仰的な団体に近い奉仕的な精神にあった。ときにはほとんど狂に近いものであった。というのである。
 そう、行基さんの仏教は、・・・・・行基さんの思想は墨家のそれではなかったか?(役行者が仏教の奥に道教を見つけたように。)
 くどいようだが、行基さんが学んだ仏教経典類の中に、実は墨子の思想もあったのではなかろうか?
  私には社会事業や国土建設にまい進する「行基集団」と墨家のそれとがどうも重なって見えるのだが。
 伎楽なども、遥か昔に中国では消滅したものが我が国に伝わって今も残っているということもある。
 だったら墨家の思想も・・・・・。

  「それで、その説はどんな先生のお説なの」と妻が聞いた。
  「いや、今私が思いついた」と答えたら、「紀元前のことと奈良時代を結び付けるなんて、あほかい な」と一笑に付された。
 でもねえ! 「全ての真理は始は少数派だった」とも言いますから。
 この着想、荒唐無稽ですか?



 あとがき(8:50補足)
 墨子については主に白川静著「孔子伝」から孫引きした。
つい先日の安倍首相
  そこには「墨子は・・・兼愛非攻の実践を追及してやまなかった」とある。
 もとより、片言隻句を引いて断定するのは避けなければならないが、子が現代を見、この写真を見たならどう嘆いたであろうか。
 今日は憲法記念日である。
 96条改正論議は、彼に白紙委任状と実印を渡すようなものではないだろうか。

2013年5月1日水曜日

土手のすかんぽジャワ更紗

  (1) 今回このブログを書いてみようとして調べてみたら、なんと北原白秋作詞、山田耕作作曲という由緒?正しい歌であった。
 酸模の咲く頃、・・・こんな題だっただろうか? 私は小学六年生という題だとばかり思っていた。
   土手のすかんぽ ジャワ更紗
   昼は蛍がねんねする
   僕ら小学一年生 今朝も通って またもどる
   すかんぽ すかんぽ 川のふち
   夏が来た来た ドレミファソ
 原詩は「小学尋常科」で、私の記憶は「小学六年生」だった。
 戦後の学校唱歌としては何か異質な、古臭くて偉そうな、そんなアンマッチが心地よい歌だった。

 スカンポはスイバの別名でもありイタドリの別名でもあるが、私のここでいうスカンポはイタドリの方である。
 茎のところをポンと折って皮をむいてしがむのだが、ただ酸っぱいだけで美味くもない。
 よく本の中には「子供が喉が乾いたらしがむ」とあるが、私の周りでは、遊び以外では不味くてそんなことはしなかった。

 今回、妻がスカンポを折って帰ってきた。
 そして本を参考に、皮をむいてサッと湯がいて鰹節と出汁醤油をかけて出してくれた。
 さっぱりとした立派なお浸しだった。
 なるほど、昔、渓流釣りに誘われた時に釣り師たちがいっぱい手折って持って帰っていたことがようやく理解できた。
 確かそのときは「塩漬けにしておいてお漬物にする」と言っていた。
 スカンポのお浸し・・・これはいけます。

 (2) 畑わさびが大きくなった。当尾の里では手造りのポン酢漬けで売られている。
 だが、それを食べたときも、そして同じように作ってみたときも、どこかわさび本来の味が薄まっていて少々不満であった。
 それで今回、ネットでレシピを探してみたら、ただの醤油漬けながら目に留まったものがあった。
  それに基づいて・・・・、70度程度のお湯をかけて一瞬湯がき、お湯を切って思いっきり鍋の中で振り回し、さらに水気をきってタッパに入れ、醤油を入れてまた振る。・・・その間蓋を開けないこと、思いっきり振ること、何よりも手際よくスピーディーに行うこと、というのを真似て一日冷蔵庫で寝かしてみた。
 おそるおそる開けてみたら、これが意外に大成功。
 辛みと香りが十分に残っていた。
 田舎の宿でこんなんが出てきたらもうたまらんやろなと自画自賛。・・・これもいけます。

 (3) 「4割の得票で8割の議席」という非民主的な小選挙区制のおかげで、近頃の政治は眉をひそめたくなるような品のない右傾化が顕著である。
 北朝鮮や中国の悪口を繰り返している人々のロジックが単語を入れ替えれば彼らと瓜二つなのも悲しい限りだ。
 このワサビの醤油漬けが一番必要なのは政治かもしれない。
 今日はメーデー。127年前1886年5月1日にアメリカの労働者が8時間労働の要求を掲げてストライキを決行したことに因んだ日。
 1999年にILO総会で採択されたディーセントワーク・働き甲斐のある人間らしい労働・・・、みなさん、厚生労働省を分割して労働省を独立させませんか。