2013年1月31日木曜日

尋ねられる意味

  友人の『ひげ親父』さんから梅酒の梅をいただいた。
  外泊の義母に「友達の漬けた梅酒の梅やで」と言って食べてもらった。
  「梅酒には氷砂糖を入れるんやったかなあ」と言うほど年老いた義母であるが、齧るとすぐに「(梅を壜から出すのは)ちょ っと早いな」「もうちょっと黒(くろう)なるまで置いとかなあかんな」と、記憶というか感覚がよみがえってきたようだ。

  この話は何回かブログに書いたことなのだが、全く寝たきりに近かった義母が変化を見せたのは、そもそもが『ひげ親父』さんの梅酒だった。
 「友達に梅酒の梅の引き上げ時期を尋ねられているんやけど」と私が言ったのが最初だった。
  そして、その答えは「そんなんは飲んでみたらええねん」という予想外の大正解だった。
 さらにそれから暫く、義母は私に会うたびに「梅酒はこういう風に漬けまんねん」「飲んで美味しなったら上げたらよろし」と、何回も何回も梅酒の解説を繰り返した。これにはほんとうに驚いた。
  義母は、新しい情報を強迫的に受け止め苦しくなる症状のため、医師の指示により、できるだけ外界からの情報を遮断し、安静に寝たきりのように接してきたのだが、この梅酒の話は義母に、「私が娘婿に尋ねられている」「教えてやらなければ」という長い間封印されてきた前向きの気力を苦痛ではなく、ぐぐっと呼び起こしたようだった。
  それから、・・・・・・一つは義母の介護のために、もう一つは私自身の「目から鱗」の民俗学のために、無理のない程度に、ちょっとずつ義母の思い出話を掘り起こす旅を始めたのだ。これは全く予想外の楽しい展開だった。

  だから『ひげ親父』さんの梅酒の梅は、義母の介護のキーストーンであったのだ。
 今回は、いただいた梅が呼び水になって、我が家の梅酒と梅も持ち出した。
 と、「〽よよいのよい」と手踊りを踊りだしたあと、気持ちよさそうに居眠りを始めた。ああ、梅酒は人生の良薬である。
 
  当たり前のことであるが、人生は(介護など)知らないことを発見し続ける旅なのだ。
  皆そうして悩んで克服して歩いてきたのだろう。
  介護の先輩諸氏からささやかであってもコメントをいただけるとありがたいが。

2013年1月29日火曜日

時にあらずと声も立てず

我が家にやってきた鶯
  先日、「ウグイスの撮影は難しい」と書いた。
  私の経験から言えば、春に朗々とホーホケキョとさえずるときは暫し枝に止まってくれるときもあるのだが、夏になって木々に葉が茂ってからや、冬の笹鳴きのときはほんとうに姿を曝してくれない。
  笹鳴きの頃などは、私の手の下30㌢の植込みの中にいるのがわかっている・・・・枝は激しく動いている・・・・にも拘らず顔を見せてくれない。そのチラリズムが悩ましい。
先日のルリビタキの場所にきた鶯
   そして、見つけたと思ったその瞬間、せわしなく次から次へと移動するので、ピントを合わせる間がなく(オートフォーカスでなくマニュアルフォーカスのため)がっかりさせられてばかりいる。
  そんな中、珍しく瞬間的にピントが合った!と思ったら頭の先が切れていた。ああ・・
  で、新春のあいさつ代わりに、例によりややピンボケながら、やっと撮影できたウグイスを2枚掲載する。

  立春前で気が早すぎるが「ウグイスと言えば早春賦」が連想されるので、ネットで検索をしていたら1年前(2月7日)の自分のブログの記事が出てきた。
  そう、もう1年経ったのだ。

  春は名のみの 風の寒さや
  谷の鶯 歌は思えど
  時にあらずと 声も立てず
  時にあらずと 声も立てず


     氷融け去り 葦は角ぐむ
     さては時ぞと 思うあやにく
     今日も昨日も 雪の空
     今日も昨日も 雪の空

        春と聞かねば 知らでありしを
        聞けば急かるる 胸の思いを
        いかにせよとの この頃か
        いかにせよとの この頃か


 暦の上では春になったと言うものの 名のみで風は寒い
 谷の鶯も囀りたいと思っているのだろうが
 まだその時でないと声も立てない
 まだその時でないと声も立てない


    張っていた氷も解けて、葦も芽吹くようで
    さあその時(春)かと思うがあいにく

    今日も昨日も雪が降る空
    今日も昨日も雪が降る空

       春だと聞いていなければ、知らないでいるものの
       聞けば気が急く思い廻らす胸の内を
       どうしろと言うのかと思うこの頃である
       どうしろと言うのかと思うこの頃である 

2013年1月27日日曜日

風評社会と名付けたい

  パソコンの画面が点いたり消えたりするのでメーカーに電話をすると「バッテリーを外してああしろこうしろ・・」と言う。
 そうすると、復旧するのだが、「何故こうなったのか」「どうすれば再発しなくなるのか」と尋ねても要領を得ない。
 「又なったら同じようにしてください」と言う。
 しつこく尋ねた結果解ったことは私の体の(衣服の)静電気が原因であるらしい。

 これに限らず、パソコンのトラブルは日常茶飯事で、あれこれ触っているうちに原因不明のまま回復したりしなかったりということも多い。
 だいぶ以前から言われている言葉だが、パソコンに限らず今日の電気製品はほとんどがブラックボックスで、操作方法は教えてもらっているが、どういう仕組みでそうなっているかは、もう私の頭ではついていけない。
 世の中には各種の操作方法だけが氾濫していて「仕組みが解らん」などと悩む者は落ちこぼれの烙印を押されている。繰り返すが、私などは、洪水のように与えられる操作方法を学習するのに汲々としており、仕組みを考える余裕さえ与えない「高度技術社会」「情報社会」に翻弄されている。
 そしてこの傾向は、電気製品だけのことではなく、現代人の全生活を覆うスタイルになっているようだ。

  だから、テレビで「ココアが良い」と放送されればスーパーのココアがなくなり、きな粉がなくなり、納豆が、ヨーグルトが・・・というような社会現象が生じているのだろう。
  それを学者は「フードファディズム」とか言っているが、要するに強迫観念を伴う不安やある一面を切り取った情報だけが大量に提供され、その情報を吟味するという思考が停止しているのだと思う。
 プラシーボ効果で満足している分には笑い話かもしれないが、トクホだ、サプリメントだと「健康食品依存症」さえ生じている社会は重症だろう。

 これを名付ければ「風評社会」だと私は思う。
 ものの本質や仕組みをじっくり考えることを飛ばして、テレビや雑誌から提供される短いフレーズの一見判り易い情報に誘導されて風評に置いて行かれまいと私たちは被強迫的に必死に行動していないか。
 私は維新の会の存在自体や先般の総選挙の結果も、そういったある種の風評現象だと思う。

 克服の道は、ブラックボックスに覆われた私たちの生活が「現にそのような風評社会にある」という自覚と、各種情報の本質を論理的に吟味する思考方法と、マスメディア以外の良質な情報の入手が非常に重要だと思う。
 複雑な物事を単純明快に語る者には気を付けなければならない。
 だから、モンドセレクションなどというのをうたい文句にしている商品には手を出さない方が良いと私は思う。
 政治・経済の場面では既に大きな風評被害が進んでいる。維新や安倍政権の先には重篤な社会の病が待っている。
 と、なぜか「血圧に良いと言われている???????」トマトジュースを飲みながら私は考えた。
 

2013年1月25日金曜日

社会の癌を封じたい

  大安寺は、古くは聖徳太子が奈良県の生駒谷の平群(へぐり)の地に建てた熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)で、のち百済大寺、高市(たけち)大寺、(飛鳥の)大官大寺から大安寺へと変遷した我が国最古の国家が造った巨大な官寺で、東大寺が建立されるまでは南都の筆頭寺院であったと、奈良文化財研究所編「奈良の寺」にある。
  私は、司馬遼太郎の「空海の風景」を読んだ後、その風景を共有したくて大安寺を訪れたことがあったが、その何とも寂れた様子にそのときは声を失った。

  この、かつての国立最高学府であった寺が今では「癌封じの祈祷」で有名というのも寂しいことだが、「笹酒祭り」は、元々は光仁天皇の「林間酒を温める」風流にあやかろうというお祭りであるので、23日に、どんなものかと覗きに行った。
  我が家からは、自転車、電車、臨時直行バスで30分もかからなかった。
 バスはお爺さんお婆さんでいっぱいで恥ずかしかったが、客観的には「あんたもいっしょや」と違和感なく溶け込んでいたのだろう。

  「笹酒」は、青竹の竹筒を焚火の周りに立てかけてお酒を温め、竹を切り取った御猪口でいただくのであるが、各テレビ局(ニュース)のカメラが絵になりそうな人の周りを走り回って、その場は宗教行事というよりも賑やかな有名イベントという感じであった。
  竹筒も御猪口もじっくり観察してきたから、青竹を加工して、そっくり真似たイベントをするダンドリは頭の中に十分蓄積した。あはははは・・そんなことを何処ですんねん。
 用意の良い人は何回かいただいた笹酒をポットに貯めていたが、病人さんに飲ませてあげようとの必死の思いなのだろう。
 ノウテンキな私は、写真の娘さんから何杯も注いでいただきホカホカした気分で楽しく大安寺光仁会(こうにんえ)を後にした。
 夕方、テレビのニュースを見ながら、妻の持つ青竹の御猪口にお酒を注いだ。


2013年1月23日水曜日

新しいシロハラ

  近くの大型ショッピングモールの中の床にラインが引かれていて、KYOTO/NARAと表示されているが、どちらかというとこの方が例外で、この街の多くのところではトラブル回避のために??府県境である丘の背の部分に緑地帯が残されている。
 それも野鳥にとっては住みやすさの一因になっているのかもしれない。
  そんな緑地帯を歩いていたら、珍しく目の前の芝地にウグイスが飛び出してきた。
  こんなときに限ってカメラはおろか携帯さえ持参していない。
  人生、だいたいがこんなものである。少し話が大袈裟か・・・・。
  そこで、柳の下ではないが万が一と言うこともあるので、・・・同じ場所に同じ鳥が現れる確率は確かに高いので・・・、後日カメラを提げて散歩に出かけた。
  やはりというべきか、ウグイスは同じ林でチャッチャッと笹鳴きを繰り返し、奥の方に飛び回るシルエットだけは嫌と言うほど見えるのだが、「はっはっは、そんなに甘くはないぞ」と素人写真家を嘲笑っている。
  と、・・・・ウグイスの笹鳴きと非常によく似ているが、ほんの少し大きな鳴き声が混じっている。ジェッ ジェッ というような。
  「なんやろ」「なんやろ」と目を凝らすと、 声の主らしい少し大きな鳥が飛んでいる。
  大型ツグミ類のシロハラだと思う。
  このあたりで昨年までよく見たシロハラよりは背が茶色いが間違いないだろう。
  去年よく見たシロハラは背が青黒い灰色だったし、声もキョロンと言うように可愛かったが。
  こんな色合いのシロハラとは初対面で嬉しいが、もう少し前方に出てきてほしかった。
  腕の拙さは棚に上げて、「このように思い通りにならないのが野鳥写真の魅力だ」とやせ我慢をうそぶくことにする。

2013年1月21日月曜日

初物は75日寿命が延びる

  春が待ち遠しいので極寒からカマスゴの話で失礼。

ネットから
  魚の名前は土地や人によって様々だが、私の感覚では、チリメンレベルがカナギ、釘煮レベルがイカナゴ、釜揚げで大好きなのがシンコ、チョッと癖が嬉しくなるのがカマスゴだろうか。
  そのカマスゴだが、関西では、茹でただけとかチョッと炙って合わせ酢等で素朴に食べるのが好まれる。(エッ私だけ?)
  お酒のアテとしてだけでなく、季節の料理として普通に食卓を賑わせる。(エッ我が家だけ?)

  近くの大型スーパーの品揃えがなってないので、時々デパートに足を運ぶが、さすがデパ地下、こんな極寒にカマスゴが出ていたので驚いた。
  およそ7㌢だからカマスゴにしては相当小振りだがシンコとは言えないやはりカマスゴ、それだけに大きなカマスゴ特有の癖が少なさそうだった。(表示もカマスゴだった、念のため)
  癖のある味が大好きな私が「癖が少なそうで美味しそう」と、そう考えたのも、このカマスゴは文句なしの初物に違いなく、「初物を食べると75日寿命が延びる」から孫の夏ちゃんに食べさせてあげようと考えたからである。

  他の地域の方々が、カマスゴの関西での素朴な食べ方にチョッと抵抗を感じられるのは、食べる者を見つめるカマスゴの姿かたち(含む:ハラワタ)と、頭、尻尾、ヒレ、骨等丸かじりのジャリジャリ感と、大きくなるとチョッと感じさせる味の癖だろう。(ほんとうはそこのところが美味しいのだが)
  というようなこともあるので「どうかなあ」と思いながら酢で洗っただけで食卓に上げ、大人たちがお箸で摘まんで「お魚、美味しいなあ」と食べて見せたところ、2歳に満たない素直な夏ちゃんは、指で摘まんでポン酢につけながら何匹も何匹もムシャムシャと美味しそうに食べてくれたのだ。もちろん頭から丸々食べつくしたのはいうまでもない。
  買ってきた爺ちゃんは大感激。
  夏ちゃんの両親は将来酒豪になりはせぬかと心配した。
  しつこいようだが夏ちゃんはカマスゴを指で摘まんでポン酢を付けてムシャムシャである。
  1歳数か月の子供がこんなものを食べるだろうか。
  あまりの感動に写真も撮らずじまいだった。
  ・・・・・と、春を待つ季節の話題(早くもカマスゴ登場)を書こうとして、ただの、ただの爺ばか日誌に終わったようだ。

2013年1月19日土曜日

こじゅうた 餅きり鉋(かんな)

  先日、入居している施設で餅つきのあった義母が外泊で我が家に着くなり、「餅つきをしましてん」と、〈返し手〉の動作を身振り手振りで私に報告してくれた。
ネットから「こじゅうた」
  「誰か!したい人!」との呼びかけに進み出たのだと自慢げだった。(実際には真似事のようなことをチョッとしただけだろうとは思うが)
 そして、その「餅つきをした」ということに触発されて、これまで何回も聞かされた昔の餅つきの思い出をまた語ってくれたのだが、改めてじっくり聞いてみると今までの私の理解と異なったところが少し見え出した。
 その一つが「こじゅうた」で、私は今まで単純に餅箱の別名だと信じていたのだが、「かき餅を作るときには餅箱ではなく「こじゅうた」で厚さ10㌢弱の大きな長方形の餅を作るのだ」と言う。

ネットから「カンナ」
  よくよく聞いてみると、義母の実家には餅箱やその蓋以外に「こじゅうた」というものがあったらしく、それは元々の「麹蓋(こうじぶた)」が訛ったものらしい。
  これまで、妻も普通に餅箱のことを「こじゅうた」と呼んでいたが、今回改まって母が解説したところ、それは微妙に違っていたということになる。

 さらに、餅きり包丁以外にかき餅用のカンナがあったらしく、尋ねる私にそれを絵にかいて説明してくれた。
 『かき餅はネコ餅を薄く切って作る』という程度の私の理解だったのだがそうではなく、「こじゅうた」で作った分厚い長方形のお餅を縦に立て、それを専用のカンナで削ぐのだと。
  おやつでも何でも自給自足であった戦前の農村では、それなりの道具やノウハウが想像以上に進化していたのだ。
 軟弱な町の子には初めて聞く話ばかりだった。

ネットから「カンナ」

 そして毛糸を使って乾し方も実演してくれた。
 さらにさらに、アラレのことをキリコと言っていたことも。
 ・・・・これらは戦前の生駒谷の話である。
 といっても、文化史的にはついこの間のことである。
 (ネットで見つけた写真は生駒谷とそれほど遠くない大和高田の旧家のものだからほゞ同じものだろう。遠ざかる記憶を語る義母の話からここに到着するまでには、実際には相当な時間が必要だった。)
 以前のブログに書いたが、私は餅つきについては半ば素人である。それに対して師匠筋にあたる妻もいざ聞いてみるとこれらは「知らなかった」と言う。
 何十年も前に柳田國男や折口信夫が「今のうちに記録しておかないと途絶えてしまう」と心配したこの国の伝統も、ほんとうに今では、音を立てて?忘れ去られようとしている。
 民俗学の対象は離島や僻地だけではない。
 私自身気づくのが非常に遅かったが、親がご存命の皆様は今のうちに私たちの文化の深層を記録すべきだろう。
 「介護民俗学」は時間との勝負になっている。

2013年1月17日木曜日

便所コオロギとはあんまりな

  1.17阪神・淡路大震災から18年。いろんな記憶がよみがえる。
  歳がいくと18年なんて昨日のことのようにアッと言う間であるが、同じ18年でも、自分が生まれる前の18年の歴史を実感することは難しい。
  それができるかどうかが、本当の意味での「歴史に学ぶ」ということなのだろうが、安倍首相や維新の橋下氏にはそれが欠けていると私は考える。
  と、マクラを強引に振っておいて、今や18年以上の歴史の彼方に忘れ去られようとしている昆虫の話に無理やり持っていく・・・・。
 
  左のこの虫を見て「キモい」と言うか「懐かしい」と言うかで実年齢が判るかも・・・・。
  もちろん、私は涙が出るほど懐かしい。
  第一に、昔は家の土間などに普通にいた。
  ところが近頃はほんとうに見なくなった。
  だいたいが土間らしい土間ももうないし。
  本には「跳躍力がすごい」と書いてあるが、私の感覚で言えば比較的動きは緩慢。
  だから此方が幼児でも捕まえられたという記憶がある。
  別に声が良いわけでなし、色が綺麗なわけでなし、大方からは特別に注目されることもない、地味で可哀相な?竈馬(カマドウマ)。
  まあ「竈馬(カマドウマ)という名前は風流」という文章もあったのがせめてもの救いだろうか・・・。
  それを俗称とはいえ「便所コオロギ」とはあんまりな。
  大寒波の日、木切れを動かしたら見つかった。
  写真を撮ってから、写り具合を見て、もう一度撮り直そうと思って行ってみたらすでに影も形も判らない。
  老人の懐古趣味になんかに付き合っていられるか・・・と言ったところか。
  それにしても、元々寒さが苦手で人家に忍び込んで来るんだと勝手に思い込んでいたが、こんな寒空の下でもノソノソとそれなりに動き回る生命力は凄いの一語。カマドウマ、オソルベシ。
  虫は世につれ~、パッとしない風貌から普通には不快害虫に分類されているのだろうか。
  その不当な評価を考えると、ちょっと助けてやりたくなる。
  16日朝日新聞夕刊に「日本家庭用殺虫剤工業会が虫慰霊祭をとりおこなった」と大きく書いていた。それもありだろう。

  書物によると、「一ト跳びにいとゞは闇へ帰りけり・中村草田男」というように竈馬と書いてイトドと読むらしいが私は全く聞いたこともなかった。その他の名前としては、カマドムシ、オカマコオロギ、ハダカコオロギ、エビコオロギ、オサルコオロギで、・・・やはり、ちょっとな~

2013年1月15日火曜日

とんどのまねごと

我が家のプチとんど
  1月15日は小正月。
 だいたい我が家ではこの日に「とんど」の真似事をすることにしている。
 お正月飾り等一式はゴミに出すのも引っ掛かるので、近所に迷惑がかからない程度のプチ「とんど」をする。
 が、今年は義母の外泊に併せて13日にチムニーを用いてうやうやしく挙行した。
 そして、用意しておいたサツマイモをアルミホイルに包んで熾火(おきび)に埋めた。
 実は先日、熾火になるちょっと前に放り込んで見事な炭を作ったものだから、今回は慎重に慎重に「調理」した。
 この「調理」も、経験以外のレシピはないだろうから、出来るだけ早く子供たちにも伝えたいが、子供たちは「そんなことはどうでもええ」と乗ってきてくれない。なら、次は孫である。息子夫婦は「余計な迷惑だ」と思うだろう。
  「たき火で焼き芋」もほぼ死語になり、あの唱歌が音楽の教科書でなく歴史の教科書に載る日も遠くなさそうだ。
 焼き芋はほぼ完璧だった。おかげで義母が懐かしんで「美味しい」「美味しい」と喜んでくれた。
 よく考えると、こんな素朴な焼き芋は私にしてもほんとうに久しぶりである。
 我が家のお正月の行事もこれで無事終了と言ったところで、まずはめでたしめでたし。

 
 なんて言ってられない新しい年が始まっているが、小正月に免じて暫しお許しを。

2013年1月13日日曜日

もっと笑いを!

  11日に、初詣がてらに「初キンカン※」に行ってきた。(※..金関)
  曜日の夜に電本店前で脱原発を訴えるという市民運動で、誰に指示されたものでも依頼されたものでもない。
  動機はいたって単純で、原発事故は私が知っている、あるいは想像できる産業災害(労働災害等)とは質が違うと思うからで、孫の時代が悲惨な時代にならないようにと願うからである。
  地震大国上の(砂上の)原発は狂気の沙汰だと私は思う。
  結局のところ推進者の主張は、「利権を手放したくない。」「核開発技術を手放したくない。」以外になく、国民生活のためのエネルギーと言うのは真っ赤な嘘だと私は確信している。

  この運動の主催者もどんな人々か知らないのだが、私より若い人々が裏方をコツコツと継続しているのがいい。
  いつもは地下街を通って行くのだが、フェスティバルホールの新装を眺めるために地上を歩いたら、なるほど夜の「中の島」は美しく、素朴に感動した。
  東京の官邸前の行動では、選挙前には各党の国会議員も多数参加していたようだが、ツイッターで見た限りでは選挙後も愚直に参加しているのは共産党だけらしい。世の中というのはそういうものだろう。

  今回は、文言自体は問答無用の原理主義的で「ちょっとなあ」と好きではないのだが、あれだけ天下のNHKが前宣伝をしてくれたものだから『ならぬものはならぬのです』を自作ポスターに使わせて(パクらせて)いただいた。A4×2枚に印刷してA3のカードケースに入れたものである。
  私の希望は、味気のない「原発反対」のポスターだけでなく、毎回参加者が何かウィットに富んだ、あるいは美しいポスターを持参し合い見せ合う場になれば良いのにということである。
  実際、ペンライトの進化形のようなおもちゃや提灯その他、工夫を凝らした宣伝媒体も増えつつあり、それらを見物するのも楽しい。

  近所の大学の講義を聴講していたとき先生が、「東京の先生は勉強してそれをそのまま語るだけで良いので楽であるが、関西の先生はその上にどのようにウケる(笑わせる)かという技術が必要なので大変だ。」と言って笑わせたが、『市民運動にもっと笑いを!』も大切だと私は本気で思っている。
  お説教と自慢と嫌味からは運動は広がらない・・・と、はるか外野から小さな声でつぶやいている・・・というのが嫌味だろうか。
  6時半ごろから急に風が出てきて、安易な常套句過ぎるが体の芯まで冷え込んできたので、7時過ぎには「健康管理」を言い訳に友人と即効性のあるエネルギー補給のために地下に潜った。ああナントいう軟弱だろう。「こんなことでは原発は即時ゼロには出来ないなあ」と即効エネルギーの力を借りながら大いに反省を繰り返した。

2013年1月11日金曜日

青い目の福娘

  今年になって初めて電車に乗ってこの街から外に出て「えべっさん」(今宮戎の十日戎)に行ってきた。
  (ああ、なんという地味な日々だったんだろう)
 十日戎。 これは信仰というよりも体に染みついた習慣のようなもので、初詣には行かなくっても「えべっさん」に行かないと何となく1年が落ち着かない。
  露店を覗きながら、小さい頃、堺市戎之町の堺戎に行き、安物の土製の貯金箱を買うのが決まりのようなものだったことを懐かしく思い出した。
  そして、おたやんの福飴のことも・・・・・しかし、今は歯の詰物が怖くて手が出せない。

  ご存知のとおり、今宮戎では賽銭をあげてから先ず無料の笹をもらう。ここでエエカッコをして大きな笹をもらい、その笹にふさわしい縁起物を付けてもらうとエライことになる。
  私は「小ぶりの形のええのんをおくれ」と言って小さい笹をもらった。
  そして、「商売繁盛で笹もってこい」の喧騒の中を〝これと定めた福娘”に縁起物を付けてもらう。
  この、「ただの笹を持って行って縁起物を付けてもらう」というのも「笹もってこい」と言うぐらいの大前提と思っていたが、他の地のえべっさんでは最初から縁起物付きの笹を求めるようなところが多く、ほんのちょっとした違いなのだが、違和感を覚えたこともあった。
  で、・・・・今年は調子に乗って青い目の福娘に吉兆と箕を付けてもらった。ちょっとイチビリ過ぎたかもと少し反省。
  それから神殿の裏に回って思いっきりドンドンドンと叩いて「長谷やんでっせ。今年も頼んまっせ」と大きな声で「お参り」した。
  『えべっさんは耳が遠いから裏口から大きな声で頼まんとあかん』と言うのは大阪では絶対的な常識なのだが、西宮戎にはそういう習慣がなかったので、その時も、心の底から驚いたことがある。

  脱原発や平和、安全、安心を神頼みに丸投げするのは良くないが、ちょっとだけ「えべっさん」で今年も頑張ろうという気になった。あまりの単細胞ぶりがお恥ずかしい。

2013年1月8日火曜日

ロウバイは不思議不思議

  我が家のロウバイは冬至の頃からチラホラと咲き始め、右の写真は12月29日現在のもの。
  だから、太陽暦的に言って「1年中で一番早く咲く花」で「マンサクなんか目ではないな」と夫婦二人だけで自慢し合っている。(誰に対して自慢しているねん・・)
  そして、「それにしても、こんな極寒の、飛ぶ虫もいないときに、どうして花を咲かせるのだろう」とお互いに首を捻った。
  風媒花なのか、自家受粉か、真冬でも虫のいるような南方育ちゆえの体内時計か、もっと特殊な繁殖方法か、etc etc ・・・・
  そこで、「調査なくして発言なし」「1週間ほど二人でじっくり観察してみよう」ということにした。

  それにしても、・・・予想される仮説を考えると・・・・・・、
  多くの虫の飛んでくる季節は同時に花の季節でもある。
  花からすると虫をとりあうライバルも数多く、浮気性の虫たちをどう呼び込むかも厳しい競争社会。
  反対に、この季節は虫は少ないがライバルはほとんどいない。
  そこへ蜜を用意して香りをたなびかせればその虫を呼び込む確立は春から秋の比ではない・・と、ロウバイは踏んだに違いない。
  それは、ダーウィンの進化論を超えたロウバイのしたたかな意思、考え抜いた作戦では。
  ・・・・というあたりが模範解答にならないか。
 
  ところがところが、久しぶりの年末寒波ゆえか、予想していたアブ等は全く飛んでこない。全く飛んでこない。
  次に予想していたメジロは、ロウバイを余所に、冬枝に挿しておいた大して美味しくもないキワーノをつついて飛び去った。
  その次に予想していたヒヨドリは頻繁にやってきてロウバイの蜜を吸ったのはよいけれど、だが、コヤツの振舞は落花狼藉。蜜を吸ってから花を食べたり棄てたりする。つまりヒヨドリは受粉の仲人では決してない。
  う~ん、ロウバイの「実社会」も一筋縄ではいかないようだ。
  我が家のこの木は、毎年、少し汚らしい実(の袋)がはっきり生るから受粉していることに間違いはないのだが。
  だから、我が家の庭の極寒の特殊事情下の観察結果なのかも知れないが、真実はそれほどQ&Aのようには姿をあらわさない。
  にわか観察者の思い通りには世の中は行かないぞと、教えてくれている。
  よって、答はまた後日。

  「本には鳥媒花だとかいてあるではないか」「そんなの長谷やんの見てないときに虫が数匹は飛んできたに違いない。」・・・と怒るのは、ロウバイの香りでもかいで暫し待ってもらいたい。

  ロウバイは、凛と空気が緊張した冬空に素晴らしい香りを漂わせている。
  「甘い香り」と書いてある本もあるが、そんなありきたりの形容ですまない気品を感じさせる爽やかさである。
  鎮静・リラックス作用という薬効があると書かれている。

2013年1月6日日曜日

ルリビタキの初訪問

  本年初撮影にしては珍鳥だと思う。
  我が家から歩いて1分のいつもの歩道沿いである。
  藪の中でヒッヒッと声がしたので「ジョウビタキの♀か」と思って通り過ごしていたのだが、念のためと思い返して夕暮れではあったがカメラを持ち出した。
  すると、夕暮れの逆光の藪の中だから見間違いかもしれないが、尾の上が一瞬瑠璃色に輝いた。
  「ルリビタキの♀だ」と興奮してシャッターを押したのがこれ。
  別の後ろ向きのピンボケの方には尾の色が写っている。
  しっかりと撮影したいと、周囲の木になって藪から出てくるのをじっと待っていたら、妻が「なんか撮れたあ」と大声を出しながら散歩に出てきた。で、もちろんジ エンド。
  ルリビタキは、我が家の半径数百メートル内では今まで見なかった珍客だ。
  ♂なら背中全体が瑠璃色だが、欲は言うまい。
  何か今年1年良いことがありそうに思える初撮影となった。

2013年1月5日土曜日

葩餅(はなびらもち)は、むむむ

  おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉
  義母、義姉、息子ファミリー(含夏ちゃん)、娘夫婦が帰っていった。
  我が家のお正月が終わった。
  夏ちゃんのことをいっぱい報告したいが、今日はじっと我慢する。

  さて、今年から我が家のお雑煮は、九割方妻の引き継いできたヤマトバージョンにした。
  白みそは大阪型だが丸餅を焼いて入れる、そしてきな粉をつけて食べるというところがヤマト型である。(大阪市内は丸餅は茹でる。きな粉はつけない。)

  お雑煮の型ほど地域性が感じられ伝統が感じられるものはないとも言われるが、地域の中だけで結婚していた時代でもなし、「亭主関白で〇〇家の決まりだ」でもないだろうから、これから大きく変化していくのは避けられないだろう。
  でも、大きく崩れるのはちょっと寂しい。(これホンネ。で、妻も白みそで大阪型を残してくれた。)

  お正月に娘夫婦が葩餅(はなびらもち)を提げて来た。
  茶道では初釜に用いられる。
  元々は菱葩餅(ひしはなびらもち)といって宮中の新年のお餅とか。
  それは、径15㌢厚さ6㍉の丸餅を火であぶり、その上に長さ14㌢厚さ9㍉のあずき色の菱餅のあぶったのを重ね、二つに折り、間に甘く練った白みそをまぶしたごぼうの砂糖煮をはさんだお餅と書かれている。
  まあ、それが洗練されて今の形になったのだろう。
  私たち夫婦には好きな和菓子の一つである。

  その種のしきたり等に全く無頓着に育った娘であるが、年相応に気もつくようになったのかと胸をなでおろしたが、話をしているうちに「初釜つまりお正月独特の和菓子であったとは知らなかった」と、ただ「ケースの一番前に並んでいたので購入した」と、むむむむ・・・・・・

2013年1月3日木曜日

初夢は


  『一富士二鷹三茄子』については諸説紛々であるが、一富士の目出度さは感覚的に納得できる。
  現役時代、上司と度々上京したが、その目的は半分が陳情、半分が陳謝のようなものだった。
  陳謝というと、名ばかり中間管理職のときなどは「謝ってナンボ」と自分に言い聞かせていた。
  いずれにしても、その折衝次第で大多数の働く環境が決まるものだったから、それぞれが真剣勝負といったところで、富士川を越えてくっきりと富士山が見えると「よし、目的は適うぞ!」と勇気を充電し、見えないときには「壁が厚そうだから気合を入れなければ!」と言うのがその上司の口癖だった。
  このジンクスは、経験的にも何となく胸に落ちるものだったから、その後の人事異動や昇進後は、今度は私が後輩に「今日は富士山が見えたから上手くいくぞ!」などと伝承した。
  そのジンクス?は、今も伝わっているだろうか。

  二鷹の鷹は鳥の王。この目出度さも説明はいいだろう。
  で、・・・つい先日、平城宮跡大極殿前で撮影した(鷹の一種)長元坊を掲載し、ブログ読者の皆さまの本年のご多幸をお祈りしたい。
  それほど高くない地点で猛禽類がホバリングする姿はゾクゾクっとする感動ものである。(「何にそんなに感動すんねん」という声も聞こえてきそうだが。)
  平城宮跡の大規模舗装で「地下の木簡の破壊が心配だ」と旧冬のブログに書いたが、ここ(平城宮跡)はそういう歴史的意義とともに野鳥の楽園、貴重な自然の宝庫であることも皆さんに知ってほしい。
  木簡も野鳥も目先の金儲けには役立たないが、それを守るのが知性ではないだろうか。

  先の選挙では、民主主義の理念と背反する小選挙区制の結果、民意と相当乖離した内閣が誕生したが、ご祝儀相場はそんなに長くは持たないだろう。
  三茄子が「成す」の語呂合わせなら、夏の参議院議員選挙では理性的な声の前進を「成し遂げ」たい。
・・・・・という初夢三題話では、夢は小さすぎるか?

2013年1月1日火曜日

頌春

  私が絵付け(の真似事)をした奈良の伝統工芸品である一刀彫の「巳さん(みいさん)」をここに掲載して皆様方の新春を言祝ぎたい。・・と、「寿ぎ」の押し売りをする。
  嘘でもよいから、ここは「こいつあ春から チョン 縁起がいいわえ」 と応じてもらいたい。
  奈良の一刀彫は平安後期に春日若宮おん祭に使用された木彫人形に源があり、能人形、雛人形、五月飾り、干支、鹿が彫られていて、このほかの題材は「奈良一刀彫」とは言わず単に「木彫」と呼ばれるようだ。(そんな薀蓄は知らなかった。)
  この写真の巳さんの材質は高級品ではないが、切口から素晴らしい香りの漂う楠である。
  「なら工藝館」の先生に「私も彫らしてほしい」と言ったが「必ず手を切るから」と、それは叶わなかった。これは誇張でなく工藝館の教室のたびに救急車が必要なほどの怪我人が出るそうで、労働災害関係の知識からすると、ここは安易な真似仕事はしないほうが善いと引き下がった。
  しかし、胡粉(ごふん)を膠(にかわ)で溶いて磨り潰したり、絵付けだけでも結構な作業で、これに岩絵具や金箔まで使用すると、あの結構な完成品の値段もなるほどと納得できる。
  「もっとリアルに彫りたくないですか?」と質問したら、「リアルな木彫は簡単だが、このデフォルメされた鑿(ノミ)跡の残る切口で躍動感や重厚感や静寂感を表わすのが難しい」との回答。現に、先生(作家)の一刀彫ではない方のリアルな木彫は見事な出来栄えだった。ふ~ん、そういうものなのか。ちょっとだけ目から鱗。
  正直に言うと私はこれまで奈良の一刀彫について、「あまりに彫りが粗すぎる」「彩色が木彫の好さを消している」「高価すぎる」とあまり好印象は持っていなかったが、ほんとうの職人(作家)の話を今回聞いて、心の底から反省した。先生に「こんな高額で何方(どなた)が購入されているのですか?」などとほんとうに失礼な質問をしてスミマセン。
  芸術にしても工芸品にしても政治にしても、近頃は紛い物が多く、かつそれが見事にホンモノであるかのような嘘や錯覚やムードがあるが、新しい年はじっくりとホンモノを応援したいと考えている。
  今年はこのブログも、「一見それらしい常識を疑いホンモノを探す」というのをサブテーマに据えようかと思う。
  後ろで妻が、「お父さんの話はいつも大袈裟やねん」とチャチャを入れているが。

  ・・・・今年はコメント欄がフォーラムのようになればと夢見ている。どうかよろしくお願いします。