2010年12月26日日曜日

千本餅つきに民族の記憶をみた

 奈良市とは名ばかりの(すみません)田原地区の“千本餅つき”に参加してきた。
 河瀬直美監督“殯の森”のロケ地、太安萬侶の墓が約30年前に発見された地。静かな山里は雪化粧で待っていてくれた。
 地元の保存会の人々の歌う“餅つき唄”に合せて細い棒で搗く餅つきは、予想していた以上に合理的で出来栄えも立派に仕上がったのには驚いた。
 古老いわく、
 50年ぐらい前までは足で搗いていた。(シーソー式の装置が各家にあった。)
 祝い事の場合は一臼2升とか3升を搗き、葬式の時には端数のついた量や3升を超える量を搗く。・・・とのこと。・・・・こういう 「へ~」っという話もよかった。
 無理を頼んで、奈良県無形民俗文化財の“祭文”も少し語ってもらえた。♪♪ デレレン デレレン デレレン というそれは、江州音頭の祖先に違いない。
 無縁社会を実感する昨今、体の奥底に微かに思い出すような遠い故郷の感触を呼び起こしてくれるひと時だった。
 今日の行事は“奈良ひとまち大学”。スタッフの方々も親切で満足だった。
 27日追記
 「足踏み式の米搗き機なんて農家なら何処にでもあったよ」と妻の言。ただし、妻の記憶では「餅つきに使っていたのは知らん」とのこと。こういう話になると「町の子は何にも知らんのやな」と何時も妻に馬鹿にされています。

2010年12月22日水曜日

大阪の雑煮と奈良の雑煮

 入所している母が「正月の雑煮はどういうものか」と職員に尋ねまくっているので施設の中で大きな話題になっている。いわく「白味噌で、丸餅は焼かず、小芋と雑煮大根、金時人参に豆腐に花かつお」という厳密な希望らしい。さらに「二日目は澄ましで、焼いた丸餅と水菜と蒲鉾」とうるさい。いつの間にか入所者間で雑煮談義に花咲いているが、難聴と認知症で大騒動になっている。
 
 今日の朝日夕刊に奈良の雑煮が大きく載っていた。「味噌味に焼いた餅を入れ」までは普通だが、「その餅を小皿のきな粉にまぶして食べる」でオオーッとなる話が面白おかしく綴られている。  
 わが妻のルーツは大和。毎年「このきな粉雑煮が如何に美味しいか」という講釈を聞きながら食している。行事食としての伝承のことを除いて正直に言えば、きな粉雑煮は結構クールと言えよう。

 23日追記
 大正時代の堺の幼児に思い出してもらったわらべ歌は、
    ♪ 正月来たら 何うれし
     碁石みたいな あも 食べて
     割り木みたいな とと 食べて
     おこた に あたって ねんねこしょ ・・・でした。

 「お雪みたいな まま 食べて」については、「正月にご飯は食べないやろ」と一蹴されました。

2010年12月21日火曜日

冬至に柚子湯

 今日21日は東寺の終い弘法。
 四天王寺の大師会も同じ。
 友人のひげ親父は何れかの骨董市を渉猟しているに違いない。
 骨董市ではどう見てもゴミとしか見えないものも堂々と開陳されていて可笑しい。
 あの世界にのめり込むと底の無い怖さがあるが、もとより全く小遣いが無い身には取り越し苦労。

 四天王寺といえば、先日NHK BSの熱中スタジアムでタワーが論じられていたが、初代が1400年前に誕生、大都会のど真ん中でその最上階まで登ることの出来る四天王寺五重塔を忘れてはいませんかと言いたいが如何。

 明日は22日。天文年鑑2010年版によると
8時38分に太陽の黄径が270°になる由。
 幸い柚子はそこそこの出来。
 柚子湯だけは遠慮なく入れそう。

2010年12月17日金曜日

心は中世に(春日若宮御祭)

 奈良は一般に「大仏商法」(大仏様がいる限り何もしなくてもお客は来る)と言われ商売下手らしい。
 確かに今日は、三勅祭の内の一つであり、875年間欠けることなく(因みに葵祭は度々中断されている)継続されてきた春日若宮御祭(かすがわかみやおんまつり)(お渡り式等の日)であったが、(商売下手の)おかげで、その「松の下祭」(影向(ようごう)の松の前での儀式)を無料で至近距離数センチで堪能できた。
 このお祭りは貴族のというか国家のお祭りのため民俗的な面白みは少ないが、平安後期、お能成立前夜頃の細男(せいのお)や猿楽や田楽がそのまま奉納されるので心はたちまち中世に跳んでいった。大仏商法万歳。
 訂正!! 商売下手ではなく、子供たちと多くの大人はお渡り行列をチラッと見た後、縁日風のお祭りゾーンに群がり各種商売に相当貢献していた。そりゃ、中世の芸能よりも平成の刺激社会の方がパワーが違いますから仕方ないでしょう。



2010年12月15日水曜日

ふたご座流星群にお願いしたこと

今夜感動したこと二題

1 深夜から真冬並みの寒波と予報されているにも拘らず、10時近くの帰り道に草むらで蟋蟀が大きな声で鳴いていたのには驚いた。地球温暖化の証左に嘆くべきか、生物の進化・順応性に感心すべきか、判断のつかぬまま自転車(電動アシスト・トホホ)の上で感動した。

2 帰宅して、天気予報に反して晴れ上がった夜空を眺めると、予想どおりのふたご座流星群が本当に現れた。
 これまでも少なくない流星群の予想がテレビや新聞で報じられたが、なかなか見事な流星群にはお目にかかれなかった。
 「本当に流れているで」と妻を誘い出し、二人で夜空を眺めながら、「流れた」「お願いしたか」「今度はあっちや」と、恥ずかしいほどはしゃいだ。
 我が家の此の頃のお願いのパターンは「大難小難、大難小難」だが、これは「難」は避けられないけれど、大難になるところをどうか小難でお願いします。大難になるところを小難で済んでありがとうございます・・といったところ。当事者としては、我が家も丸くなったものだと自分で自分を誉めている。ハッハッハ

2010年12月11日土曜日

古代にタイムスリップ

 10日は12:50から17:50まで百済文化国際シンポジウムに出席した。16:50終了予定であったものが会場の奈良教育大学を出たときには真っ暗な奈良公園であったという充実ぶりで、「熊津時代の百済と倭」など余程復習しないと消化不良になる程豊富な内容だった。

この行列、お笑いください。
 11日は大田皇女(おおたのひめみこ)の墓である可能性の高い越塚御門(こしつかごもん)古墳現地見学会と、折角の機会であるので再度自分の目で確認しておきたい幾つかの飛鳥の遺跡をじっくりと巡ってきた。
 それにしても飛鳥の懐は深く、あちらこちらに〇〇塚と伝えられている丘がいっぱいあり、もちろん未調査となっている。一方で、亀型石造物や今回の越塚御門古墳など、全くノーマークの場所を掘っていても大発見が度々あるというのであるから歩いていても背中がゾクゾクする。
 越塚御門古墳などは、つい3ヶ月前に八角墳確定で斉明天皇・間人皇女合葬陵だろうといわれた牽午子塚古墳の中ともいえるところにあったのだから、もちろん「先の大発見」のあった3ヶ月前には誰も予想もしていなかったのだから驚くばかりだ。

 以前に故網干善教先生宅の近所に住んでいたことがあり、先生から関大の学生を連れて高松塚の発掘作業を行い例の大発見をしたときの話を伺ったときも感動したが、そういえば、高校時分の歴史の故林先生が、通常の授業内容よりも山根徳太郎博士の難波の宮発掘調査の大極殿発見のエピソードを熱く熱く語っていた姿が昨日のように思い出される。
 概して歴史家は簡単にその時代にタイムスリップできるようだ。考古学の水野正好大先生などは、今しがた卑弥呼を見て来た様に話されるので大人気者である。
 
 なお、今回の越塚御門古墳の石槨のラインは牽午子塚古墳の石槨のラインと大きくズレていた。石槨と墓道のラインも少々ズレていた。これについて「慌てて作ったからか」と新聞で解説しているものがあったがそうだろうか。真実は細部に宿るというから軽々に被葬者を特定したり、日本書紀の記述内容を信用するのはどうかと思う。今夜もなかなか眠れそうにない。



2010年12月7日火曜日

照紅葉

(1) いつもは「こんなこともあろう」と見過ごしてきたが、モミジの木の天っ辺あたりが鮮やかな緑色でその下が紅葉している様は、立ち止まって眺めて見ると不思議でかつ美しい。
 普通には天っ辺から紅葉が始まり下にいくほど黄色、緑とグラデーションを描くのに、何かの理由で早々に天っ辺あたりが落葉し、その後出た新芽が大きくなったらしい。
 欧米人に比べて紅葉が好きだといわれている日本人のことだから、こういう(逆転の)現象にも粋な名前など与えて一句捻ったりしていないかと調べてみたが、浅学のため見つけられていない。
 どなたか、ご存知の方には御教示お願いします。
 写真は、少し盛りを過ぎてしまったためパッとしないが、実際には惚れ惚れするような紅葉の一形態です。

(2) 昔々若かりし頃、盛岡に到着したときに、街路樹にビニール製のケバケバしい造花(葉)が着けられていたので「なんと風情の無いことよ」と感じたが、よくよく見ると本物のななかまどの紅葉だったので、東北の紅葉のスケールの大きさに本当に腰を抜かさんばかりに驚いた。(誤解した盛岡の皆様すみません。)
 この印象があるので庭にななかまどを植えてはみたが、小さな庭に昔の記憶を復活させられぬまま、鉄砲虫か何かのため枯らしてしまった。
 毎秋紅葉の季節になると古い盛岡での想い出がよみがえる。

2010年12月6日月曜日

會津八一の愛した古都

 和歌にも書にも全くの門外漢ながら奈良県立美術館の「會津八一(あいづ・やいち)のうたにのせて」を昨日覗きに行った。
 これまでに何回か會津八一を熱く語る浅田隆先生の講義を聴いた記憶と、南都(奈良)のそこかしこの御寺にあった會津八一の歌碑の記憶に誘われての散歩気分である。
 途中に30分程度のビデオ放映があり、そこでぐっすり午睡がとれたのに満足したなぞという本音を言えば主催者はうんざりするに違いないが・・・、誤解の無いように付け加えれば、展示内容が不満ではなく当方のレベルの問題である。
 と言うよりも、出口を出た折には十分満足して紅葉の奈良公園の散歩に移ったことを強調しておきたい。
 と言いながら、高速餅つきの中谷堂で草餅を一つだけ求め、それを夫婦で半分ずつ食べながらの散歩は、會津八一や和辻哲郎のそれとは程遠く、我ながらその軽薄さが恥ずかしい。

 秋篠寺にて(會津八一)
  あきしのの みてらをいでて かへりみる いこまがたけに ひはおちむとす

2010年12月4日土曜日

植木屋! 金返せ!!

これがレインボーメープルの紅葉??
 品のないタイトルで恐縮、恐縮。

 今年は紅葉の当たり年、どの地の紅葉もすばらしい。
 ハイキングの折の踏まれそうな道端に生えていた赤ん坊から成長した庭の片隅のモミジでさえ感心するぐらいです。
 ところが我が家のシンボルツリー(のはず)のトウ カエデ・・・
 ここ10年、毎秋ごとに標記のとおりの品のないタイトルを叫んでいます。

 貴方は確かに仰いましたよね。「日本の四季を敏感に感じとり、七色に葉色が移り変わり、芽吹きのときはピンク、そして白、少しずつ緑が濃くなり、秋には赤、橙、紫紅色と彩り豊かに紅葉が楽しめます。だからレインボー メープルと言うのです。」と・・・

 それが、チョッと チョッと、どんぐりの雑木でさえ、もう少し風情がありますよ。
 紅葉が楽しめないレインボー メープルなんて・・・

 こんな失敗ごとに・・、妻は「お父さんの何時もの事」と平然としています。

 追伸  庭の片隅のモミジのうしろでは、朧梅が選手
    交代のスタンバイをしています。
       朧(蝋)梅は、蝋細工のような光沢のある黄色
    い花ゆえ・・という説もありますが、やはり朧月に
    咲くから朧梅でしょう、・・にしては我が家の朧梅
    は毎年少し気が早すぎます。